10.07.2019

[film] Joker (2019)

2日からLondon Film Festivalが始まってから5本見て、書かないと忘れてしまう(その前のもいっぱいある)のでとっとと書きたいのだが、なんか挟まってくるのでこっちから書いておく。  5日、土曜日の午後、Picturehouse Centralで見ました。

ヴェネツィアで金獅子賞を獲っているしレビューも絶賛が多いのだが、なんか来なかったの。
たぶんネタバレしているけど、バレてどうなるようなものでもない気がする。

誰もが知っているゴッサムシティの稀代の悪党Jokerは、いかにしてJokerとなったのか。

これを語る前提として悪や狂気は説明可能で理解することができるものなのか、という議論があると思うのだが、この映画はJokerの悪や狂気は突然変異・原因不明の病気のようなものではなく、きちんと説明可能だし理解しうるものなのだ、という立場に立っている。

Arthur Fleck (Joaquin Phoenix)は病気の母Penny (Frances Conroy)の世話をしながら街角で宣伝ピエロのバイトをして、やがてはコメディアンになることを夢見ているのだが、笑いだすと止まらなくなる疾患を抱えていてなにをやってもうまくいかなくて、同僚から自衛のために渡された銃を営業の際に子供たちの前でポロリしてクビになり、更に市の予算削減あれこれでクビがまわらなくなり、コメディクラブに出てみてもぼろぼろで、地下鉄で袋叩きにあって相手の会社員3人を撃ち殺してしまう。 母の手紙から自分は金持ち市長Thomas Wayne (Brett Cullen)の息子ではないかという疑念が沸き、憧れのTVショウホストMurray Franklin (Robert De Niro)から声がかかり、ゴッサムの治安は悪化して街にはピエロの姿をした暴徒が溢れてくる。

貧困と困窮からあらゆる道を断たれて行き場を失った社会的弱者がある事件をきっかけに一線を越え、歯止めがきかなくなって暴走していく、その描写の生々しさと説得力はじゅうぶんだし、Joaquin Phoenixの身体もその事態を申し分なくリアルに肉化しているし、映画史的にも過去のNY映画、特にMartin Scorsese作品等と地続きの世界を構築している、などなど。

他方で、例えば“The Dark Knight” (2008)でのHeath LedgerのJokerは完全に向こう側に行ってしまった狂人のそれ、理解不能の劇物で怪人で鬼で、その笑顔の口の端は引き裂かれてしまっている。JoaquinのJokerは自分の指で口の端を上げることでしか笑顔を作ることができない - 仮面・お面をつけたりメイクをすることで道化 - ピエロを演じているだけで、それってこのゴッサムシティ & バットマンの劇中で与えられたJokerの役回りとして正しいのだろうかと。

Jokerの台詞 - “I used to think my life was a tragedy. But now I realise, it’s a comedy”とか、“everybody is awful these days”とか、頻繁に映像化される彼の頭のなかの現実と混濁した妄想とか、都合のいいものしか見ようとしない上から目線のネトウヨとかIncelとか差別をまき散らすどっかの官製芸人と同じ言い草だよね。責められると「誤解を与えたのであれば..」論法でひっこめるとか。 今のそういう世界 – Jokerたちが街に溢れている世界 - を描きたかったのだ、というのであれば、そんなのじゅうぶんわかっているし、間に合っているし、それよりデバイスの裏でひそひそやっている卑怯者とか、その上からコントロールしている統治機構に対する糞玉をさー。
結局この映画を快適なシネコンで見て「感動~」とか言ってる人たちに対しては、劇中で”Modern Times” (1936)を見てふんぞり返っているブルジョアと同じで、なんも訴えないと思うの。
(そこにこそこの映画の批評性はあるのだ、なんて言う奴こそ「連中」の思う壺なんだよ)

途中まであった彼とBruce Wayneが異母兄弟だったら、という可能性のほうがまだロマンとして広がる可能性があったかもしれない、でも母Pennyをあんなふうにした原因には踏みこまないまま、彼女があんなふうに殺されなければならなかった、のはなんで?(そこ掘るべきじゃないの?)

