5.04.2011

[film] Le Quattro Volte (2010)

日曜日は、シネマヴェーラで1本、と、もう1本。

最初のは"Desire" (1936) - 『真珠の頚飾』。
監督がフランク・ボーセジで、製作がルビッチ、彼もところどころで撮っているそうで、主演はディートリッヒにゲイリー・クーパー。

前に見たことがあった気がしたが、見てなかった。
はずれるわけがねえ。

ディートリッヒが宝石泥棒で、宝石商と精神科医を鮮やかに騙して真珠の頚飾をかっぱらい、スペインに逃げて、入国のときやばくなりそうだったので、そこに休暇で来てたトム(ゲイリー・クーパー)のポケットに頚飾を隠してしめしめ入国、そのあとでトムに近づいて取り戻そうとするのだが、そう簡単にはいかないのね。

単純でまぬけでアメリカンでさばさばなトムと、いつものぐにゃーんとした猫ディートリッヒのやりとりがすばらしいし、とにかく絵になるの。
めでたしめでたしにならなくても(いや、なるけど)ずうっと見ていられます。

それからローレル&ハーディの短編"The Hoose-Gow" (1929) - 『刑務所』。
囚人おつとめもの。今回は泥くそなげ、が楽しかった。


それから、イメージフォーラムに行って『四つのいのち』 - "Le Quattro Volte" 見ました。 
映画の日なので混んでいると思ったがぜんぜん。
タイトルに「命」とか - ましてや平仮名で「いのち」なんて入っている作品は基本見ないことにしているのですが、これはなんかいいかー、って。

ひとの台詞なし(咳とかごにょごにょだけ)、音楽なし、風の音と鳥の声、ヤギ、犬、車、アリ、カタツムリ、などなど。 いちばんうるさいのはやっぱヤギ、かな。

四つ、ていうのは、ヒトでしょ、ヤギでしょ、木でしょ、炭山? いちにいさんし、かな。(じしんない)

ヒトはしぬでしょ、ヤギははぐれるでしょ、木は倒されるでしょ、炭は焼かれるでしょ、それがぐるっとまわっていくのか、まわっていくのかもしれないし、そうでないかもしれない。この辺がゆるく繋がっていて、どうとでも解釈できそうな。その辺の風通しのよさはわるくないかも。

エコでもないし、オーガニックでもないし、啓蒙もしないし、志向もしない。
あそこに出てきた老人やヤギがそんなこと思いながら生活しているわけないのと同じで、そこに自然がどうのサイクルがどうのといったしょうもない理屈をつけて納得したがる人たちに対しては、ひたすらぼーぼー風が吹いてくる。或いは、炭山の中から聞こえてくるかのような、あの外側をスコップで固めるぼこぼこした音が。 穴のなかに埋まってろ。

ドキュメンタリーなのかそうでないのか、はどうでもよいのだが、このへんの緩い構成が映画として、映画の絵としてどうなのか、というのはあるかも。

それでも、ぼーっと田舎の風景を眺めるように見る、にはよかったかも。
GWにわざわざどっか出かけて疲れるよりは。

しかし、ヤギっておもしろいよね。 なんでみんなあんな顔してるの?

あーヤギになりてえ。 はぐれてもいいから。

5.02.2011

[music] dE nOISE 3

新宿から六本木に渡り、夕方の6時過ぎに "Sucker Punch"(2011) - 『エンジェルウォーズ』を見ました。

うーんあんまし。

いっぱいやなことを吐いてしまいそうなので、あんま書きませんけど、あの終わり方はないんじゃないか。(直感だけどね)
ロボトミー手術によって去勢されてしまう70年代の魂のありようと、昨今の「みんながんばれ」「ひとりじゃない」「そばにいるから」みたいなぐちゃぐちゃべったりした皮膚感覚への希求は、たぶん表裏一体なのよね。
さいごのほうのだらだらしみったれた独白は、だ・ま・れ・っ だったわ。

んで、なんだかとってもむかむかきもちわるくなったので、そのままSuperDeluxeに横滑りした。 ド・ノイズ3。 スイス大使館えらい。 
当日券。 9時くらいだったか。

