7.01.2019

[film] Stonewall (1995)

6月28日、金曜日の晩、Stonewallの暴動から50年目のこの日にあまり上映される機会がないらしいBBC製作のドラマを。 同じテーマとタイトルではRoland Emmerichによる”Stonewall” (2015)があって、これは日本でも公開されたがこっちのは未公開みたい。

上映前に脚本のRikki Beadle-BlairさんとプロデューサーのAnthony Wallさんのイントロがあり、監督のNigel FinchさんはAIDSで亡くなる直前までこの映画の編集をしていたこととか、当時は今のようなLGBTQの人権の話なんて(LGBTQの概念そのものすら)ないし、なんでBBCがアメリカのことを、という声もあったり大変だったらしいのだが、アメリカ側のプロデューサーChristine Vachon - Todd Haynesの諸作を手掛けている – の強力なドライブもあって作りあげることができた、と。

Roland Emmerich版を見たことあるひと? の声にぽつぽつ手があがり、他方で”sorry..”の声もかかって、あれはカナダで撮っているけど、こっちのはちゃんとNYで撮っているしさ! とか。確かに見てみると、こっちの方が数段すばらしいものだった。

ポップコーンMovieでもあるので楽しんでいってね!! と。

本編の前に”Happy Birthday, Marsha!” (2018) ていう、これはStonewallの生き証人と言われるMarsha P. JohnsonさんとSylvia Riveraさん(この人は暴動には参加していなかったらしいが)の生前の姿と現在のLGBTQのありようをコラージュした短編が上映された。

本編の方は、一応Martin Dubermanによる同名のメモワール本を元にしていて、若者Matty (Frederick Weller)が田舎からバスでGreenwich Villageにやってきて、路上でLa Miranda(Guillermo Díaz)と出会い、彼/彼女の部屋に間借りしてStonewall(ここの門番がLuis Guzmán)にたむろしていろんな人と出会って学んで成長していくのと、Gay rights獲得のために活動する市民グループに加わってそこで彼氏ができたりとか、Stonewallを経営しているマフィアのVinnieと情婦のクイーンBostoniaとの切れたりくっついたりの縁とか、いくつかの人間関係を並行して描きつつも最後には砂時計が落ちていくように暴動になだれこむ。

エピソードの区切りにはお姐さんのグループがジュークボックスでかかるThe Shangri-LasとかThe Shirellesに併せて楽しく口パクで歌ってくれたり、Judy Garlandの死が象徴的に描かれていたり、いろいろカラフルにぶち込んであって、ポップコーンなのね、と。

Roland Emmerich版が田舎から出てきた若者の事情(家族とのあれこれも含め)とか暴動に至るまでの経緯やり取りをきちきちと積み上げて整合するドラマとして盛りあげていったのに対し、こっちのは散文的に雑多なエピソードとひとりひとりの不敵で素敵な面構えを蒔いて散らしていって、暴動のところはねずみ花火が弾けるように突然に暴発し、「おれはこのために戦うんだ!」って力強い啖呵と共に終わって、最後はおおおーって全員が拍手した。

映画的にはものすごく粗くて雑で素人みたいなとこもいっぱいあるのだが、たぶん、Stonewallで起こったことを、その歴史を継ぐっていうのはあの瞬間に立ちのぼった火花とか怒りとか、その背後にあった歓びも含めて(決してヒロイックになることなく)、こんなふうにぶちまけるのが正解なのだろうと思った。ここがこんなふうに終わったからこそPrideはあんなに雑多に猥雑に輝いているのだし、延々終わらないお祭りになるのだし、そうなってよいのだ、ということがよくわかった。

とにかく真剣で切実で、彼らの生きた顔がくっきり残るので、それだけでよくて。

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