アパートの隣人Sophie (Zazie Beetz)とArthurの恋は(彼の妄想でなかったのであれば)なにをどうして可能になっていったのか、ものすごく腑に落ちない。”Suicide Squad” (2016)で、Harley Quinn (Margot Robbie)にあんたのためなら死ねる!と言わしめたJoker (by Jared Leto) の色気はこれぽっちもなさそうだし。

70-80年代のゴッサムシティ(≒NY)の都市風景の再現、という点で画期的なのかもだけど、風景が多少きれいになろうが汚れていようが多少家賃が変わるくらいで、そこに住む人の意識はそう変わっていかない。同様にある時代で止まっているかのようなノスタルジックな音楽の使い方も、あの場所-あの時代の額縁の絵として遠くの風景として機能するだけになってしまうような。

Joaquin Phoenix主演作で、おなじく病気の母を抱えたひとりぼっちの男(の戦い)、というと少し前の“You Were Never Really Here” (2017)があって、こっちの方がその怖ろしさも含めてより生々しかった感が。

10.06.2019

[film] Downton Abbey (2019)

9月28日の土曜日の午後、CurzonのMayfairで見ました。

この日の午前中、もう終わりそうだったバッキンガム宮殿の夏の一般公開に行った。昨年も何度か行ったのだが、今年はその中で”Queen Victoria’s Palace”ていうヴィクトリア女王の生誕200年の記念展示をやっていて、わたしはいまのおばあちゃんも、そのずっと上のおばあちゃんも好きなので見たくて。 彼女の着ていたドレスとかいろいろあってどれも小さいのだがものすごくパワフルな人だったのね、というのが十分伝わってくる内容だった。 当時のボールルームの雰囲気を再現とか、昨年はなかったし。

えー、Downton Abbeyについて、TV版は日本にいた頃、日曜の晩(だっけ?)に見ながらそのまま落ちてしまう、というのを繰り返していたので、全体としてはMaggie Smithさんが何度も(小声で、怯えるように)言っているように「長すぎて、なにがどうなっているのかわからないのよ。箱とか多すぎるのよ..」とおなじく、どっちが使うほうの側でどっちが使われるほうの側か、だれがよいひとでだれが性悪で(まあそれは少し見ればわかるか)、というのがわかる程度 – つまりぜんぜんよい視聴者ではなかったのだが、そんなひとでもおもしろく見れるし、これをきっかけにこういう変なの - 変だけどこれがこういうのを何百年もやってきている(とっても変な)英国ていう国- に触れてほしいわ、って思う。

そして、そうとうに歪んだ変な世界であることがわかっていながらあの音楽と共にホグワーツの全容が浮かびあがるとわけもわからず高揚してしまうあのシリーズと同じように、Downtonの建物が大きな画面にぐわーんてあがってくるとなんか盛りあがってしょうもない。 主人公はあの建物なのだと思う。

冒頭でバッキンガム宮殿からRoyal Mailが発信されて電車とかいろいろ乗り継いで届けられ、封を開くとKing & Queenが夏の行幸の途中にDowntonに立ち寄ってご飯食べて泊まっていくので宜しく、と。

こりゃたいへんいち大事! と隠居していたMr. Carsonを呼び戻したりみんなで張りきっていると下見にやってきた宮内庁の役人たちから、ロジ系、執事系は我々がぜんぶ仕切る、料理はシェフから材料からぜんぶ用意するから貴方たちは一切関わらなくてよろしい、と言われて、なーんだ、になるのだがそれで引き下がるような連中ではないのだった..  っていうのと、王家のパレードを狙ったテロとか、Tomの新たな恋とか、いろいろ絡んで慌ただしくて、でも一気に流してなんとかなってしまうところがよいの。

お家のみんなが一致団結して(誰かが犠牲になったりして)がんばるぞー(おおー!)っていうのではなくて、各自が自分の担当領域で思ったこととかやろうと思ったことを深く考えず勝手且つてきとーに動いた結果、なんとかなる - もちろんいろいろ湧いて来るのだが、それすらもなんとなく吸収して丸めてしまう、それをキャラクターやチーム力(頼むからこれ使って組織論みたいのやらないでね)みたいなところで語らずに、それがDownton Abbeyという場所なの、って建物ががーんてせり上がってくる(ソフトなゴーメンガーストみたいに)。  とにかく変な世界、と少し距離を置いて見るくらいがちょうどよいのかも。