ほんとは、前日の計画漏電も来たかったのだが、ほれ、ロイヤルウェディングとかあったしさ(殴)。

振り返ってみれば、これが今年の日本での最初のライブなのだった。
震災のあとで、MelvinsもGaslightもSwansも、ぜーんぶつぶれた。
日本に来てくれるのはシンディとかカイリーとか、金玉のあるおねえさんばっかしになった。

こうなったら雑音でもかぶるしかねえじゃん。

入ったときはOFFSEASONがどんちゃかやっていた。
ひさびさの、すんごい煙の量で、気管支がみるみる詰まってどんよりしていくのがわかったけど、それでもさっきのよかましだ。

それから、Suicidal 10cc。30分くらい。
Jimさんはますます太くなって、Guruみたいになっていたが、音も同様にぶっとくていかった。

それから、非常階段。
むかーし見たきりだったが、まあ。
でも、むかしのがこわかったかも、いまってみんな笑いながら携帯で写真撮ってるし。 
よいのかなあれ。

トリが、Maruosa vs Syndrome WPW 、ていうの。
肩掛けキーボードのスイス人と床置きMac日本人(?)のハードコア対決。
掛け合いになりそうでなっていないとことか、2回断線したスイス人の憎めないまぬけなかんじもよくて、音も激しいんだかぐにゃぐにゃなんだか微妙で、おもしろいの。

あーすっきりしたぜ。
でも、ノイズのライブって、あんま書くことないのな。

[film] The Ballad of Genesis and Lady Jaye (2011)

朝いちでGenePのドキュメンタリーを見て、晩はノイズで締める。 
ちゃんとしたおとなの、正しい連休の過ごしかたと言えよう。

毎年恒例のイメージ・フォーラムフェスティバル、今年も新宿からシャトルに乗って、面倒な場所に分け入っていって、座り心地わるい椅子で。  
あれ? 去年はどうしたんだっけ、と思ったが米国にいたのだったね。

最初にPVだと思うが、同じ監督によるGenePの"Papal Broken-Dance"。80'sふうエレクトロに乗って、リングの上で複数のレオタード人がくんずほずれつ。
New Orderの"True Faith"のクリップを下世話に下品にしたかんじというか。

本編は、Genesis P-Orridgeの最近の活動を伝える、程度なのかと思っていた。
基本なんでもアートにしてしまう方なので、生涯のパートナーを得て云々、とか言われてもまたネタなんでしょ、とか。 だから、へたしたらげろげろ阿鼻叫喚のとてつもない修羅場もあったりして、とか覚悟していたのだが、そういうもんでもなかった。 

それはタイトル通り、GenePとLady Jayeのバラードで、それはJohnとYokoのバラードと同じように、大通りのど真ん中を堂々と、しかしあっさり感動的にこちらに迫ってくる(←まだ戸惑い中)、ドキュメンタリーなのだった。

NYのSMパーティーの後で彼(まだ、彼)は彼女と出会って、お互い運命のひとだと思って、結婚して、pandrogynousのコンセプトの元、おなじ身体顔かたちを共有すべく、性を変え、双方に豊胸と整形をして一緒の時間を過ごす。 

すごいのはそこから。 70年代からの彼の活動 - Burroughsとの交流、彼に紹介されたBrion Gysin、更にCOUMからTG - Industrial Recordまで、最初からぜんぶ方法論として一貫していたことがわかってくる。 
いろんなパズルの断片が突然、ぜんぶきれいにはまるみたいに。
そういうことだったのかー、と。 ようやく。

インダストリアル・ミュージックの思想の根幹は、うんと圧縮していうと、「脱・肉化」ということだと思うが、70年代からずうっと、そのサバイバルのための(と明確に語られる)アートフォームは、様々な展開をしていって、21世紀に入ったあるところで、ミューズとしてのLady Jayeが現れた、と。 
できすぎている気がしないでもないが、アートというのはそういうもの、ということをこれ以上解体不可能な地点まで追いつめていって示しているように思えた。

