4月6日の晩、久々に神保町に行く用事があったので、神保町シアターに寄って特集 -『デビュー70周年記念 恋する女優 芦川いづみ』で見ました。
英語題は”Ghost Story of Youth” または “Fantasy of Youth”だって。どちらもちょっと微妙。
原作は獅子文六による新聞連載小説、これを和田夏十が脚色し、市川崑が監督している。とてもおもしろかった。
奥村鉄也(山村聡)の家を宇都宮蝶子(轟夕起子)が訪ねている。どちらもとうにパートナーを失っていて独り身で、それぞれの娘 – 奥村千春(北原三枝)と息子 - 宇都宮慎一(三橋達也)のつき合っているのかいないのか、互いに気があるのかわからないふたりのことが気掛かりなのだが、自分たちも先のことを考えた方がよいのでは、と、蝶子は初対面の鉄也にめろめろになり、鉄也は趣味の時計修理とかしていて興味なさそうなのだが、子供たちが一緒になってくれればありがたい、という点では一致して合意したので蝶子は喜んで帰っていく。
千春はバレエに打ち込んでいてクールで、バレエスクールにいるシンデ(芦川いづみ)- シンデレラの略だって – がずっと横にいて、慎一も同様に冷徹に学生の頃から打ちこんでいる投資と金勘定に夢中で、経営していたパチンコ屋を芸者の筆駒(瑳峨三智子)に売ろうとしたり、バーをやるためにマダム船越トミ(山根寿子)を連れてきたりして、でも本人の思惑とはぜんぜん別のところで千春との件に嫉妬したトミと筆駒、シンデなどがいろいろ取り乱したりかき混ぜたりの脅しや中傷をしてきて、でもそんなので互いを好きになるわけでも嫌いになるわけでもないから、なんだろうね? ってきょとんとしている。
要するにあまり恋愛とか恋愛関係とか結婚にも興味がなさそうなふたりで、でも周囲はそこに強い関心をもってぶつかったり煽ったりしてくるようなのだが、そういうのに煩わされずにどうにかするにはどうしたらよいのか? やっぱりふらふらしていて先が心配な互いの父と母をなんとかしないと落ちつかない → 結婚してもらえばいいじゃん? 特に蝶子は鉄也がだいすきみたいだから、と犬猫をやりとりするように持ちかけてみると、彼らの方ではあんたら - 娘と息子が一緒になって片付いてくれたら安心して逝ける、というようなことを言うので、わかった - それならこっちも一緒になるか、って。
結婚を世間一般がいうような落ち着き先/落ち着くための方策、として捉えてはいるものの、そのイメージはどちらかというと棺桶のような、この先ゆるやかに安心して死んでもらいましょう、みたいなかんじで、まあ実際にそうだと思うけど、その手始めとして少し棺桶寄りの鉄也と蝶子の結婚式が神前式で行われてああよかった、って娘と息子は安心する。
この辺、ふつうだと結婚は愛と夢のゴールで、その若者たちの門出を父母が暖かく見送る(はず)、そこを目がけていくものなのにこのドラマではぜんぶがほぼ逆のベクトルで動いていって、それなのにみんななんとなく淡々と幸せそうにしていて相手にそんなに関心がない - この辺が怪談、とくに「青春」の時期に起こってはならないようなこと、なのだろうか? そしてそれ以上に、そんな事態になっていても当事者たちの温度は平熱以下 - 冷血動物のそれでちっとも動じていないあたり、も怖い?
家父長制の呪いによって家から強いられて一族揃って地獄門をくぐる婚礼のほうがよっぽど怪談でホラー、というあたりを見据えているのと、登場人物のなかで最も一途でまっすぐな蝶子やシンデらがまるで化け物のように奇異に描かれているのが、(視点として)おもしろいかも。結婚とか婚姻とかどうでもいいし、お金とかバレエのほうがよっぽど大切。
主人公たちは最後まで、自分はこう思う、とかわたしはこういう主義だから、などと言うことはなく、それでも彼らの行動にブレはなく、自分の思いなんて届かなくたってへっちゃらで、嚙みあっているようで実はあまり嚙みあっていない頓珍漢な状態を維持しつつ、淡々と人を動かしながら決着させてしまう脚本が魔法のようにすばらしい。
そして我々はそのヘンテコなドラマを北林谷栄の婆やとなって、襖の裏で聞いたりしているの。
RIP Vivian Trimble.. Luscious JacksonもKostarsもだいすきだった。 やってらんないよう。
4.12.2023
[film] 青春怪談 (1955)
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