みんなずっと元気でがんばってね、って久々に実家に帰っていろんな親戚に会ったときのようなかんじになる、というか。
(除.お屋敷)

欲を言えば、お料理を作るところとか見たかったな。あの二人で擬似お料理番組やったら絶対当たるのにな。

続編はありそうだねえ。

今朝は、朝の9時からグラストンベリーのチケット予約があった。3日の夕方の電車付きチケット予約に続いてのリトライで、(3日はLFFの上映が18:10からで、チケット発売が18時からで、BFIのしょぼいWifiに繋いで泣きながら10分だけやってみた。もちろんお話しにならない)今回も、少し早起きしてかちかちやってみて、予想はしていたものの軽く弾きとばされてさようなら、だったわ。取れる人はそれなりに勉強しているんだろうなー。

と、しょんぼりしていたのだが、晩にAdam DriverとLaura Dernのほんものを見れたので少し元気になった。 Adam Driver、やはりすばらしい俳優だねえ。

10.04.2019

[music] Richard Thompson 70th Birthday Celebration

9月30日、月曜日の晩、Royal Albert Hallで見ました。この日はScalaでStarsの”Set Yourself on Fire” (2004)の全曲披露ライブがあって、チケットも買ってあって楽しみにしていたのだが、朝にこのライブがあったことを思い出し(ゲストが発表になってから考えようかって後回しにしていたの)、ゲストリストを眺めて頭を抱え、午後になったらリターンされたチケットが出てきたのかいつもの自分の席が空いていたので取ってしまった。 ずっと雨だし体調が最悪だった(からスタンディングはきつい)ので許してStarsのみんな。

開演は19:30きっかり。会場は自分たちも70th前後っぽいお年寄りばかり。

最初に彼の今のバンドであるRichard Thompson TrioがTrioじゃないけどな、と自分で突っ込みを入れながら1曲軽快に流して、最初のゲストのHugh Cornwell氏が。14歳から16歳くらいまで同じバンドでやっていたそうで、当時やっていたようなやつを、って”Tobacco Road”から。ふたりの会話 - Richard「このバンドのあと、どこで何やってたんだい?」 - Hue「あー、君と同じようにバンドってやつをやったりしてたのよ」と言ってThe Stranglersの”Peaches”をやる。ものすごーく変なかんじだが 、音はぱりぱりのエレクトリックでよいの。Hueとは3曲もやった。

続いて ボトムにAshley HutchingsとDave Mattacksが入り、pre-Fairportでやっていたトラッドを。Ashleyが66年の頃の日記を朗読する - パブで演奏していたRich Thompsonとかいう変な若造と会う、悪くない -  とか(それ、出版してほしい)。

更にDave Peggが入って”Down Where the Drunkards Roll”をみんなでしんみり合唱したところで、 次のゲストのBob Mould氏。ギターのプラグを突っ込んだ途端に雷のような音が鳴って老人たちが飛びあがる。 BobはBobとしか言いようがなくて(外観は老人だけど)がんがんの2曲 - Sugarの”If I Can't Change Your Mind”なんかやるの。ギターふたつの絡みは背筋の伸びる気持ちのよさで、この音を足して128歳の老人組が出しているなんて誰が信じようか。 The Guardianのインタビューで彼が語っていたように今回のライブはRetrospectiveではなく、節目に友人や家族を呼んで好きな曲をやりたいようにやる、というものなのだろう。

前半パートのヤマはMartin Carthy氏で、彼とRichardのアコースティックギターの弦、それとDanny Thompsonのベースが向かいあうギターの板のあいだで反響しあう様がすばらしかった。なんであんな深い井戸みたいな音が出るのか。

30分くらいの長めの休憩時間にみんなビールを買いに走り、後半はRichard & LindaやFairport Conventionにフォーカスするのかと思ったらそうではなく、Thompsonの家族アルバムのような構成で、女性ゲスト(Maddy PriorとかOlivia Chaneyとか)がいっぱい出て、Thompson一家も“That's Enough”のときにTeddy, Kami, Jack, そしてLindaもバックコーラスで少しだけ出てくる。

前半のBob Mould以上に変てこだったのが”Spinal Tap”のDerek Smalls (Harry Shearer)氏で、メタルのなりで出てきて楽しかったものの流れのなかでは完全に浮いてたかも。

