4.30.2019

[film] Avengers: Endgame (2019)

こっちから先に書こう。27日土曜日の深夜23:59の回、BFIのIMAXで見ました。
ぼーっとしていたら前売りはあっという間に売切れてて初日のなんか(BFIのIMAXだと)ぜんぜん無理で、ようやく取れたのがここくらい。この回も当然売り切れのぱんぱん。

この日は昼間から賈樟柯の”Ash is Purest White” (2018)を見て、夕方にAgnès Vardaの”La Pointe-Courte” (1955)を見て、21:00から40周年の”Monty Python's Life of Brian” (1979)を見て、ここまででじゅうぶんへろへろだったが、しょうがない(なにが?)。

Sky TVのケーブルでは一か月くらい前に”Infinity War”が放映されだし、公開1週間前に”Ant-Man and the Wasp”が放映されて、他のMCUモノも延々リピートしてくれていたので予習はたっぷりできて、なにが来たってだいじょうぶだよ、の状態にはなっていた。

ネタバレ厳禁、みたいな話がいっぱい聞こえてくるが、この場合のネタというと、まずAvengeresは勝つのか負けるのか → これはどう考えても勝つのが当たり前で、ではどのように勝つのか、そこで誰かが死んだり消えたりするのか、あたりがポイントになるのかしら。
でもいっつも思うけど何度でも言うけど、ネタバレしちゃダメ、ってマーケティングする側の理屈だからどうでもいいよね、いや最近はSNSで広がっていっちゃうので困るのです、かも知れないけど、でも広がってバレたって、見たいひとは見にいくんじゃないの? → いやでも楽しみが半減するという声が.. → あのさー、楽しみくらい自分でコントロールしなさいよロボットじゃないんだから。  ほーんとに映画売るひとたちってださい政治家とおなじでうざい。自分たちをなんだと思ってるのかしら。ほとんどThanosよね。ぶつ切りにしたろか。

181分。でもワイズマンのドキュメンタリーよか、”Barry Lyndon” (1975)よか、”Heaven's Gate” (1980)よかぜんぜん短いし、楽勝よ。前後編に分けてのリリースにならなくてよかった。

“Avengers: Infinity War” (2018)からの続きで、間に”Captain Marvel” (2019)を挟んで、2008年の”Iron Man”から始まったシリーズとしては22作目の、いちおう区切り、でよいのかしら。

“Infinity War”はゲームでいうとぼろ負けで、半分くらいが灰になってどこかに消えて、Tony Stark (Robert Downey Jr.)は宇宙のどこかを彷徨ってて、最後にNick Fury(Samuel L. Jackson)が灰になる直前に呼びだしたCaptain Marvel (Brie Larson)の助けを得て彼を救いだして、残ったみんなで宇宙のどこかで隠居していたThanos (Josh Brolin)を探しだして石はどうした?  と問うと、引退したレスラーみたいになっている彼は再利用されないように壊しちゃった、とかいうのでふざけんなボケ、って首をだっきんして、そこから5年が過ぎる。

“Infinity War”には出てこなくて(ここがポイント)突然シャバに現れたAnt-Man(Paul Rudd)がおいらのquantum realmの理論が使えるかも、って、いやいやそんなの絶対無理、とか議論と試行の後、Thanosが石を持っていく前の時代に飛んでって石を持ってきちゃえばいいんだ、になって、みんなはAnt-Manのスーツの数十倍かっこいいの(デザインして生産する人たちがまだいた)に身を包み、いくつかのチームにわかれて石を求める旅にでる。 ていう「指輪物語」に時間旅行がくっついたみたいなやつが前半で、後半は戻ってきた連中が、連中が戻ってくることを知って先回りというのか後回りというのかしたThanosの化け物団ともう一回衝突するの。

われわれは前半で過去にMarvel Cinematic Universe (MCU)で起こった出来事をひと通りおさらいして、後半で各ヒーローの勇姿と決め技の数々をおさらいして、その隙間にTony Starkとパパ (John Slattery)の、Thor (Chris Hemsworth)とママ (Rene Russo)の、Steve Rogers (Chris Evans)とPeggy Carter (Hayley Atwell)の切ない逢瀬と別れにじーんとして、つまり過去21作分のMCUを走馬灯することができる。 ここで一旦終わるのであればこれでじゅうぶんじゃろ、というThorのトンカチくらいの重量感はある。

それにしても改めてMCUの裾野のでっかさには改めて感心した。米国の軍需産業とその技術から始まったIron Man、米国の戦争の歴史をカバーしたCaptain America、それらを束ねて結成されたS.H.I.E.L.D.に、冷戦期のソ連からWinter SoldierとBlack Widow、アフリカ域からBlack Panther、アジア域からDr. Strange、化学実験で生まれたHulk、物理実験で生まれたAnt-Man、(西欧/北欧)神話領域からきたThorにLoki、ハイスクールからSpider-Man、サイキック系からScarlet Witch、宇宙連れ去られ系のStar-Lord、宇宙ひっかぶり系のCaptain Marvel、宇宙の野生/自生系のGuardians、でもなぜか宇宙人も含めて全員流暢な英語を話して、流れる音楽はほぼ70年代であるという-。

Russo Brothersの演出は接近戦と全体の俯瞰のコントラストを描くのがうまくて、”Captain America: The Winter Soldier” (2014)も同”Civil War” (2016)もすごいと思うし、一瞬しか出てこないような人物の掴まえ方もよいと思うのだが、その分、ひとつだけあるとすると、鳥肌が立つような、涙と涎がぼうぼうに湧いてしまうようなカタルシス満載のすごい絵を出さないし出せないみたい。 ここはしょうがないのかなあ、って。

あと、Captain Marvelの猫が出てこなかったのははっきりと不満だ。アライグマとやりあってほしかったのに。

ここから派生する作品として失われた5年間を生きた誰かと誰かの物語とか、Steve Rogersの最後の時間旅行のとこはラブストーリーとして誰かきちんと作ってほしい(それまでChris Evansをリリースしたらあかん)。

言うまでもなく今の我々はEndgameを生きている。資本を握ったものがすべての権力を無化し、歴史修正主義者は混乱を避けるために書庫を燃やし、見たくないものを見えなくした状態で失われた4年(合衆国)のうち2.5年が過ぎた。なんとしてもここで失われた過去の、異なる者たちの声を呼び寄せて再生しなければいけない、そこにしか勝ち目はないのだ。 といったことをスケールのでっかい漫画にしてみせたのはすごいな、とちょっとだけシリアスに思ってみたりもする。

Harry PotterマラソンとかLoad of the RingマラソンとかをやっているPrince Charles Cinemaはそのうち22作マラソンもやるのかしら、と思っていたらAlamo Drafthouseが既にやっていたのね。 案の定、人体実験になって相当きつかったもよう。

“I am.. inevitable”て言ってボタンを押す、みたいのがはやらないかしらー。

終わったら朝の3:30で、調べたら地下鉄がきれぎれ動いているようだったので乗り継いで帰った。
こんどは階段から落ちないようにゆっくりそうっと。

劇場でもうあと一回くらい見て、またなんか書くかも。

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