4.20.2023

[film] Tytöt tytöt tytöt (2022)

4月12日、水曜日の晩、シネマカリテで見ました。 『Girl Picture』
フィンランド映画で、英語タイトルは国によっては直訳の”Girls Girls Girls”のところもある。
監督は77年生まれの女性Alli Haapasalo。

冒頭、体育の授業でつまんねー、って反抗的な態度をとってあっさり怒られているMimmi (Aamu Milonoff)がいて、親友のRönkkö (Eleonoora Kauhanen)とはモールにあるスムージーバーでバイトしながら、突っかかってくる客とか気になった客などをからかったりして遊んでいる。

小さい頃からずっとフィギュアスケートをしてきたEmma (Linnea Leino)は少し前にはできていたトリプルルッツが突然できなくなってしまい、コーチからは怒られるし母親には心配されるし、でも自分でも理由がわからなくてもやもやしている。

ふたりのバイト先のカウンターにやってきたEmmaをいつものように軽く突っついてみて、ふたりが呼ばれた友人のパーティでいつものバカ騒ぎをしつつも、そこで再会したEmmaのことが少し気になったMimmiは彼女を追っかけてみたところで恋におちてしまう。

自他共に絆は固いけど負け犬っぽく世を眺めている(それでも自称最強の)仲良しのふたりがいて、パーティの喧騒のなか、運命の女性と出会って.. ここまでだともろ”Booksmart” (2019)のようだが、アメリカのティーンのセックス・コメディにある怒涛の勢いや噴きあがる妄想はこちらにはない。(ねんのため、どっちも大好きだけど)

Mimmiは、幼い頃に自分を捨てて父親ではない若い男の方に行ってしまった(まだ会おうと思えば会えるけど)母との間でわだかまりを抱えているし、Rönkköは、自分は不感症になってしまったのではないか?という疑念に怯えて、それを確かめるようにぶつかる男たちと手当たり次第にカジュアルな関係を持とうとして、結果うまくいかずになにやってんだろ、になってしまったりを繰り返しているし、Emmaは小さい頃からコーチと母と一緒に取り組んできたフィギュアへの壁にぶつかって(なのか壁がやってきたのか)自分のすべてを否定されたかんじになっている。

こうしてそれぞれが自分しか見えない状態に陥って、自分がいかにグロテスクで取返しのつかない動きをしてしまったのか、の後悔ぐしゃぐしゃが暗い夜とか寒そうな外の風景にぶつけられて心細くて先が見えないまま、その肌寒さときたら容赦ない(家族は助けてくれない)。そんな時に彼女たちはどんなふうに、誰にぶつかっていくのか、とか。

ここにおいて男子は、カウンターに並んだ客(捌いておわり)程度のもんでしかなくて、なんの意味も持っていない。痛快なくらいに出番も立ち場もない。いる必要はまったくない。(何度でもいう)

3人の誰もがそれぞれもう少しだけ強く、よくなりたくて、そのために近くにいてくれる誰かを必要としている。わかって貰えなくても愛して貰えなくても、そのために相手を傷つけてしまうであろうことも気づいているのだが、切羽詰まって勝手に暴走して結果なにかを壊して落ち込んで、を繰り返してしまう。この辺、三人をいたずらに三角関係に置かず、自傷や他傷にも向かわせない距離と温度湿度のところに置いて家族からも切り離したこと、MimmiとEmmaの関係も最初からクィアでもなんでもない(そこはちっとも悩まない)ところに置いたこと、などがうまく機能して、結果として3人のくっきりとしたポートレートが浮かびあがってくる。 そこには教訓も共感もそんなに必要なくて、ただ3人の顔立ち、髪形、立ち姿、どれもとても素敵で好きになるような。Rineke Dijkstraによる若者たちのポートレートを思い浮かべたり。

北欧の若者、青春映画 – 「北欧」という大括りが失礼で適切でないことは十分わかっているものの、少女(たち)が主人公となる(例えばこんな)映画については、彼女たちが生きてて本当によいもの(いくつかタイトルを探しているのだが出てこないや)が多いのはなんでだろうかー? というのを考えたりしている。

そうそう、彼女たちの像と、“Compartment Number 6” (2021)の彼女がなんとなく繋がって、どっちもフィンランドかー、って。スナフキン派とか。

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。