7.07.2012

[film] Magic Mike (2012)

この天気のやろうわぁ(怨)。

"Funny Face"を見終えて外にでてもまだ7時くらいで、外はぜんぜん明るい。
そろそろ最後の晩をどこでどう過ごすか考えねばならないのだった。

もちろん、できればライブ、なのによいのがない。
WilliamsburgでWhite Rabbitsのフリーのライブがあったのだが、チケット貰うために並ばねばならなかったし、East VillageではMelvinsがどっかの地下でライブをやるということで少しざわめいたものの、チケットは170枚くらいの先着手渡し、とか言っててこれもお手あげ。その近所でJunk系のArt Showをやってて、彼らのライブはその会場でもストリーミングされるということだったが、そういうとこに行くと、どうでもいいがらくたを買いこんでしまうに決まっているので、近寄らないことにした。 なにもかもかわいそうすぎる。

いっこだけ、Mercury LoungeのEarly Show(7:30〜)でSam Prekop and Archer Prewittがあったので、これにしよ、と。 これなら終ってから映画ももう1本見れるだろうし。

念のため最後の獲物を求めてGeneration RecordsとOther Musicをうろついた後、小屋に入った(当日券$10)のが8時過ぎ、まだ前座が始まったばかりだった。
ひとりでぶよんぶよんしたエレクトロにもごもご歌語りという、あんま好きなかんじではなくて、これならこないだのSilever Applesのがぜんぜん爽やかだったねえ、とか思ったのだが、このおっさんがぜんぜん終ってくれなくて、ふたりが出てきたのはほとんど9時くらい。
1曲目がSam PrekopのモジュラーシンセにArcher Prewittのギター、というこれまでとは違うかたちの長めの曲がわるくなくて、2曲目からイメージ通りのギターデュオになって、あーこれこれ、というかんじ。
とっても気持ちよい夏ギターの音、だったのだが、映画も見たかったので3曲くらいで外にでる。

映画は、これか、"Your Sister's Sister"のどっちかで考えていたのだが、リリースされたばかりでなにかと盛り上がっているし、行きの飛行機でもういっかい"The Vow"とか見てしまったりした(だってろくなのやってないんだも)ので、こっちにした。

9:50にKips Bayのシネコンで見ました。 ガキだらけのUnion Squareのとも、やくざもんだらけのTimes Squareのとも違って、ここのシネコンはMidtown Eastの住宅街の中なので観客は近辺の家族とか、割とおとなしめなの。
 
しかし、この映画に関しては、ほとんど女性の集団でわいわいざわざわしていた。男は彼女に無理やり連れてこられたふうが多いかんじ。

映画はとってもよかったです。
わたしはSteven Soderberghの作家性とかぜんぜんわかんないし、そんなのどうでもよいのだが、この映画はいいなー。 
Channing Tatum(Magic Mike)による男性ストリッパーの青春もの。
裏芸能モノぽいじめじめべたべたしたとこのない、さらりと爽やかな印象を残す。

オープニングがいきなり、Matthew 「馬」Conaugheyですよ。 彼もついにここまで来てしまったか、という。いいんだけどね。いきなり開けたよね。あっちのほうに。

でもう、こんな冒頭からきゃーきゃーで、Channing Tatumが布団から起きあがってタオルをずるっと落として(Vowがみえるかみえないか)、きゅっとしたおしりまるだし全裸の後ろ姿を曝して外の世界にばーんと向かったとこで、すさまじいどよめき(高周波)と歓声がわんわん広がる。 おもしろいー。

彼のほかにもうひとり、19歳なのに目が虚ろでぼーっとした貧しい若者がいて、Mikeに犬のようについてってそのままなんとなくストリッパーになってしまう小僧がAlex Pettyferくん、"I Am Number Four" だった彼で、この子もよいの。 "I Am Number Four"で宇宙人としての自分に目覚めていったのと同じように、ストリッパーとしての自分に目覚めていってしまう。
こいつが穴埋めで無理やり舞台に立たされ、"Like A Virgin"にあわせておどおど脱ぎはじめるとこなんか最高。

彼を女手ひとつで育てあげた勝気な姉にCody Hornさん。弟の舞台を見てどきどきするとことか、Mikeとのやりとりもとってもおもしろい。

ストリッパー稼業とか仲間とのあれこれもあるけど、それだけではなくて、ふつうに土方しているとことか、銀行にローン借りに行って断られたりとか、がんばるMikeの青春が気持ちよい。
Channing Tatum、やっぱしいいやつかも。

