2.21.2018

[film] Skammen (1968)

13日の火曜日の晩、BFIのベルイマン特集で見ました。英語題は”Shame”。

町から少し離れた畑のなかの一軒家にEva (Liv Ullmann)とJan (Max von Sydow)の夫婦が住んでいて、ふたりとも元オーケストラでヴァイオリンを弾いていたのだが今は自分らで育てた果物とかを売りに出て暮らしていて、Evaは子供を作りたいとか言うのだがJanは戦争も来そうだしいろいろ不安で乗り気じゃなくて、少しだけ不協和しているかんじ(でもそこらにあるごく普通の)。いつものように町に果物を配達に出て酒屋とかに寄るとそこの主人に暗い顔で戦争になりそうだ、と言われる。 ふたりの家ではラジオも電話も切れていてそんな情報は来なかったと。

で、彼らが家に戻るといきなりふたつの軍勢(どっちがどっちなのか、それぞれどう違うのかは一切解らず)が衝突して撃ちまくり放火しまくりの戦争が始まって(ルースターズのC.M.C.か..)、大慌てで町の方に逃げるのだが商店に入ったところで一網打尽で捕まって、ひどい扱いされて尋問されて、やがて善玉なのか悪玉なのかわからない将校が寄ってきてEvaとJanそれぞれ別々に駆け引きを持ちかけ、そういうのがふたりの関係を壊して、糸が切れた凧のようになって互いになにをどうすることもできなくてどうしようもない。(それが戦争というもの)

“Silence” (1963)でも壊れかけた姉妹の関係を象徴するのだか混乱させるのだか街中に唐突に戦車が現れる場面があったが、ここでの戦争もそれまで続いていた関係を孤絶させたり壊したりする – 町や村を焼きつくし人を殺す以上に、まずはそういう装置、有無を言わさない冷酷な機械のような強さでもってどこかからやってくるもので、その理不尽さや唐突さを酷い、ということは簡単なのだが、そこから戦争ってよくないよね、という方に向かうのではなく、ここには戦争だけではない別の何かとか力が働いているのではないか、あるいはこれって戦争じゃなくても起こりうる何かの兆しなのではないか、という問いが浮かんできて、更にそこにいつもの、神さまあなたは結局、やっぱしなんもしれくれないよね、なんなの? という問いをぶつけてみることにあんま違和感はないの。

もういっこは夢、ということ。Evaの台詞のなかに、全ては夢のなかのことのように見える、それは自分の夢というよりも誰か他の人の夢で、でもそこに参加しないわけにはいかなくて、というのがあって(先日BFIでBergmanの映画における女性、というテーマのトークがあって、そこでもこの台詞は取りあげられていた)、そういう感覚の延長にあるかのような、ひたすら不快なだけでリアリティを欠いた戦争の描写。

すべてが神さまのいない/神さまがなにもしないところ、他人の夢のなかで起こるようなことなのだ、とした時、そこにこの「恥」というタイトルはどんなふうに効いてくるのか。そういう状態を作り出している連中(神さま、映画作家?)にあるのか、そういう状態を受け容れてしまっている主人公とかこちら側にあるのか、あるいはそういうのぜんぶ、既に生きてるだけで恥まみれ、みたいな状態になっているということなのか。

難しいことをわかり易く言うでも、わかり易いことを難しく言うでもなく、ただただ即物的な会話や風景のようにこれらが転がっている、カフカ的な迷宮とは別のパスで(..ベケット?)、でもこれらは不条理とかで片付けられるのとは違って、すぐそこに、目の前にあって、というようなことを考え始めると止まらなくなって、ベルイマンの沼にはまるというのはこういうことなのかも、というのがようやく見えてきた気が。

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