後半の個人的なヤマはLoudon Wainwright IIIで、まず自身の”The Swimming Song”を軽快に(泳ぐように)やって、続けてバックにDanny ThompsonとDave Mattacksが入り、”I Want To See The Bright Lights Tonight”をやる。ほんとうにBright Lightsが下りてくるかんじ。Loudonがいて、Teddyだっているのに、そしてこの曲なのに、Rufusのやろうはなんでこないのか。

後半のパブリックなヤマは(たぶん)David Gilmourで、最初に”Dimming Of The Day”をやり、俗にいうギターバトルみたいなシーンもあるのだが、悪いけど格がちがうかんじ。もう一曲は(DGが)ギターを擦りきれたテレキャスターに変えて、”Fat Old Sun”なんてやるの。こんな曲、ライブでやるのね。まったく、ぜんぜん関係ないけどSoundgardenの”Black Hole Sun”を思いだす。韻ふめる?

アンコールは1曲だけ、みーんな出てきて、客席もみんなわかっていて、国歌みたいに校歌みたいに立ちあがって”Meet on the Ledge”をうたう。(他にあるだろうか?) Sandy DennyもDave Swarbrickもその辺に浮かんでいるんだろうなー、って。

やってほしかった、聴きたかった曲はあと100曲くらいあったのだが、これはあくまで通過点の近況報告でささやかなお誕生会、ということで、次を待つことにする。

同様にこの人の蛇のように蠅のようにのたくる魔術としか言いようのないギターをもっともっと聴きたい、というのもあって、他方でこのひとのギターはどこまでも生ものとして瑞々しくてレジェンドとか円熟とは程遠いなにかであることもようくわかった。

つい先日、誕生日を迎えたもうひとりのRichard – Richard Hell氏も70  歳だという。 1949年生まれってなにかあるのかしら?

10.03.2019

[film] The Man in the White Suit (1951)

24日の晩、BFIの同じシアターで、”The Flesh and the Fiends”に続けてみました。邦題は『白衣の男』。 白衣っていうより白スーツなんだけど。

Ealing Studiosのコメディで、Ealing Studiosのは英国のいろんなことが勉強になるのでかかると見るようにしている。
監督はAlexander Mackendrick。

なんでこれが上映されたのかというと、West EndのWhyndham's TheatreでSean Foley演出、Stephen Mangan主演によるこの映画の舞台版の上演が始まったからで、イントロでStephen Manganさんがおしゃべりしていった。映画には結構ダイナミックなアクションもあるのでそれを狭いステージ上でどう表現するかとか、そういうお話。

舞台はイギリスの北の方、Sidney (Alec Guinness)はケンブリッジ出の化学者で、繊維工場の隅で闇実験みたいなこと(実験のぽこぽこいう音 - 実験音楽みたい - がずっと鳴っている)をしていて、なんでそんなことをしているかというと、彼のやりたい実験はお金がかかるのででっかい工場でないとできないのだ、いいじゃんちょっとくらい、と。

で、追い出されたり受け容れられたりしつつ実験あれこれの結果、彼はついに汚れない - いつもぴかぴか - 汚れがついてもすぐ落ちる - とにかく丈夫で破れない - 放射能入りだし - 画期的な繊維を開発して(今ならありそうかも)、それでかっこいい白スーツを作ってみせるのだが、その発明を金の卵とみる会社側とそんなのができたら食いっぱぐれるとみる組合側で、商権だのなんだのを巡って争奪が始まり、でも彼はそう簡単に(どっちにも)渡したくないので追っかけっこになり、団子状態のぐだぐだに広がっていくのだがー。

恋愛のことも少しだけ出てくるけど、これは産業革命会社コメディで、会社や業界、そして組合のあいだで、というかそれらを突いてまわって(図らずも)きりきりさせてしまう青年化学者のお話で、なんでそんな大騒ぎになっているのかわからないなーってすっとぼけた顔で逃げ回る彼の目線で新技術を求める産業という営みとか支配層という連中のヘンテコな動きを眺めてみる、と。