ラストのカットもほんとに素敵でさあ。

あと、げろにむしゃぶりつくかわいー子豚とかも出てくるので、それだけでじゅうぶん。

NYのはあと1回くらい書くかも。

7.06.2012

[film] Funny Face (1957)

最後の土曜日、美術館まわったあと、ホテルに一旦荷物を置いて、Williamsburgに出て、レコード屋猫と本屋猫に挨拶して(それぞれで少しだけ買う)、滞在50分でマンハッタンに戻って、Film Forumに行った。

ほんとのところ、Lincoln Centerで始まったAsian Film Festivalでかかった、"Five Fingers of Death" (1972) - 『キング・ボクサー/大逆転』- とこっちと、どっちにしようか悩んだのだが、このくそ暑いなか、目玉えぐりとか見たくなかったのと、せっかくSchiaparelliのピンク見たんだし、こっちのピンクも見ないと - "Think Pink!" とか思ったのね。

客席はおじいさんおばあさんたちと、ゲイと小さい子供連れ、くらいしかいない。それでもほぼ一杯になっていた。

始まる前、画面に"Overture"とひとことだけ出て、Film Forumでかかった古今東西の名画のスチール - どれもこれも、それはそれはかっこいい - がぐわんぐわん流れていって、最後に"25th Years of Repertory"と出る。 ~みんな盛大な拍手。
ほんとにねえ、ここのRepertory(昔の名画紹介シリーズ)がなかったら、こんなに映画見るバカにはならなかったはずなのにね。

上映はフィルムではなくてデジタルで、ただ、ここのデジタルは今年の最初のほうで審査会みたいな特集("This is DCP")をやって観客に見て貰った上で判決が下されたはずで、上映するっていうことは審査を通ったってことなんだね?

画質に関していうとびっくりするくらいきれい、テクニカラーのややきわどいかんじの色合いもきちんと出てて、ただちょっと明るいかな、程度。
この作品の場合は、それくらいでちょうどよかったかも。

映画は、別にいいよね。 『パリの恋人』。
オードリーとアステアで、ぜんぶ御都合主義で、映画としてもラブコメとしてもあとちょっとがんばってほしくて、歌も踊りもそんなにすごくはないけど、でも、いいの。

Fanny Faceだろうがなんだろうが、あんなかわいい娘がグリニッジ・ヴィレッジの本屋なんかにいるもんか、とか、ファッション誌の写真家で歌って踊れて彼女がいないときたらゲイに決まってるのになんかおかしい、とかいちゃもんなんていくらでもつけられるし。
でも、それでも嫌いになれないのは、例えば目が合った瞬間に電気が走るあの瞬間とかがシャッターの音と一緒にたくさん入っているのと、オードリーがぐるって回ったりするのが素敵だから。

そういえば、"Sabrina" (1954)もこれも、あんまいけてない女の子が年寄りに拾われて立派に成長するお話だねえ。

終って外に出たら、ロビーには更に大量の老人たちとゲイさんたちが溢れているのだった。

売店にはちゃんとKay ThompsonさんのEloiseの本もちゃんと置いてあった。

あと、翌月曜日(2日)の上映時にはIsaac Mizrahiがおしゃべりしたんだってさ。

7.05.2012

[art] Rineke Dijkstra: A Retrospective

土曜日は11時くらいに仕事が、滞在延長してもなんの意味もなかったようなぼろかすな結果で終わり、なにかに噛みつかないと気がすまないくらいあったま来てお腹が減ってきたのでとりあえず外にでる。

まず、ものすんごく暑かった。着いた日もそうだったが、あれよか日射しは強い。

上のほうの美術館に向かうのはわかっていたので、それなら久々にとCafé Sabarskyに入り、Wiener Schnitzelをばりばり食べてApple Strudelを頬張ってようやく落ち着いた。 相変わらずおいしかったけど、ひとりで$50こえてしまった。

落ち着いたとこで気を取り直してNeue Galerieの入り口の看板のぞいたらこんなのやっていたので見ることにする。 
Heinrich Kuehnにフォーカスした展示はNYでは初だと。

