15日、月曜日の晩、CurzonのBloomsburyで見ました。 英語題は”Never Look Away”。188分。
一応フィクションなのだが、画家Gerhard Richterの生い立ちと人生にインスパイアされた、と言っていて、でも出てくる絵画はもろ初期のRichterのそれだし、Düsseldorf Art Academyでアートの先生として出てくるのはどう見たってJoseph Beuysなのに違う名前で、なんかへんなの。(Reichter自身はこの映画を認めていない模様)
ナチスが台頭してきた頃のDresdenで、幼いKurt BarnertがおばのElisabeth (Saskia Rosendahl)に連れられて巡回のEntartete Kunst - 頽廃芸術展 - Neue Galerieのコレクションそのものだわ - を見て、アートに目覚めるところが冒頭で、ラディカルでかっこいいElisabethはKurtにそういうアートも含めて”Never Look Away” - 目をそらしてはいけない - というあたりを教えるのだが、彼女はその無防備な挙動から分裂症と診断されてナチスの施設に強制的に連れ去られて、婦人科の教授Carl Seeband (Sebastian Koch)は彼女を収容所に送って、やがて彼女はガス室で..
第二次対戦が終わり、ロシアによって戦犯として捕らえられ牢獄に入れられたSeebandは、ロシアの高官の妻の難産を救ったことから釈放され、Dresdenのアートスクールで絵を学ぶKurt (Tom Schilling)はおばにそっくりで同じ名前のElisabeth - Ellie (Paula Beer)と出会って付きあい始めるのだが、Ellieはおばを収容所送りにしたSeebandのひとり娘であった、と。
絵画の技術は申し分なかったのに当時の社会主義アートのありようには馴染めず、自分のスタイルを模索して壁にぶつかっていたKurtは、Seebandが(彼を釈放したロシア高官が国に帰ってしまい逮捕される可能性が出てきたから)西側に渡ったその後を追うように、Ellieとふたりで壁で分断される直前のDüsseldorfに渡り、当時もっともぶっとんでいたDüsseldorf Art Academyで(誰がどう見たって)Joseph Beuysに接して影響を受けるのだが、Beuysの社会、戦争とアートを巡る言葉などがもっともであればあるほど、自分の絵を描けなくなっていく。
人間関係のドラマとしては最愛のおばを殺した(奴であることをKurtは知らない)元ナチスの戦犯を義父 - とてもやな奴 - として持ちつつもEllieとの愛を貫いた、くらいで、あとは激動の戦後ドイツを生きながら、アートは社会にとってどうあるべきで、自分の絵画(voice)はそこにどう関わることができるのか、で苦しむKurtの姿と、Seebandのナチス時代の上官が逮捕されたという新聞写真から写真絵画を描きはじめて何かを掴むまで、がほとんどで、でも、だからといってそこから彼のアートに関する視野視点が示されることもないので、そこがなー。
ジャーナリストが2002年にGerhard Richterのおばがナチスの収容所で殺されていること、更に彼の義父がナチスの高官で医師であったことを明らかにした、そこから転がして作ってみたお話のようなのだが、そういう事実があったからRichterのアートがああなった、なんて軽く結べるほど彼のアートは狭くちっぽけなものではないので、最初から企画として無理だったのではないか。 はったりでもよいのでKurtに自分の言葉でなにか語らせればよかったのに。 アートに関して一番残るのはJoseph BeuysがKurtに向かって語る言葉で、それは圧倒的に正しいのだが、それでよいの?
BeuysからRichterへの線について考えるよい機会にはなったことは確か、だけどさ。
ただ、ナチスと戦争によって壊された市民の生活とそこを通過してアートはどうあろうとしたのか、を戦後のアバンギャルドのような「ムーブメント」とは別の角度からねっちり描いてみようとした、というところはわかるし、ひとつの家族、ひとつのカップルにフォーカスしたことでとてもドイツっぽい緊張感溢れるドラマにはなっていた、と思う。
でも、この設定だとどうしても浮かんでしまうのは『ブリキの太鼓』とかなのよね。
音楽はMax Richter節が全開で、ずーっときりきりくるくるしていて、たまんなかった。
日本ではこないだのBeuysのドキュメンタリーと一緒に上映してほしい。
あー許されるものなら亡命したい ...
7.21.2019
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