12.21.2021

[film] Last Night in Soho (2021)

12月11日、土曜日の午後、シネクイントで見ました。

一昨日19日の晩に、Edgar Wrightが愛してやまないSOHOの映画館 -Curzon SOHO – 彼はロックダウン前後によくここの写真をUpしていた - で“LAST NIGHT IN SOHO’s last night in SOHO”っていうトークイベントがあって、行きたかったなー、だったのだが、そこではSOHOという土地に対する彼の想いがいっぱい聞くことができたに違いない。

コーンウォールに祖母と暮らすEloise - Ellie - Turner (Thomasin McKenzie)はデザイナーになりたくて、合格したLondon College of Fashionに入学しようとひとり家を出る。自殺した母の残したレコードから60年代のロンドンのカルチャーに強い憧れを抱いていた彼女にとってロンドンの学校生活はキラキラの希望に満ちたものだったが、幽霊なのか幻影なのか、母 (Aimee Cassettari)の姿を鏡の中に見たりする彼女のことを祖母は少し心配している。

ロンドンに着くなりタクシー運転手に絡まれて嫌な思いをしたり、寮に入れば同室のJocasta (Synnove Karlsen)と彼女の仲間たちから意地悪な扱いをされたのでそこを出てMs. Collins (Diana Rigg)の下宿に間借りすると、その晩、60年代のSOHOにある盛場でSandie (Anya Taylor-Joy)という同い年くらいの女性を目にして、SandieはそこのマネージャーのJack (Matt Smith)に取り入って歌手になるべくオーディションを受けたりしている、そういうリアルな夢をみる。その夢のなかでEllieはSandieを外から見ているというよりも写鏡を通して彼女の感情まで伝わってくるような、いつもそんな近い位置にいる。

初めは華やかだし歌もうまいしSandie素敵!がんばれ、とか思っていたものの、やがてJackがSandieにそこにきた男性客の相手をするように仕向けているのを見て、Sandieの辛さや嫌悪がわかるようになると、こんな夢は見たくないよ、になるのだが、夢のなかのSandieは助けを求めるようにEllieを見つめてくるようでー。

だんだん夢を見るのが怖くなり、パブで夜のバイトを始めてもSandieのことが頭から離れなくなって彼女の行動も常軌を逸したものになっていく。Sandieはかつてこの部屋に間借りしていた女性の霊かなにかなのか、彼女はEllieになにを訴えていて、なにをしてもらいたがっているのか..  などなど。

夢を見ることの怖さが、その部屋とか彼女の周辺にいる人たちの怖さに伝播して彼女を追いつめ、その謎が明らかになったと思った途端 - 明らかになったことで別の角度からの恐怖がたちあがってわらわらと襲いかかってくる。そういう段段の構造で戸板がひっくり返るようにEllieにやってくる恐怖とパニックは、見ている我々には恐怖というより、その恐怖が明らかになった後は残酷な痛ましさ、として映ってしまうので、これがホラー映画として意図されたものなのだとしたら、少し失敗なのかも。都会に出てきた少女の試練やひどい思いをするお話、として見れば、ややナイーブすぎる気もするけど、わからないでもないかも。

学校や寮での仲間との虐めのようなやりとりとか好意をもったばかりに酷い目にあうボーイフレンドのことも、なくてもよいくらいに薄いし、Terence Stampはもう少しうまい使いようがあった気がするし、亡霊になっているママがどこかで出てきて助けてくれるのかと思ったのに、とか。Edgar Wrightさんとしては、まずあの時代のロンドン - 魔都SOHOの物語を撮りたくて、そのためには女性が主人公である必要があって、そのためには… ってやや無理をしてしまったのかも。男の子の冒険物語だったらいくらでもぐいぐい突っ込んでいく、その痛快さと勢いがあまりなかったような。

あと、”Beat Girl” (1960)からの影響はとてもよくわかった。Jack役はこっちだとChristopher Leeがやっていてー。

SOHOのいろんな通りや建物や角がちょこちょこ出てくるのでとても懐かしくて。だいたい週末の最低どちらか一日は必ず通っていた。ロックダウンで人がいない時でも日本食材店とか海外の雑誌屋はやっていたし。ロックダウンになる前だと、Second Shelfで古本を見て、雑誌屋とレコード屋(3つ)を覗いて、お腹がへったらドーナツとか食べてSOHO SquareをまわってFoylesで新刊本を見て、締めにCurzon SOHOかPicturehouseかPrince Charlesで映画を見て帰る - こんなサーキットを延々繰り返して、でもちっとも飽きなかったの。ここまでいろんな - 本屋とレコ屋と映画館とデパート(Liberty)と食べ物屋がぎっちり詰まった界隈は世界のどこを探してもなくて、ここはそういう状態を維持した「繁華街」として100年くらいやってきたのである。ほんとに何が起こったって不思議じゃない気がするし。


あーあ、どっか行きたいな、ちぇ。(こればっかり)

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