ドラマのネタとして新しくておもしろいことはもちろんなのだが、Sidney役のAlec Guinnessの挙動振る舞いがとにかくすばらしくて、”Kind Hearts and Coronets” (1949)での一人八役も納得だし、”Star Wars” (1977)のObi-Wan Kenobiで彼を最初に見たときも、じいさん身軽でやるねえとか思ってしまったのだが、このひとの身体の動きはなんか飛びぬけてすごい気がする。 Star Wars sagaのEp1 - 3のObi-WanもEwan McGregorじゃなくてこの頃のこのひとがやればよかったのになー、って(Ewanごめん)。

同様のネタは高度成長期のにっぽんでもできたと思うけど、植木等のみたいなだとややおちゃらけ過ぎてて(あれはあれですばらしいけど)、主人公のイメージとしては三國連太郎かなあ。(もう既にやっていそうだけど)

お芝居の方は、評判よさそうだったら行こうかしら、程度。


RIP Kim Shattuck.   90年代のまん中、米国にいて、The Muffsの”Sad Tomorrow”が深夜のMTVでかかった翌日にすぐCDを買いに行ったなー。 彼女たちを聴いていたのでHoleはあんまし来なかったの。映画”Clueless” (1995)の(自分にとっての)イメージを決定づけたのも彼女たちの"Kids In America"だった気がする。 来日公演は三茶のに行った。ほんとうに大好きでした。 ご冥福をお祈りします。

[film] The Flesh and the Fiends (1959)

24日、火曜日の晩、BFIで見ました。この晩は50年代の英国映画2本立てで、その最初の1本。なんかの特集に紐づいたものではなくて、出演しているDonald Pleasence氏の生誕100年を記念してのものだそう。   邦題は『死体解剖記』。米国題は”Mania”。(←国によってぜんぜん違う) 

どうでもいいけど、タイトルを”The Flesh and the Friends”(肉と友達)だと思っていたら、”Friends”ではなく”Fiends”なのだった。その昔、”Alien Sex Fiend”っていうバンドがあってな(..まだやっているみたいね)、それをずうっと”Alien Sex Friend”と思い込んでいた、これとまったく同じ誤りを相変わらずやっている。

上映前に“English Gothic: A Century of Horror Cinema”という本の著者であるJonathan Rigby氏のトークがあったのだが、びっくりするくらい完全に落ちていた。ごめん。

19世紀初のエジンバラにDr. Knox (Peter Cushing)ていう解剖学の先生がいて威厳に満ちてておっかないのだが、Burke (George Rose) と Hare (Donald Pleasence)っていういつも酒場でくだまいてるごろつきのふたりが墓を掘り起こしては死体(結構生々しい)を引っ張りだし、Dr.Knoxのところにごとごと運んでいくといくらかお金を貰える。公に解剖(教材)用の死体を安定供給して貰うのは難しいようで、彼らのような闇の連中に頼っていて、死体が新鮮であればある程、お代はよいとか。 で、このふたりはそこらで死んで転がっている死体を持っていくだけでは満足出来なくなってきて、そうっと殺してしまえばわからないような人達を見つけて暗がりで絞めて殺して持っていくようになるのだが、あまりに死体が新鮮すぎたり頻繁だったりするので周囲は怪しいと思うようになり(いや、ちゃんと検死すればさ..)、ここにDr.Knoxの元で学んでいる真面目な苦学生Jackson (John Cairney)と酒場の娼婦のMary (Billie Whitelaw)の儚い恋が絡んだりするのだが、Burke & Hareの基本は面倒になったら殺しちゃえなので、血も涙もない展開で、やがてふたりは捕まって寄ってたかってぼこぼこにされ、当然彼らから品々を買っていたDr.Knoxの責任も問われるのだが、ものすごく胡散臭い演説をしてなんとなく受け容れられてしまう。

という具合に主要登場人物がみんな変でおっかなくて善人はほんの少しだけ、どんよりダークで冷たい空気に満ちていて英国だわー、って思った。ごろごろ並べられるいろんな死体もこの時代にしては妙にリアルでよくできたお話で-。

と思ったら、これが実際に1828年にエジンバラで起こった”Burke and Hare murders”として知られているケースで、ふたりで16人殺しているって。Dr.Knoxも実在して、Peter Cushingは片目が潰れたようになっているのだがそれも本人に似せているのだそう。こわいよう。

でも興業的には惨敗だったって。やっぱり怖すぎるのよ。

10.02.2019

[film] Lust for Life (1956)

