ヒースローには13日土曜日の15時過ぎに着いて、へろへろだったけどうるせー、って家に着いて荷物置いて解いて、17時過ぎにまずThe Second Shelfの本屋に行って(久々だったしここ日曜は開いてないから)、そこからRough Trade Eastに行ってRecord Store Dayは一見食い荒らされててだめかもだったけど結局いくつか買って、インストアでGang of Fourやるのかーとか思いつつまたSOHOに戻ってSister RayでRSDのを買い足して、21時くらいにおうちに戻って洗濯しながら死んでた。もう若くないんだからこういうのは止めないとね。
これから日本で見たのとか、書きたいやつからてきとーに書いていきます。
日本に行ったらふつうに日本の映画を見たいわと思うのだが、メジャーなとこでやっている邦画なんて見たくもないし、「名作」と呼ばれる大御所のもあんま見たくないし、タイミングも含めると丁度よいのってなかなかないもので、前回来たときは『ひかりの歌』だったが今回はこれ、もうじきのだと『嵐電』とか。
これはねえ、ものすごくよかった。泣いたり走ったり叫んだり殴りあったり性交したり難病になったり死んだり殺したり奇跡が起こったり、青春映画ってそういうのがあれば/あるから、ではなくて、そもそもこういうのをいうの。 キスもしない、手を握ることすらないけど、こういうのこそ。
2018年の2月の初めから3月くらいまで、まだ氷が張ってて寒そうな頃のお話。 山口県の山口市(行ったことないや)の公立のラボ - YCAMが地元の中高生相手に地元の植物を採取してそのDNAを調べて自分たちの植物図鑑をつくろう - 新種が見つかったりするかもよ、ていうプロジェクトのワークショップが冒頭にあって、そのワークショップから野に放たれていくファシリテーターのうめちゃん(伊藤帆乃花)と中学卒業(高校受験)を控えたタケ(栗林大輔)とシュン(安光隆太郎)のふたり、それ以外にも男子2人組(天使たち)とか女子4人組とか、彼らがどんなふうにワイルドをツアーしていったのか、そのツアーは彼らになにをもたらすことになったのか。
出演者たちは、撮影の前に出演者の選考を兼ねてYCAMで行われた映画製作のワークショップに参加した若者たち(みんなすごくよくて全員出すことにしたから選考にはならなかったそう)で、みんな映画には興味がある子達だからと撮影中彼らに持たせて個々に撮らせたiPhoneの動画も物語には挿入されていて、それとのコラージュや段差もよいのだが、なんといっても映画に興味はあっても自分が撮られる側になったときの彼らの演技 – 映り方 - に対する拘り(のようなもの)が露わになっていった、というその辺の経緯は、上映後の監督と五十嵐耕平さん(『泳ぎすぎた夜』 - 未見 – の監督)とのトークで知って、とてもおもしろかった。
こういう起点のストーリーだと、ツアーに出たところで死体を発見するとか得体の知れない何かに噛まれたり憑りつかれたりといったホラー展開になってもおかしくないのだが、彼ら – 少なくとも真ん中にいる3人 - が発見してしまったのはそれとはぜんぜん異なる「恋」みたいなやつで、しかもぜんぜんおもしろくないしどうしていいかわかんない3角形のそれであるという。
更にうめちゃんもつきあっていたYCAMの職員の男から離れたばかりで、タイミングも中途半端で、そういうときに限って恋ってのはなんかの胞子みたいに飛んできて、野生(wild)で、めんどい。
それは「発見」であるから彼ら自身もどう扱って振るまってよいのかわからない - DNAの塩基配列のようなタケの手紙とか - その揺れや惑いの瞬間がそのままカメラに曝されているので彼らの表情 - 眉がぴくっと動いただけでわーってなる。それがあるから、それだけですばらしい青春映画になっていて、じゃあそれがないとつまんないのかよ? というとそんなわけないしな、といったところも含めるとこれはパーフェクトな青春映画と言えるのではないか。
彼らが見出したものは新種の植物よりももっとすごく貴重なやつなんだよ、ていうことを誰も声に出していわないとこもよくて、なぜってこのツアーってずっと続いていくやつだから。
上映後のトークでもうひとつおもしろかったのは、タケは手紙で想いを打ち明けたけど、彼だったら手紙じゃなくて直接言ったと思う、そしてそうすればうまくいったはずだと、彼を演じた子が言っていたと。 なるほどそうかも。 重要なのは発見することじゃなくて自分のものにすることである - 勉強になるねえ。
ひょっとしたら街中の本屋行ったりレコ屋行ったり映画館行ったり美術館行ったりするのもこのツアーの続きなんだと思うし、更に時間が経つと記憶をたぐる(失われた時を…)、っていうツアーも始まるし、これは終わるものではないので、少なくとも恐れる必要はないの(なにを?)。
中心の3人以外のとこもすごくよくて、特にカニパンのところは「うぅっ」って声あげそうになった。これまで映画史に何回カニパンが登場してきたのか不明だし、他にもっといいカニパンシチュエーションはあるのかもだけど、とにかくここのカニパンはすごいし、カニパンはこんなふうに映画に出てくる瞬間をずっと待っていたのではないか、と思われた。
ないとは思うけど、続編ができるとしたら、YCAMのファシリテーターになったタケのところに立派な研究者になったうめちゃんが帰ってくる、ていうすんごく凡庸で身も蓋もなさそうなやつを夢想する。
ぜんぜん関係ないかもだが、思い浮かべた映画が”Leave No Trace” (2018)(日本では公開されたのかしら?)で、経済的に破綻した父娘が森の奥で自給自足の隠遁生活をしているのを見つかって捕まって教育されてしまう - トレースされることから逃げつつも新たななにかを発見していく話で、”Wild Tour”はすべてをトレースしていくことを企んでいったら別のなにかが起動される、ていう話で、恋ってトレースじゃなくて、ジャンプなんだよな、とか。
ああう、ノートルダムがあ…(悲鳴)
4.15.2019
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