Heinrich Kuehn and His American Circle : Alfred Stieglitz and Edward Steichen

StieglitzやSteichenのような巨匠の、写真表現の奥底を探っていくような粘っこい強さは感じられない分、子供や家族を撮った写真の素朴な美しさに惹かれる。 陰影がついて、色がつく、それだけでその人が現れて嬉しくなる、そんな写真達。 特に和紙にプリントしたシリーズの肌理の素晴らしいこと。 Lartigueの家族アルバムもこのひとのも、見ているだけでじーんとしてしまうのはなんでなのか。

それからGuggenheimに歩いて行って前日(6/29)から始まったこの展示を。

Rineke Dijkstra: A Retrospective

オランダ人写真家のSFMOMAから巡回してきた回顧展。
有名な浜辺のポートレートの他にもいろんな若者たちの写真が。
元気いっぱいとか生々しいとか痛々しいとか、そういう所謂リアル系ではなくて、一見すると無表情でプレーンな印象を与えるのだがようく見ているといろんなことを語ってくるの。

子供と大人の中間にあって、自分の顔や姿態がまだ固まっていない、彼ら自身のなかで自分をどう出したら、見せたらよいのか/出すべきなのか解りかねている少しの戸惑いと恥じらいと、そういった表情とその一瞬を丁寧に切り取っている。

一見するとJuergen Tellerあたりのぺたーっとした写真に似ている気がしないでもないのだが、彼の写真を見ているとたまに感じるこいつなんも考えてねーんじゃねえの、みたいな腹立たしいなにかはやってこない。 愛だよ愛、なのかもしれない。

写真の他に動画作品もあって、壁面4つに順番に子供が音楽にあわせて踊るところを映している。
カメラは固定、白の背景をバックに、ふつーのかっこで、特にダンスが巧いということもない子供たちの、いろんなダンス。 忘我で踊りまくる子もいれば、恥ずかしくなって途中で止めそうになって、でも気にいった箇所が来るとまた踊りだしたりとか、いろんな子がいる。 見てて飽きない。

もういっこ、Guggenheimのぐるり廊下をてっぺんまで使ってやっていたのがこの展示。

Art of Another Kind: International Abstraction and the Guggenheim, 1949?1960
http://web.guggenheim.org/exhibitions/anotherkind/

ポロックから始まって、世界中のど抽象系(要するに何が描いてあるかぜんぜんわかんない系)の平面絵画(たまに立体もあり)を螺旋状にこれでもかと並べてある。 それをぜんぶ"Another Kind"とか括っちゃうのって結構乱暴だよね、とか思ったし、いっこいっこ見ていったら疲れそうだったのでざーっと流した程度。見たかったのはあくまでRineke Dijkstraだったのだが、この展示が複数階に分かれていたので通らないわけにはいかなくて。 上のほうにYves Kleinの青が見えたので、とりあえずそこまで行って戻った。

次のMetropolitan Museumではふたつだけ。

Schiaparelli and Prada: Impossible Conversations

入ってすぐのところで、ばかでっかい画面でBaz Luhrmannによる二人(Schiaparelli役はJudy Davisが)の対話映像が流れてて、この断片は会場のあちこちで繰り返し流されている。 
展示のタイトルである"Impossible Conversarion"には、いろんな意味があって、Schiaparelliが既にいない以上、対話そのものが成り立ちえない、ということもあるし、作者が異なり、時間的に隔たって生まれてきた芸術作品(=美術館にあるのだからね)に果たして「対話」が成立しうるのか、というのもある。
しかしながら、入口のとこの映像でふたりの間の「対話」は成立しているように見えるし、なによりも作品(とその展示方法)を見てみれば、そこに何らかの対話関係、共鳴しあうなにかがあることは一目瞭然なの。

ふたりの間に決定的な相違と断絶があるとすればそれは、「ドレスのデザインは職業というよりはアートの領域にある」というSchiaparelliに対し、Pradaは「デザインはクリエイティブではあるがアートではない」、というとこね。 (この「対話」部分だけ切りとられて会場にでかでかと貼ってあるし、こないだのSPURの特集でもこの部分はピックアップされていた)

でね、ざーっと会場見たふつーのねえちゃんあんちゃん達がおそらく思うであろうことは、「PradaってSchiaparelliのパクリなんじゃねーの?」ではないかと。 この辺のとこを服飾デザインはアートなのかそうでないのか、の両者の見解と絡めて考えてみるとおもしろいのね、たぶん。

あと、イタリアの女たらしおやじ共からすれば、ねえちゃんたちがきれいに見えればどっちだっていいじゃん、であろうからその辺をどうするのか、というのもある。 そこはどうにもならん。 たぶん。