9月13日、金曜日の晩、BFIで見ました。絵画の映画ということで。 邦題は『炎の人ゴッホ』。

最近のゴッホ映画というと”At Eternity's Gate” (2018)  - Willem Dafoe主演/Julian Schnabel監督のがあったが、これはIrving Stoneの同名小説(邦題『炎の生涯 ファン・ゴッホ物語』)を原作にしたもの。結末の彼の死因も両者ではちょっと違っている。こっちの監督はVincente Minnelliで、クレジットされていないが一部のシーン(Theoのアパートのところ)をGeorge Cukorが撮っている。

上映はデジタルで、もうちょっときれいなデジタルのがよかったかも。冒頭で作品の画像提供に協力してくれた美術館の一覧がばーっと出て、こんなにいっぱい.. ってちょっと感動する。

伝道師として修業をしているVincent van Gogh (Kirk Douglas)がいて、ベルギーの炭鉱に赴くのだが炭鉱夫たちの悲惨な生活の現実に直面して伝道どころではなくなって破門され、やっぱり絵しかない、ってがんばるのだがぜんぜん売れなくて、パリで印象派の動きに触れてPaul Gauguin(Anthony Quinn)と出会って励まされ、他方で病気が悪化して弟のTheo (James Donald)に助けてもらい、でもどっちにしたって自分には絵しかない、描きたいんだ、で最後には.. 

そんな彼の生涯の節々に彼の描いた絵がストップモーションで挿入され、それがその時の彼の状態や感情を説明してくれるわけではない(よく見ればあるのかしら?)のだが、絵のために生きて、生きるために絵を描いた彼の生涯をその横で静かに照らしているのと、別にそういうのなしでも絵はずっと、ただそこにあるというー。

“Lust for Life”で、『炎の人』で、そこにあの燃えあがるような絵 – 「暗い」っていう人もいるけどわたしはゴッホの絵はふつうに「明るい」と思う - が重なるので、全体のトーンはとても強くて、悲劇的なトーンはあまりない – Kirk Douglasの演技は熱量たっぷりでも、画狂人とか狂気の方には最後まで振れていかないような - のはよかったかも。でもほんとここって、どこまでも強い弱いがどす黒く支配する男の世界だよねえ、ていうのと、今の時代だったら軽くはじかれてすぐに潰されちゃったかもしれないねえ(交付金でないよ)、ていうのと。

7月に見たTateでの”Van Gogh and Britain”には英国時代の彼の絵が結構展示されていて、その頃のは割とちがうかんじ– それこそ”Lust for Life”で、あとFrancis Baconの描いた3枚の絵 - ”Study for Portrait of Van Gogh IV”, “Study for Portrait of Van Gogh VI”,  “Van Gogh in a Landscape” があって、どれも1957年製作なのだが、年代とか色合いから、この映画からの影響が指摘されていて、館内では小さな端末からこの映画の映像が流れていた。(実際には機械が壊れていて見れなかったのだが)(のがこの作品を見たいと強く思った理由)

ゴッホその人とかそのパッション、Lust、はこの映画でだいたいわかるのだが、ゴッホにはふつうの田園風景や人物がなんであんなふうに見えていたのか、あんな技法で描かれなければならなかったのか、をそれなりの説得力で追ってみたものが見たい。本ではあるのかもしれないけど。  Dr. Paul Gachet (Everett Sloane)が出てきたのでなんか言うかしら、と思ったのだけど。

ただ、あの時代の画家を描いた映画、絵画映画としてはものすごくきちんとしていて - 美術館を抜けてきたかんじがして - よかったかも。

10.01.2019

[film] The Goldfinch (2019)

9月27日、金曜日の晩、Leicester Squareのシネコンで見ました。
公開初日だったせいかすごくでっかいスクリーンで上映されて、でも夜遅かったせいかお客はぜんぜん入っていない。

2014年のピュリッツァー賞を受賞したDonna Tarttの同名小説(未読)の映画化。

冒頭、アムステルダムのホテルの一室で、すべてに絶望して死にそうになっているTheo (Ansel Elgort)の独白から、何がどうして彼はここでこうなってしまったのか。

