4.26.2023

[film] 少年 (1969)

4月15日、土曜日の晩、国立映画アーカイブの企画『没後10年 映画監督 大島渚』で見ました。
これまで大島渚ってあまりきちんと見てこなかったし。しかし『幻滅』みて『るつぼ』みてからのこれは、とってもきつかった。もうやらない。

実際の事件、そこにいた家族をベースに全国でロケをして撮った1000万円映画(低予算映画)路線の作品。

父親(渡辺文雄)と母親(小山明子)と息子 - 父の連れ子 - の少年(阿部哲夫)とその下にもうひとり小さい子のチビ(木下剛志)がいて、一家4人は家を持たずに地方を転々としながら道路脇でやってきた車にわざと飛びこんで転んで「いたたた… どうしてくれんねん?」て因縁つけてお金をふんだくる「当たり屋」をやってて、それでお金が入るとその土地の温泉とかに浸かって団らんして次の土地に移っていく。

父は乱暴で先のことを考えていない遊び人で、母は少しはソフトだけど雌ライオンでやはり強くて、初めのうちは父が「当たり」をやっていたのだが具合が悪くなってきたので、替わって母が腕まくりしてやるようになり、やがて見よう見まねで少年が「当たり」をやるようになって、でも金をたかる時の相手とのやりとりとか、絶えない父と母との諍いとか、移動ばかりの日々が嫌になったのか、ひとり旅館を飛び出して列車に乗って遠くに行こうとするのだが、一晩を海で過ごして戻ってきたりする。

でも喧嘩のやりとり以外のところで少年の独白とか思いが語られることはほぼなく、子供らしいお喋りというと宇宙のことくらい、でも親もチビ- まだ喋れないし - も相手にしてくれなくて、少年は少し上を向きほぼずっと白目を見せる状態でむっつり黙っているしかない。

最後、北の雪に覆われた町での「当たり」の際に、車中の少女を殺してしまったかもしれない赤がずっと残って。

戦後の貧困のなかにあった家族の像を、きつかったけど家族は家族(暖)、のように詩情や情緒みたいのを挟んだり引っ張り込んだりで描いてしまうのって『万引き家族』(未見)とかにもあったのかもしれないけど、でもどんなに映画として優れていて評価されたとしても、やはり子供がかわいそうすぎて個人的には見たくないやつで、この作品だと作る側のひりひりした怒りと絶望感は伝わってくるのだが、日本の家族って昔からずーっとこんなこのままじゃん、って。(映画とは関係ないけど)


月見草 (1959)

4月16日、日曜日の昼、国立映画アーカイブの同じ企画プログラムから見ました。

松竹大船の助監督によるシナリオ同人誌に発表されたメロドラマ「美しき水車小屋の少女」の映画化で、大島渚は脚本担当、監督は岩城其美夫で、これが監督デビュー作となる。

海辺の小さな町の高校生修一(清川新吾)は恋人の恭子(十朱幸代)と水車小屋の脇で会ったりする恋仲だったのだが、大学受験に失敗して浪人になった彼が一年間東京に勉強に出ることになり、勉強に集中したいから試験に通るまでは会わないようにしよう、って修一は恭子に伝えて厳しくて、見送りすら許してくれない。 修一の弟の健次(山本豊三)はそんな彼女をかわいそうに思って話しかけたりするのだが、彼が恭子を好きになってしまったのは明らかで、もじもじしていると恭子の家の事情に起因した縁談が立ちあがり、このままだと彼女貰われていっちゃうよ、って修一のところに行くのだが、この大変重要な時期(受験だって。大人になるとこれが「仕事」になる)にそんな話を持ってこないでくれ、って固まってしまうので、そんななら僕が、って健次が恭子に近寄って、彼女の縁談の件もなんとかするしいざとなったらふたりで駆け落ちしようよ、と告げると彼女は驚きつつも親の決めた相手のところに行くよりは、って少し明るくなるのだが、親たちと健次が話し合うことになった場面で…

これ、「メロドラマ」というより100%バカで愚鈍な兄弟が引き起こしたディザスター悲劇(人殺し)で、こいつら救いようのない独りよがりのクズだな、って途中からなんだかとっても腹がたってしかたなかったの。 (ふつう、彼女が海に向かったことがわかったら大慌てで大騒ぎして捜すよね? なに泣き崩れてるんだ?)


明日の太陽 (1959)


↑のにも出ていた十朱幸代とか山本豊三とかを含む、松竹の新人スターたちをミュージカル仕立てで順番に紹介してよろしくね! という大島渚助監督時代の6分間の短篇で、みんないかにも若手っていうかんじで見得きったり華やかなコスチュームで登場したりして微笑ましいのだが、↑ でなんだこの悲しいのは明日の太陽なんてしるか... になってしまったので、あんまり楽しめなかったかも。

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