でも展示としてはすごくちゃんと練って考えられた、完成度の高いやつだと思いましたわ。

もういっこが屋上で展示してたやつ。

Tomás Saraceno on the Roof: Cloud City

毎夏の屋上展示はこれまででっかいレリーフとか、どうでもよさそうなのが多かったのだが、今回のはなんかかっこよさげだったし、天気もよかったので久々に上ってみるみるか、と。
きんきんして眩しかった。中に入ってのぼったり遊んだりするのは時間制のチケットがいるようだったが、そんなの取ってる時間はなかったからそこは諦める。 なんか、高級ふうジャングルジム、のようでしたわ。


ひととおり見て、バスで下に下ろうと思ったのだが、こういうときに限ってバスは来ないことになっているので、taxiで南下して一旦ホテルに荷物(展覧会のカタログとか)を置きにもどった。

7.04.2012

[film] Ted (2012)

金曜日の晩、"Neil Young Journeys"のあと、Union Squareのシネコンに移動して見ました。
この映画もこの日が初日で、シネコンのロビーがひとでごったがえしていたのは、たぶんこいつのせい。
前宣伝がなかなかすごくて、ロンドンでもMark Wahlbergとクマが連れションしているビルボードがどこに行っても貼ってあった。

で、10:10の回を狙って行ったら、8:30の時点でこの回はもう売り切れてたので、10:40の回を取って、上映の20分前に行ったら、この回のシアターはすでにぱんぱんで中に入ることができず(つまりみんなずるしてるってことね)、11:10の回に回されてしまった。
しかしこんな時間なのに子供の歓声があちこちで聞こえてたのはどういうこと?
 
で、そんな大騒ぎして見るほどのもんだったかというと、そこは微妙に微妙なのね。 悪い映画じゃないけどさ。

John (Mark Wahlberg)は子供のとき、親に貰ったぬいぐるみのTeddy Bear(だからTedなの)が大好きになって、ずうっと一緒にいたいです、て流れ星にお祈りしたら、ある朝クマが立って歩いてしゃべりながら寄ってくる。 ふつうだったらこんなのホラーだと思うのだが、とにかく危害を与えるわけでもないしそういうもんかも、と彼も家族も周囲もみんな受け入れて、JohnとTedはずっと一緒にいることになる。

こないだの"The Muppets"だと相方MappetsのWalterはずっと歳を取らずに人形のまま留まるし、"A.I." (2001)だと、ガキとクマは同じサイズのまま止まっている。 けど、この作品のTedは、Johnと一緒に歳を取っていくので、だんだんにおやじ化していくのね。

それは確かに時間に抗うことができないおやじ(達)の物語ではあるのだが、同時に大人になりきれない子供(達)の物語でもあるの。 Johnには付き合って4年になる彼女 - Mila Kunis - がいて、そろそろ結婚を意識しはじめているのだが、踏み切ることができないし、仕事だってずっといまのままでいいのか、とか。

でもクマはそんな心配とは無縁なので(いいなー。クマになりたい)、はっぱやったり女を連れ込んだりやりたい放題やってて、やがてJohnとの間に溝ができてきて、と。 だれもが思いつく定番のバディ映画のパターンを動くぬいぐるみ相手にやってて、そんなに外してない。 脇ですこしだけ暴れてくれる愉快な友達とかがいたらもうちょっとおもしろくなったかも、だけど。

Norah Jones本人が出てくるの。
それと、Flash Gordon (Sam J. Jones)も出てきて、主人公を導いてくれる。
問題は、あのQueenのテーマ(でんでんでんでんでん…)がずっと頭のなかで回り続けることね。
他にはTiffanyの"I Think We're Alone Now"とか、全体に微妙に80'sだったねえ。

あと、Ryan Reynolds、あんたが一番おかしかったかも。

7.03.2012

[film] Neil Young Journeys (2011)

帰国していますけど、この天気はあんまりすぎる。

まだNYにいた先週の金曜日、夕方に抜けて見てきました。
この作品、NYとLAはこの日が初日で、NYではTImes SquareとSunshineの2館のみ。Times Squareのほうで見ました。 初日だし、売り切れてたらどうしよだったのだが、シアターに入ったら10人くらい、萎れたおじいさんみたいな人たちがぼーっといるだけだった。 初日なのに。 

