7.16.2019

[film] Nuestro tiempo (2018)

13日、土曜日の午後、CurzonのBloomsburyで見ました。174分の。

英語題は”Our Time”、昨年の東京国際映画祭で上映された時の邦題は『われらの時代』。
Carlos Reygadasの映画は見たことがなくて、見てみたかったの。

冒頭は浅い池だか沼があるだだっぴろい平原で子供たちのグループとそれより少し大きい青年たちのグループが泥まみれになったり泳いだりだべったり楽しそうに遊んでいるシーンで、でも彼らが中心に来るわけではなくて、彼らが遊んでいる土地の持主であるJuan (Carlos Reygadas)とその妻Ester (Natalia López - 実際に監督の妻) のおはなし。

Juanは闘牛用の牛を育てる牧場を持っていて(実際に監督の所有している牧場だそう)、そこでは牛も含めて沢山の人たちが働いていて、Juanはそれだけではなくて詩人として有名な名士で、3人の子供たち(これも彼らのほんとの子供たち)も元気で、Esterとの関係は互いになんでも言いあうオープンな仲だと公言しているのだが、Esterが仕事に出かけた先でアメリカ人の馬の調教師Phil (Phil Burgers)と関係を持った、というとJuanの様子がだんだん変になってくる。

映画の軸になるエピソードはそれくらいで、あとは牧場の元気な牛たちとか、EsterがMexico Cityのホールに聴きにいくティンパニの協奏曲とか、車に乗っていてすごい土砂降りとか、飛行機上から下界に下降していくところとか、いろんなパーティでのぐさぐさとか。Esterの告白を聞いて最初は平静を装っておいおいとか言っていたJuanもEsterがもうしない会わないと言ったのに裏で会っていたことを知ると猜疑心の塊りになって彼女のスマホをチェックするようになり、EsterのほうはそんなJuanを見てどんどんうんざりして離れていくようになる。

で、もうこれじゃあかん、と自分でも思ったJuanはしばらく旅にでることにして、病で終末治療をしている友人のところに行ってぼうぼう泣いて戻ってきて、でもやはり一緒にいるEsterとPhilを見ると…

『われらの時代』というと1924年に出たヘミングウェイの短編集 – あれは"In Our Time"だったけど – が思いだされて、闘牛のことも出てくるし、自分がいちばん強くてかっこよくて偉いと思っている男のイキリと実はその裏側で傷ついていじいじしたりナイーブなところだってあるのさ、というの(愚直でいいじゃん、とかいう「男」のバカさ)を割と正直にストレートに描いたやつだったと記憶しているのだが、その辺のかんじはあるかも。若いころにはあれこれさあー、とか。 でもまあ、関係ないか。

それにしてもJuanのしょうもない嫌なやつっぷりときたら、ラスト近くにEsterとPhilの前でねちねち独白していく修羅場シーンなんて、Juanの喋る口内(?)の音処理の異様さもあってとても静かでこわい。あの後暴発して全員殺しちゃうんじゃないか、ってくらい。

こんな具合に音処理とか車内のカメラの動きとかところどころでなにこれ?のような遠近が消滅して眩暈を呼ぶ瞬間があって、それが他人にはどうでもいい夫婦の痴話喧嘩と、それを演じているのが実際の夫婦で、しかも片方は全体を監督までしているという、別の種類の眩暈と重なって、その外では闘牛を控えた雄牛たち(でもどうせそのうち殺されてしまう)が唸りをあげている、そんな世界 – "Our Time"。

音楽は車で運転中にカーステレオから流れてくるGenesisの”The Carpet Crawlers” (1974) がえらく唐突で、でも大好きな曲だしすばらしくて、更にラスト、牛たちがもうもう走ったり歩いたりしている朝靄が輝く牧場のシーンで流れてくるKing Crimsonの”Islands” (1971) がこれまたありえない美しさで、ここだけあと10分くらい続けてくれてよかったのに。
(牛が高いところから突然落っこちてしまうところだけびっくり)

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