12.16.2021

[film] Annette (2021)

12月8日、水曜日の午後、英国のMUBIで見ました。あれこれがまんできなかった。
どうせ映画館でももう一回見るだろうし。 Leos Caraxが今年のカンヌで監督賞を受賞したミュージカル。Caraxの娘Nastyaに捧げられている。

MUBIの上映のあとにおまけで付いていたSparksのふたりへのインタビューによると、”Holy Motors” (2012)の時のカンヌでCaraxと知り合ったふたりがLAに戻って、当時作っていた作品を彼のところに送ったら興味を持ってくれたらしく暫くしたら一緒にやりたいと言ってきた、と。なので原作にはMael兄弟がクレジットされている。(Sparksのドキュメンタリーにもあったように、彼らにはJacques Tatiとの実現しなかった映画プロジェクトがあったりするし、つまり)

冒頭はスタジオで(Leos Caraxはモニターの前に)Sparksを含むキャスト全員がオープニングタイトル- “So May We Start”を歌いながら外の通りに飛びだしていく(ワンカット?)。これだけで十分あがる。

Henry McHenry (Adam Driver)はバスローブを羽織って女性コーラスをバックに毒舌・自虐ネタをオラオラくりだすスタンダップコメディアンで、ソロで十分お客を呼べるくらいの人気者で、Ann Defrasnoux (Marion Cotillard)はソプラノのオペラ歌手で大スターで、自分のソロ公演での歌の世界では何度も死んで(殺されて)いる。

そんな美女と野獣ふうのふたりの恋の行方はTVの芸能番組でも繰り返し取りあげられていて - その様子は都度インサートされる - カメラの前でもふたりはお構いなしのべたべたで - “We Love Each Other So Much” - バイクで一緒に走り、野原を歩き、ベッドでセックスして、当然のように結婚してAnnetteが生まれる。

お人形さんのようにかわいい、というか映像として映っているのはリアルに動く女の子のお人形(Ann + Marionette = Annette?)で、目の中に入れてものかわいがりようで、でもこの頃からHenryに対するセクハラの告発が複数の女性たちから上がって、当然のようにメディアは集中砲火を浴びせてラスベガスまで進出していた彼のショーはぼろぼろになっていく。

そんななか、家族で船に乗って夜の海に出て行ったとき、暴風雨が襲ってきてAnnは海に落ちて亡くなってしまう。その晩、Henryは月夜に照らされた独りぼっちのAnnetteがAnnの声で歌っていることを発見する。 こいつはすごい、ってAnnのExの伴奏者(Simon Helberg) - 後に指揮者 - を引き連れて行ったAnnetteのショーは父のスキャンダルと母の悲劇を背負った不憫な娘の歌、として大当たりしてツアーまで組まれて..

荒唐無稽で人工的な - 緑と黄色の色使い - 世界のなかで食い合いながら流されていく魂たち。表向きはTim Burtonあたりが描きそうなドラマ、なのだがどれだけ禍々しい救いようのない世界だったとしてもそこには(どんな形であれ)愛というやつがこびりついていて、その手に負えないしょうもなさが居座ってどん底で渦を巻く、その動物のような野蛮なありようはどんな人工の細工もなぎ倒して肉屋の軒先にぶら下げられて見世物になる。その底を掘りながら這って生肉を見ようとする目、その目の暗さと、でも。

Adam Driverは、まあすごい。こないだの「決闘裁判」で最後にぶら下がることになる肉の塊、最後の方の貌はあれに近い獣のようなところ(Annetteの対極)にまでいって、赦しも救いもないままにドアの向こうに。

光(Spark)に照らされれば歌がでてくる、そういうからくり人形として作られているようなのに、でも明らかにAnnetteは生きている(あれ、どうやって動かしているのかわからないけどすごい)。いつ彼女がナイフを手にしてチャッキーのような猟奇に走ってしまうのか、化け物に変容してしまうのか、そういうスリルも確かにあった。無生物と生物の間に横たわるぶにょぶにょした何か。Sparksの音楽って70年代の絢爛からテクノを経て現代まで、檜舞台に現れては消しあうドラマチックな愛だの欲望だのの刹那。これは確かにSparksの映画でもあるのだった。


お片付けの季節がやってきたらしいが、地震がきたらどうせ崩れるのでもう少し待ってみたい。

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