Jonathan DemmeによるNeil Youngのドキュメンタリー、2006年の"Neil Young: Heart of Gold"、2009年の"Neil Young Trunk Show"(これは見てない)に続く3本目。

冒頭、ライブ会場のセットアップ風景に続いて、Neil Young本人が車(でっかい昔のアメリカの)を運転しながら自分が生まれ育った界隈を案内していく。 ここには昔川があって魚とか亀とか取ってあそんだ、とか、ここが親父の名前がついた学校(ほんとにでかでかとScott Young High Schoolて書いてある)とか、なんとなくほのぼの紀行モノみたいなのりなのでちょっと心配になる。

がががしかし、TorontoのMassey Hallでのライブ(日付は2011年の5/11 - "Le Noise"のツアー時のもの)に画面が変わって、1曲目の“Peaceful Valley Boulevard”が鳴りだした途端、ものすごくびっくりする。 これはアコギの音なのか、ほんとはなにが鳴っているんだ? 等々。
ひとつの楽器とひとりの声だけなのに、この厚さ、豊かさはなんだろう、と。これまで聴いたことがない音。

続いてギターはエレクトリックに替わり、"Ohio"を。
ここでもギターの音は凄いのだが、それとは別のところで画面に釘付けになる。
ここで歌われているKent州立大学での州兵による鎮圧の映像がそのまま使われ、その犠牲となった4人の学生の顔と名前が前面に出てくる。 あれから40年以上を経てもなお、君たちの死は無駄にしない、絶対に忘れないと死者と生者の両方にむかって強く強く歌いかけてくる。

その後は、"Le Noise"からの曲の合間に"Down by the River"、"After the Goldrush"、"My, My, Hey Hey (Out of the Blue)"などのクラシックを。

"Neil Young: Heart of Gold"でのNashvilleのライブが、天上に舞いあがっていくような、音楽の神様に全てを捧げるかのような無垢な愛に貫かれていたのに対し、この映画はその逆に、地上めがけて杭をぶっ刺す、振り下ろすかのような怒濤の殺気に満ちていて、それがぴーんと張ったギターの弦上からとてつもないレンジで飛んでくる。

それにしてもこの音、シネコンなのに服がびりびり震えるくらいのでっかさと深く澄んだ水のような底のなさと。 大抵の映画の音にはあんま驚かなくなっているつもりだったが、これには唖然とした。 

監督へのインタビューなどを読むと、プレミア時のTorontoの映画祭では98Khzで上映してて、ほんとは98Khzで展開したかったのだが、多くの上映施設がまだ98Khz対応できていないことから48Khzでもよいことにした、と。 このシネコンもおそらく48Khzだと思うのだが、それでもこれだけの凄まじいことになる。

爆音はもはやミニマムで、その上で水に浮かんだそうめんのいっぽんいっぽんがクリアに見えるような音質も求められるのだろうな。

ラスト、Ben Keithさんに捧げされていることがわかって、ゆったりとしたアコギによる"Helpless"が静かに流れていくの。 この曲だけトーンがちょっと違った。

今日はあんまりにもだるかったので午後会社休んで吉祥寺の爆音に行ったのだが、前売り買っていたライブ付きのはさすがにパスしてしまった。 アナログばかだけでもがんばればよかったかも、と少し後悔している。

7.01.2012

[log] July 01 2012

帰りのJFKに来ました。

仕事は壊滅的、修復できないくらいずたずた、全敗だった。
だからか、というかそのくせ、というか慌ただしくてなにひとつできなかった。

残りは少しづつ書いていきますが、金曜日からありえない暑さになって、これもきついのだった。
土曜日は、午後から自由になったので美術館3つ、映画2つ、ライブ0.5、くらい。
暑ささえなければなー。

こないだロンドンに着いた直後も慌ただしかったが、昨日の土曜日も慌ただしかった。
ロンドンの場合は、あんま土地のことをよく知らないので行ければラッキーなかんじの緩い慌ただしさなのに対して、NYは、それなりにわかっている(つもりの)ぶん、結構ぎりぎりいろんなものを詰め込もうとするので、リアルに慌ただしくなる。 で、そこに暑さとか絡んでくると舌だして勘弁しておくれよ、になる。

しかし、もう7月かよ。
こっちも勘弁しておくれよ、だわよ。

[film] Radio Unnameable (2012)

