12月8日、水曜日の晩、オーチャードホールで見ました。来日公演の最終日。
チケット代がすごく高いし、コロナが収束するとは思えなかった(→結局中止)し、直前まで買うのを保留していた。けど、もうこれでたぶん最後にするからもうほんとに最後だから.. って(確か前回もそう思った)。 意気込みとしてはその程度だったのですこしだけ書く。
2019年の50周年記念ツアー – “2019 Celebration Tour”の、Royal Albert Hall 3daysのうちのday1(6月18日)に行ったのが彼らを見た最後。
なんかはじめはふつーにグチとか文句しかなくて、ものすごい人混みでしかも年寄りだらけで怖いし暑いし、ツアータイトルの“Music is Our Friend 2021”ってなんだそりゃ、だし、ビジュアルセンスはひどいし – ひどいのは大昔からだった – とかなのになんでこんなに人気があるのか、プログレのくせに – でも最近はプログロックなんだよな変なの、とか、撮影禁止だけど最後にTony Levin氏の合図で、とか小学生かよバカにしているわ、とか。
最近のRobert Frippの発言やインタビューをとんと見ていない - 見るのはトーヤとのなんとも言いようのないめおと囃子ばかり - ので、このツアーの編成や構成の狙いや意図をじゅうぶんわかっていないものの、このバンドの成り立ちは(少なくとも80年代のreboot以降は)ディシプリンだの規律だの、それらの絶え間ない実践の場(ライブも曲もバンドそのものも)として自ずと組織化されクオリティコントロールされている - その厳しいありようがKCのKCたる由縁で、常に最新で最高なのです – ってThe Great Deceiverな言いっぷりで、まるで50年間ずっと安定した人気を誇るレストランみたいなもんなのかも。
なので鉄板の前で包丁技を競い合う3人のドラムスがフロントで、背後に弦と管と声が、というのはディシプリンの末の完成された形態としてここ20年くらいずっとあって、客の関心はクラシックの定番料理に加えてどの程度新しめのネタを盛ってくるのか、そういうところにあったり。
本当はかつてSparksやKraftwerkがやったようなアルバム単位での全曲披露をやったほうが集客できそうな気もするのだが、それはたぶん絶対にやらない。
なんでいつも前方のドラムス部隊と後方のギター、ベース、メロトロンの組を対立する二項のように見てしまうのか、その時点でFrippの思うツボなのではないか、とか思うのだが、なんかやめられない。3つのドラムキットが編みだすどかすかぐにゃぐにゃした混沌がまずあって、それを鞭を使って統御できる(できているように見せる)場を壇の上から探す旅、その材料としての過去のどす黒い楽曲群。 オトコのバンドだよねえ、とも思う。The League of Gentlemen ていうのもあったし。
ライブでの“Red”って、メインのリフの終わりのところに一音はさむ(ぎゃーん、が、ぎゃっぎゃーんになる)のがずっと嫌でたいへん気持ちわるいので、Change.orgで「やめてほしい」って言いたい。あとMel Collinsのきらきらした管とかあってほしくないし。
前回の個人的なピークは「猫飯」で、今回の個人的な野望はまだなんでかライブで出会えていない“Larks' Tongues in Aspic, Part Two”が聴けたらなー、だった。その気配がないのであーやっぱりだめかも、と思っていたらアンコールの最初でやってくれた。この後にそのまま”Part III”か”Fracture”でもやってくれたらなー、だったのだが、最後はやっぱし”Starless”だった。 このまま会場まっくらにしちまえばいいのに明るく楽しく写真撮影なんて、だれがのってやるもんか、って。
いまのところの心残りは、来年5月に延期されたままになっているLondon PalladiumでのVan der Graaf Generatorとなる。まだチケットは捨てていない。
12.17.2021
[music] King Crimson
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