まだ13歳のTheo (Oakes Fegley)は、美術館のテロで母親を失い、身寄りがないということでNew York Upper East(Park Aveの63rdだった)の裕福なBarbour家のアパートに引き取られて、同年のAndy (Ryan Foust)とママのSamantha (Nicole Kidman)に暖かく受け入れられてそのまま養子になるか、だったのに突然アル中でばくち好きでどこかに消えていた父親(Luke Wilson)とその愛人(Sarah Paulson)が現れてラスベガスの砂漠に引き摺っていかれる – すごいやだ、かわいそうすぎる。

もういっこ、Theoはテロにあった際に彼が持っていた指輪の刻印からヴィレッジ(Van Leeuwenのアイスクリームの看板がみえる)のアンティーク家具屋に導かれ、そこの共同経営者であるHobie (Jeffrey Wright)と彼が後見人となっているPippa (Ashleigh Cummings) - 彼女もまた.. - と出会い、彼らはその後のTheoの道行きに大きな影響を与える。

ベガスに行ったTheoはすべてを取り上げられた窮屈で苛酷な環境に置かれ、やはり父親がやくざなロシア系のBoris (Finn Wolfhard)と知り合い、酒やドラッグを教えてもらって親友になるものの、やっぱりあれこれ耐えられなくなって脱出してNYのTheoのところに身を寄せる。

時が経ってTheoはHobieの元でアンティークを学んで立派な青年になり、Samanthaの娘のKitsey (Willa Fitzgerald)と婚約するのだが、彼はPippaのことが忘れられなくて、そうしているとKitseyが別の男とキスしているところを目撃して、とっても動揺していると今度は大きくなったBoris (Aneurin Barnard)と再会して..

アムステルダムのTheoとそこに至るまでのTheoのお話の行き来のほかに、頻繁にフラッシュバックされるのが美術館(Metropolitan Museum of Art)での爆破テロの際、館内ではなにが起こったのか、Theoは何を見てどうしたのか、で、物語の起点となっているこの事件が、ぐるりと回って物語の終わりに再び彼に危機をもたらす – 彼自身にちっとも罪はないのに。 たぶんおそらく、原作の本ではこの辺がそれなりの整合感をもって緩やかな円を描いていくのだと思うが、映画だとちょっと弱くて脆すぎて2時間半使ってもー、だったかも。 なぜCarel Fabritiusの”The Goldfinch” (1654)なのか、この鳥が宗教画でキリストとよく一緒に描かれていることとか、いろんな意味も含めてじっくり解していくのはおもしろいと思うのだがそういうじりじりは読書の方が向いているよね。

絵画は他にも出てきて、レンブラントの『テュルプ博士の解剖学講義』も”The Goldfinch”もオランダのMauritshuisにあるやつなので、なんでそれがMETにあったのかしら? 過去にそういう企画展があったのかどうか調べたのだが、2013年にMauritshuisのいくつかがFrick Collectionに来ていたことはわかった(憶えてる。すんごい行列で入れなかった)。← いや、Fictionだからね。

他にはSamanthaがTheoに教えるJohn Singleton Copleyとか。

絵って(本も映画も家具もそうだけど)、それ自体が場所だけじゃなく時間も含めて思いもよらない旅をしていくもので、ヒトがどこでどうしたなんて関知しない、そういう旅 - ガラパゴスのダーウィンフィンチみたいな - の物語として見ることもできるかも。 絵に見入ってしまう、というのはそういう経験も込みでなのだ、といつも思う。

ふつうにTheoが大人になっていく話、でもぜんぜんよかったのにな。このキャストなら。

撮影はRoger Deakinsさんで、とても美しくて、最後に”The Goldfinch”の絵が大写しになるところ、あの筆のタッチは見れば見るほどすごいねえ、って。

子供の頃のTheoを演じたOakes Fegleyさんは、“Pete's Dragon” (2016)の彼だったのね。今回も親を失う役でかわいそうだったけど。 そしてAnsel Elgortさんは”The Fault in Our Stars” (2014)に続いてアムステルダムの運河で。


R.I.P. Jessye Norman.  90年代初にMetropolitan Operaで一度だけ見たことがある。”Ariadne auf Naxos” (1916) -『ナクソス島のアリアドネ』- だった。 人の声ってあんな滑らかな飴みたいに伸びるものなんだ、って驚嘆した。