4.30.2023

[film] 愛神 手 (2004)

4月20日、木曜日の晩、シネマート新宿で見ました。
邦題は『若き仕立て屋の恋』、英語題は”The Hand”。

監督はWong Kar Wai、撮影はChristopher Doyle、音楽はPeer Raben。
Michelangelo Antonioni (1912-2007)によるオムニバス映画 “Eros” (2004) - 『愛の神、エロス』 (未見)の一篇として公開された際の44分版に12分を加えた56分のLong versionで、日本の劇場では初公開となる。このオムニバス、AntonioniとWong Kar Wai の他にはSteven Soderberghの名が。 一週間の公開期間の最終日だったせいか結構混んでいた。よいこと。

冒頭、男女の会話 -女性の姿が見えない状態で「こんな姿になってしまって」と静かに嘆く女性の声とそれを首を振って懸命に打ち消そうとする男性の姿があって、そこから過去に遡る。

60年代の香港、店子でお使いもしている若い仕立て屋のチャン(Chang Chen)がお得意さまのホア(Gong Li)の家に行ってメイドに案内されて居間で待っていると男女の喘ぎ声が響いてきて、その後に彼女の前に立ったチャンは、腰の前に置いているその手をどかしなさい、って命令され、そのあとはされるがままで、今だったらパワハラ&セクハラ混合のあれなのだが、そうやってやられてしまったチャンは彼女に持たされた粽にも欲情してしまう - その反対側で粽を巻くホアの腕の白くて細くて絵画のようにすごいこと。

(おいしい粽たべたいよう)

こうして彼女のお気に入りの仕立て屋となったチャンは採寸やお届けで頻繁に彼女の家に出入りして、彼女からの注文は精魂こめて作るようになるのだが、彼女の家の中で待っている時に伺われる様子から、彼女の仕事はそんなにうまくいっていないこと - パトロンだか客だかとの罵しり喧嘩とか予定がころころ変わるとか滞っていく仕立て屋への支払いとか - が明らかになり、彼女の仕事は高級娼婦であることがわかるのだが、そんなことをとうに知っていたであろうチャンは彼女がどんなに傲慢でも意地悪でも顧客である彼女の言うことや言いつけを忠実に聞いて信じて、彼女の纏う服やドレスの仕立てや寸法に集中する。

やがてその家を引き払って、”Palace Hotel”という名の場末の安下宿に流されてしまうホアは、海岸で観光客を拾って連れ込むようになり、でも体を壊してて相当やばそうなんだけど、という大家に家賃を払ってあげたり、かつて頼まれたままだったドレスを届けようとするチャン…

愛だの恋だのそういうのではなく(そりゃ勿論あるけど)あくまでも仕立て屋とその顧客、という関係を固持してその針と糸にありったけを込めて思いを遂げようとする、それしかできなかった/許されなかったチャンの、決して悲恋、ではない彼の恋。 彼にとっての彼女が美しくあってくれれば、その美しい体に触れて包む服を裁ったり縫ったりできればそれで十分なのだ、と。

『春光乍洩』 (1997) - 『ブエノスアイレス』で、やくざな野良猫のウィン(Leslie Cheung)をなんとか繋ぎとめようとしていたファイ(Tony Leung)とファイの前に現れた純朴なチャン(Chang Chen) - 役名は”Zhang”と”Chang”でほんの少し違うが - を演じていたあのまっすぐな青年が南米から戻った後に仕立て屋としてファイの後を継ごうとする。

そしてこれが(今のところ)WKWとの最後の仕事になっているChristopher Doyleの切り取る建物の滲んで爛れた街の光と湿気のすばらしさ。その滲みが人肌と服に染みていって、その仕上げは仕立て屋の針と糸で。

こういう静かで、でも皮膚の裏で沸騰しているようなエロスを表現するのって、少し前であれば溝口健二や増村保造が若尾文子あたりでふつうに撮っていたやつだと思うが、もう日本ではできない気がしてしまうのはどうしてか。

2003年、SARS流行下の香港で撮影されたそうだが、感染防止に万全の注意を払いつつこういうドラマ - 触れてはいけない・いや・でも、って右に左に悶える - が撮られた、ってなんだかおもしろい。 コロナの世だったら仕立て屋はまず彼女のためにパーフェクトなマスクをつくったに違いない。

今年も1/3がいってしまわれた、と。 あーあー。

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