7日の晩、BFIのPreviewのチケットが取れたので、見ました。誕生日に半魚人映画を。
1962年、アメリカの海岸沿いの町にElisa (Sally Hawkins)がいて、首筋に子供の頃からの消えない爪傷があって、手話でしか会話できなくて、映画館の建物の上に一人で暮らしてて、隣人のGiles (Richard Jenkins)は広告画家でゲイで猫と暮らしてて、ふたりは仲良くて、それなりに世界はできあがって安定して回っていたのだが、ある日彼女が夜勤で清掃している(政府系?軍?の)施設に行くと厳重な警戒を敷かれた水槽一式が運び込まれて軍人と思われるRichard (Michael Shannon)が息巻いてこいつは俺のもんだとかわあわあ騒いでいるのだが、指を噛み切られて血まみれになったりしている。
水槽の中にいるやつに興味が湧いたElisaは掃除をしながらゆで卵をあげたりしつつそいつとおっかなびっくり仲良くなっていくのだが、そいつはRichardの調査で虐待されて弱ってきたのでなんとかしてあげなきゃ、とGilesや同僚のZelda (Octavia Spencer)の助けを借りて一緒に脱出計画を立てて実行しようとする。 そこにソ連の科学者 - 工作員(実は善玉)とか、やたら勘が良くてサディスティックにヒステリックに追っかけてくるRichardが絡んで、どうなってしまうのか。
大枠はそういう流れで、でも真ん中にあるのは社会の片隅でひとりぼっちで生きてきた彼女(この映画に出てくるのはみんなひとりぼっち)と畸形 - 希少生物 - 研究素材として扱われている半魚人の水面下の手探りの恋が、そんなことってありうるのか? ていう惑いや驚きや力瘤や希望を乗っけて夜の町に、水の中に思いっきり解き放たれ、水は彼らのすべてを包みこむ、そういう愛のほうにあるの。
Guillermo del Toroの異形畸形動物に対する愛(さっき、BAFTAの監督賞受賞スピーチで、Mary Shelleyへの感動的な謝辞を)、クラシック・モンスター映画(善玉悪玉が明確に分かれる)に対する愛、それらの愛を包み込んで溺れさせてくれる水に対する愛(この包み込む・覆われる、への志向はホラーのジャンルでも同様のアプローチを..)、その水のかたち (The Shape of Water) をなんとか掴まえ、捕らえようとする試みはちょっと昔のミュージカルとか御伽噺の体裁をとりつつうまくいっていると思った。とにかくElisaとあれが幸せになってほしいよう、って誰もが願ってしまう、そういううねりをうまい具合に起こしてくれて、それはあのラストのうわああーっていうあれに繋がる。
ゆで卵とか、ネコを食べちゃうとことか、キャデラックとかおもしろいエピソードがいっぱいある反面、血がでるとこは痛そうすぎてちょっときつかった。
Sally Hawkinsさんの水との相性、変てこ動物(含. Paddington。来年はGodzillaまで..)との相性の良さは驚くべきものだが、それ以上にMichael Shannonがものすごい形相で前に出てきてしまうので半魚人 vs Michael Shannonみたいになっちゃったのも残念だったのかもしれない。
でも、改めて自分にとってこの領域は“Splash” (1984) のがいいなあ、て思ってしまった。
今日(18日)の午後、うちから歩いていける一番近い上映館(であることを知った) - Ciné Lumièreで、もう一回見た。 なんで見たかというと、上映前に音楽のAlexandre Desplatの挨拶があって、 彼ってどんな人か見たかったから。 ただ彼、フランス語でえんえん15分くらい喋っていたので … だった。後で少し慌てて司会のひとが英語でフォローしてくれたのだが、映画自体がすばらしい広がりを持って深く展開していくので音楽を組み立てる必要はあまりなかった、とか、フルートとか口笛はぜんぶ彼自身が吹いているとか、もっといろんなこと言っていたと思うのにー。
彼がロンドンに来たのはもちろん今晩のBAFTAの授賞式に出るためで、見事に受賞したねえ、おめでとうー! でした。 彼の音楽の細やかさときたら、主人公のエモのひだひだと半魚人のエラに寄り添って離れないほんとに素敵なやつなんだよ。
2.18.2018
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