そしてそれは、別のかたちの極限 - Lady Jayeの死によって、突然に止まってしまう。
彼女の肉体の消滅によって訪れる、アートの、ひとつのおわり。

インダストリアルの起源を語るところでNINの名前がでたりもするのだが、Johnny Cashの"Hurt"がなんでああも凄まじいものとして聴こえてきたのか、ようやくわかった気がしたり。

他にBatthole SurfersのGibbyさんとかPeachesとかもちょっとだけ出てきます。

最初にTGを聴いたのって、たしか79年くらいだとおもうが、そこから現在まで、死によって区切られてしまったとりあえずの区切りが、ふたり仲良く手を繋いで公園(Central Parkかな?)を歩いていく後姿で締めくくられることになろうとは。
わかんないもんだねえ。

あと、改めてうわーって感嘆したのはGenePの楽曲のポップで美しいこと。”The Orchids”とか久々に聴いたけど、いいのよなー。

[film] September Affair (1950)

やっと追いついてきたかも。
連休の初日ですけど。 映画みるくらいしかないの。

4/29: シネマヴェーラで2本+短編1。

William Dieterleの"September Affair" (1950) - 『旅愁』。ひさびさに。

技師とピアニストがローマからNYの機上で出会うのだが、機の故障でナポリに降ろされるの。この故障だと時間掛かるから、とちょっとだけ観光して少し仲良くなって空港に戻ったら飛行機はすれ違いで飛んじゃってて、しょうがないから宿取って待つことにしたら、乗るはずだった飛行機は墜落してしまい、死亡者リストに自分たちの名前があるのを見つけて、あたしたち死んだことになっちゃった… と。

ふたりは新しい場所で新しい生活をはじめることにするのだが、ピアニストの恩師はあんたそんなことやめとき… ていうし、NYに遺された男の家族はなんか変だ… と動きはじめて。

ふたりの新しい生活がゆっくりと周囲に暴かれていく、という流れよりも、ふたりの新しい生活、新しい時間を持続させたい、というその思い、でもそれが長続きしないことはどちらもわかっている、その微細な繊細なせめぎあい、神経戦を見るべきなの。

男は技師としてまだやりたい仕事があるし、女はピアニストとして成功したい、そしてふたりの人生はすでに秋にさしかかろうとしている9月で、やがて冬が来ることもわかっているの。
だから一緒に過ごせたら、とおもうし、だから... 
最初のほうでふたりが立ち寄ったナポリの食堂で流れるワイルの"September Song"、そのときからふたりは全てわかっていたのではないか、と。

だからあのラストにぶつぶついうのはおかしいの。 あれが9月になった大人の取るみちなのよ。 ジョーン・フォンテイン、いいよねえ。

『ジェニイの肖像』(1947)も久々に見たいなあ。


おつぎ、GW期間中は、おまけでローレル&ハーディの短編がかかることになっていて、"Double Whoopee" 『バカ騒ぎし過ぎ』(1929)  ていうやつ。

ホテルのドアマンとポーターに採用されたふたりがどたばたするの。はたきまちがいが連鎖して伝播して大騒ぎになるところがいつも通りおかしい。今回は目潰しとか。 あと、ブレーク前のジーン・ハーロウさんが登場して一撃必殺の後ろ姿を見せてくれる。 すごーいの。


それから"Secret People" (1951)。 オードリー目あてのおばさんがいっぱいいたが、彼女は端役だし、この邦題はまったくありえない、ていうかわけわからない。
英国のイーリング・スタジオ作品で、ここはコメディだけじゃなくて政治ものも地味だけどよいのを作っているの(昨年見た"Went the Day Well?” (1942)とか)

英国で暮らす食堂の主人のとこに、某国にいる旧友から、政争に巻き込まれてやばくなったので娘ふたりを預かってほしい、と言われて、後から彼女たちの父の遺品が送られてくるの。
で、みんなで遊びに行ったパリの万博で、姉は国に残っていたかつての恋人と再会する。 恋人は政治組織でなにやらやっている模様で、姉が彼女の父を粛清した将軍を憎んでいることを知ってて、それを理由にコンタクトしてくるようになって、やがて。

