もうお歳であることはわかっていたし、ライブの話も聞こえなくなっていたので覚悟はしていたもののやはり残念だし悲しいし。
彼はあのギター - 爪弾くでも引っ掻くでもなく、とてもよく鳴ってしなって波打つパーカッションとしてのギター - とその波に寄せては返しあの声で延々と呟き続けるあの歌い方、話法を小さなバスルームの中で開発して発明した。 外にはリオの青空と浜辺が広がっているのに、それらとは一切関係のない閉ざされたバスルームの中でずうっと鳴って揺らされていた音、そこを起点とした静かな波動はいまや世界中に- 空港のラウンジからスーパーマーケットからエレベーターの中でだって聴くことができて、その音のありようときたら、その出処を考えると異常なかんじすらする。 豆電球とか蝶番とか蛇口とか、そんなように偏在してある、動物の鳴き声にも似たなにか。
彼の発明をきっかけに広がっていった音の世界はジャンルを越えた果てのないものだったが、彼自身のレコーディングの音もライブの音も、最後の最後までギターと声、スーツ着て座って動かないそれらの組み合わせだけのシンプルなもので、でも2時間でも3時間でも、何百回でも繰り返し聴いていられた。
飽きない、というよか、飽きるとかそういう性質のものではないの、と言うのが精一杯で、お経のような、鳥の囀りのようなものだから、という言い方はどちらの方にも失礼にあたるかも知れない、けど他にどう言えばと?
彼のライブを最初に見たのは95年の4月、その前年に亡くなったAntonio Carlos Jobimの追悼の時で、当時のブラジル大統領も客席に現れたAvery Fisher Hallで代わりばんこに演奏したのは、Lee Ritenour(音楽監督), João Gilberto, Astrud Gilberto, Milton Nascimento, Gal Costa, Caetano Veloso, Nana and Danilo Caymmi. Michael Franks, Sting, Herbie Hancock, Dave Grusin, Michael Brecker, などなどで、あまりに気持ちよすぎてこのまま棺桶に入れてほしいと思ったのは後にも先にもこれしかなくて、そんななか、Joãoはやはり特別枠でソロで4曲歌って弾いて、アンコールは「イパネマの娘」しかないに決まってるでしょ、とばたばたとAstrudが呼ばれて、ふたりのデュエットを見たのもバンド編成で彼のライブを見たのもこれが最初で最後だったが、Stan Getz役のMichael Breckerがとちったり、周囲のスゴ腕たちがみな緊張してガタガタになっていたのが微笑ましかった。
これの後は2年か3年に渡ってCarnegie Hallで2回か3回見た。00年代には見ていない。(来日公演のときは米国にいたし)
今後はアーカイブ音源と映像を可能な限り掘りだしてあの音の謎と驚異に迫っていってほしい。
映像と言えば、2011年のNYFFで見たドキュメンタリー”Music According to Tom Jobim”(2011)の上映後のQ&Aで、なぜJoãoの映像が入っていないのか? と問われた監督のNelson Pereira Dos Santos氏は、Joãoは自分でドキュメンタリーを作ろうとしているようで貸して貰えなかった、と言っていたのだが、そういうのも含めていっぱいあるはず。
もちろん、そういうのを見て聴いたからといって、彼のような人が出てくるとはおもえないのだけど。
本当にありがとうございました。 ご冥福をお祈りします。
7.07.2019
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