火曜日の晩、BAMで見ました。 これだけは前売りで買っておいた。
6/20から7/1まで、BAMでは、BAMcinemaFest2012ていうのをやってて、どういう趣旨のかは知らないのだが、独立系の小品みたいのが新旧長短含めていろいろ並んでいて、そのなかの1本なの。

Lena DunhamさんがCo-Writerとしてトークに参加した"Nobody Walks"(先週土曜日)とか、昨日の土曜日には"Kicking and Screaming"(1995)のReunionとかがあって、Noah Baumbachも出てきたのだが、これはチケットぜんぜん取れなかった。 本日(7/1)晩のClosingは、Don Letts先生によるドキュメンタリー"Rock ‘n’ Roll Exposed: The Photography of Bob Gruen"で、なんというか、全てにおいてタイミングが悪すぎる(自分の)。

この作品もドキュメンタリー。
Free Form Radioの先駆としてNYのWBAIていうラジオ局で50年以上に渡ってDJを続けているBob Fassさん(78歳)の足取りを、彼自身が残した膨大なアーカイブと共に紹介する。
Free Form Radioていうのは、DJのひとの語りとかミュージシャンによる演奏とかインタビューとかリスナーとのおしゃべりとか、なんでもありのやつで、彼は深夜0:00から午前3:30まで、眠れない夜を過ごすひとたちのために、50年間(途中中断もあったが)自分の番組を続けてきて、今も木曜の同じ時間帯に放送は流れている。

60年代初のグリニッジヴィレッジで俳優をしてて、その流れでなんとなくラジオ放送を始めたという彼の番組には、今からするとえええ、みたいな人たちがいっぱい登場して弾き語りとかおしゃべりをしているの。
Bob DylanもPhil OchsもAbbie HoffmanもJoni MitchellもCarly SimonもThe Incredible String Band(Joe Boydがインタビューででてくる)も、Arlo Guthrieの"Alice's Restaurant"が最初に演奏されたのはこの番組のなかだった、とか。 Garland JeffreysもKaren Daltonも瑞々しい歌声を聴かせてくれる。
音は流れなかったが、他にはTownes Van ZandtとかPatti Smithの名前もでました。

音楽だけではなくてカウンターカルチャーのほうも、68年、Yippies (The Youth International Party)によるGrand Central Stationの占拠のときは、彼の放送がハブとなって現場の生々しい情報を流しつづけていた。
いまのTwitterの人力生放送みたいなことをやっていたと。
他に、88年のTompkins Square Park Riotのときも、彼の放送は前線の人たちを支えていたと証言されたり。

そういうのだけでなくて、番組での会話中に自殺しようとする青年を懸命に救おうとするとこ(8時間後に住所を突き止めて命は助かった)とか、ひとりのDJによる放送がロウソクの灯りとなってNew Yorkという都市、その50年をひっそりと、しかし鮮やかに浮かびあがらせる、そういう拡がりをもった映画でした。

やっぱりラジオってだいじだよな、とおもった。 Webはラジオではないし、ラジオにはなれない、とBobさんの深く揺るぎない声を聞いてて感じた。

映画の後半で、Bobさんの自宅にあった膨大な(ほぼ家一軒分の)テープ類を映画のスタッフが運び出す場面があるのだが、スタッフえらい、としみじみ感動した。
アーカイブは今、どっかの大学の資料庫に安全に保管されて、テーブ起こしは延々続けられているという。
その一部は、今後もここで公開されていくそう。

http://www.radiounnameablemovie.com/

終映後のトークは、ほとんど昔からのリスナーによる同窓会みたいなかんじで、あの時代のじじいばばあはほんと元気なんだな、と思った。

映画のあと、10時からは映画館の横にあるBAM Cafeに移動してSilver ApplesことSimeon Coxeさん(このひとも70を超えているはず)のライブがあった。 映画みたひとはFree。

最初にBobさんの挨拶があって、CageやVareseと並んでSilver Applesの電子音楽がどれだけ大きな影響を持っていたかを力強く証言する。 その力強さときたら、まあ、へたな音楽評論家なんか太刀打ちできないだろうな。

Simeonさんは朗らかに歌いながら結構ぶんぶんしたトラックをかましていった。これが70歳の音か?

Bobさんは一番前の椅子に座ってずうっと音を聴いていたが、その間もいろんな人たちが彼のとこに寄っていってえんえん握手したりハグしたりしてて、なんか素敵な光景なのだった。

写真は左がBob Fassさん、右がSilver Apples。