最初は彼女も彼の求めに応じて動いてあげるのだが、だんだん怪しいと思うようになり、いろんなもの - 警察すらも- が信じられなくなっていく。 誰が悪いかはすぐわかるし、全体として粗いかんじだが、自分の手の届かないところで何かが動いていて、あたしの家族も人生もどうしてくれるのよ! の怖さはじゅうぶん。

妹役のオードリーさんのバレエは、思っていたよかずうっとちゃんとしてて、ふうん、ておもった。

5.01.2011

[film] The Fighter (2010)

もう5月になってしまったのね。

殴り合い映画は苦手だし、感動の実話だというし、だとしたらどっちかが死んじゃうのかもしれないし、と思っていたらオスカーの後でこれがモデルの兄弟です、とかゆってるさびれたふたりが出てて、あー死なないんだったらいいや、と行くことにしたものの、だらだら行けないまま終りそうになっていたので、水曜日の夕方にずるして抜けて見てきました。

かつて天才ボクサーと呼ばれ、そこそこまで行ったものの今は転落してヤク中になっている兄と、兄を慕いつつも越えねば、という葛藤のなかでぐだぐだし続ける弟のおはなし。 必殺技はないの。打たれて殴られて我慢して、最後にお兄ちゃんの言った通りにやったらできたよ、ていうの。

David O. Russellなので、もっとマッチョでこてこてべっちゃりしたものかと思ったら、全体の印象はびっくりするくらい軽い。よい意味でね。

オスカーの助演賞ふたつとっているし、役者さんはみんなすばらしく、そこらの町のおじさんおばさんとして、ふつーにいるかんじ。

やっぱしあれよね、あの一族のずらーっと並んだジャンキーなおねえさん達だよね。 ファイトとしてはこの連中とAmy Adamsのきんきんした引っ掻きあいのがおもしろかったりする。 ていうか、俺は世界タイトルを獲れるぜったいやれる、という固い信念ではなく、あたしたちが後ろにいるんだから負けるわきゃない、だって、なんたってあたしたちなんだからさ、という一族郎党の無謀な妄信が全編をドライブしている。

そりゃよかったねえ、としか言いようがない、あるいみ能天気で適当なかんじが基本にあって、かといってそれらを擁護も愛顧も感謝もしていないから、いいのかも。

しかし、アメリカ人のあんな家族に生まれたりしたら、ほんと大変だし、面倒だよねえ。 
て、しみじみ思って、でも、日本もおんなしなのかー、とかね。 でも、日本でこういうの描くとぜんぜん別の方角に行くよね。

音楽は、ボトムのぶっとい、ぶいぶいした古今の名曲ががんがん走っていくとこがすばらし。 これなら、むこうのRPXのでっかい音で聴いとくんだった。
ゆいいつ、開演前から白蛇の"Here I Go Again"がずうっと鳴ってて、むかしから大きらいなので、文句いおうと思ったら、それが主人公のテーマ曲なのだった。

4.29.2011

[film] Zombieland (2009)

24日の日曜日、何年ぶりかで早稲田松竹なんかにいって、見ました。

昨年見れなかった"Zombieland" (2009)のほうがメインだったのだが、時間の都合で、併映の"Kick-Ass"のほうも。

"Kick-Ass"は、米国で見たし、日米往復の機内で、5回くらい見ているしもういいよ、だったのだが、でもみる。
あんま言うこともないのだが、途中からHit-Girlのナラティブなんかを挟んでいったら、Kick-Assのぼんくらぶりがよりくっきり出てよかったかもしれないね、とか。

彼ら、闘いの後でブルックリンのほうに飛んでいくけど、おうちはNJのほうだよねえ、とか。


"Zombieland" は、よかった。

メインにあるのは、Zombieの世界となってしまった米国全土とその不条理、というよりは、そこを生き抜いて、生き残っていく自分(達)の技量とか度量とか、そういうのなの。

たしかに、Jesse Eisenbergは"The Social Network"、よか、こっちかもしれない。 あれも、ナードがある種のルールとか規範を自分達に敷いて(強いて)、その線上で現実世界をじりじりと裏切ったり裏切られたりしながらサバイブしていくお話だった。 ただ"The Social…"は、今の社会とそれなりにリンクしているが故の各種制約がそれなりにあって、Zombielandはフィクションである分、それなりの自由がある、のかなあ。

でも、その違いって結局のとこなんなのか、と。
Jesse Eisenbergの苦虫つぶした仏頂面はぶつぶつ言い続けるのね。
"Holy Rollers" (2010)みて、"The Social ..."みて、これ見ると、このひとがいかに非凡なとこにいるか、よくわかる。

あと、もちろん、彼だけじゃなくて、Woody Harrelsonなのよね。
あの最後のほうの撃ちまくりのとことか。(あそこは全部ちゃんと見せるべきだった)
彼、いつのまにかKurt Russellの領域に行ってしまったかも。(ああこれをJohn Carpenterが監督してたら ...。 でも、彼はナードのおはなしとか興味ないんだろな)

Bill Murrayもねえ。これができるのも彼だけだよね。
でも、「悔いがあるのは"Garfield"だけ」...って、そんなこと言わなくても。

女優陣は、あんなもんか。
もうちょっと強い、お姐さん系のひとがいてもよかったかも。Gina Gershonみたいなひとが。
Abigail Breslinさんは、ぶひぶひまっしぐらだねえ。

流れる曲も、鳴る音も、どれもとってもいかった。
The Raconteursの"Salute Your Solution"があんなにかっこよく鳴るなんて。

爆音向き、ということだと、"Kick-Ass"よかこっちかも。
"The Social Network"と共に、自我と世界の間で軋む音がはっきりと刻まれている。でっかく増幅されて聴かれるべき音として、はっきりと。

Kick-AssやHit-Girlがあと100人現れても、たぶん世界は変わらないが、Jesse Eisenbergみたいなのがあと100人現れたら、ひょっとしたら、世界は変わるかもしれない、そういうことでもあるの。

[film] Follow the Fleet (1936)

そういえば、今年のRecord Store Dayは、17日に新宿のDisk Unionに行って、とりあえずBig StarのThirdのtest press盤だけ買った(当たり、は当たらなかった)。あとは面倒だったので通販でまとめて。まだ届いてない。

あと、New York MagazineのApartment特集がおもしろかった。
なんといっても、Frank Gehryのアパート、8 Spruce Street。
レントはそんな高くないけど、場所がなー。あのへんなんにもないよね。

http://www.newyorkbygehry.com/

23日の土曜日は、ぜんぜん起きあがれず、気がついたら夕方4時で、しょうがないのでシネマヴェーラによろよろと這っていって1本だけ見ました。

Mark SandrichによるAstaire & Rogersもの、『艦隊を追って』 - "Follow the Fleet"。

アストリアのMuseum of the Moving Imageのリオープン記念特集上映の最後のほうで(2月のあたま)、これのリストア版がかかったのだが、行けなかったので、そのリベンジも兼ねて。 

こっちの版は結構すりきれてて悲しかったが、でも映画そのものはぜんぜん。

歌とダンスしかとりえのないアステアが、彼女にふられてやけになって海軍に入って、寄港先のサンフランシスコでロジャースに再会して、彼女も彼と別れたあとはなんとなく浮上できないままでいて、んで、あとはわかるよね。

このふたりのダンスは、なに見たっていいにきまっているし、これも前に見てたことを途中で思いだしたりしたのだが、でもいいの。

音楽は問答無用で、Irving Berlin。 ぜんぶいい。
"Let Yourself Go"も、"Get Thee Behind Me, Satan"も、"Let's Face the Music and Dance"も、ぜーんぶ、いい。

クライマックスの船上のダンスは期待していたほどばーんとはじけなくて、ラフで適当にやっているように見えるリハのほうが面白かったりするのがちょっとだけ残念だが、でもいいの。

途中から出てくるあの猿はなんなのか、とか、Rogersの姉役のHarriet HilliardとRandolph Scottのロマンスはめでたしめでたしのようでいて、結婚したらRandolph Scottのほうが姉を殺して船を自分のものにしようとするにちがいない、とか、割とどうでもいいことを考えがちなのだが、でもいいの。