15日の晩、VictoriaのCurzonで見ました。 2Dで。英国でもすごい人気だねえ。
昔々のアフリカに隕石が落ちて、そこに含まれていた金属の驚異の効能がとっても無敵のBlack Pantherと強い軍隊と技術革新で抜きんでたWakandaの国を生んで、ずっと続いていたTribe間の抗争を終結させましたとさ。 そこから92年のカリフォルニアに移って、Wakandaの金属で闇取引をしていた男を囮捜査で始末したのが T'Challa - この映画のBlack Panther (Chadwick Boseman) - のパパで、そこから更に現代の、“Captain America: Civil War” (2016) で描かれたテロでパパの国王が亡くなった時に飛んで、T'Challa = Black Pantherが新たなKingとして即位して、でもその金属を巡る闇の抗争は続いていて、新たな王様の元にも25年前の火種が降りかかってきて、隣国も含めて国をひっくり返す大騒ぎになるの。
これだけであれば別にMarvelのスーパーヒーローものでなくても、現代の文脈でも(シェイクスピアまで言うか)通用するものであって、その汎用性 - これは「我々」の物語である - が高い評価を得ていることはわかる。母なる大地、Homeであるアフリカ、そこから弾かれて生き残ってきた者たちの強い思いは敵であろうが味方であろうが変わらない、そういう者共がそれでもなお権力を、更なるパワーを志向するのだとしたら、それはどんな形でありうるのかを若い王の成長の物語として描く。
全体の枠組みは夢の国へようこそ、の目くるめくアクション・ムービーでありながら、辺境、権力、部族、多様性、継承、存続、共存といったエッセンスを巧みに散りばめて、これは遥か彼方にあるアフリカの、夢の国の話じゃない、これから書かれるべき我々のHomeの物語なのだ、という。
“Civil War”で顕在化した例えば、ヒーローとは何なのか? 技術とパワーがあって強ければいいのか? あれだけの市民を犠牲にしても? 自分の親のことだと怒り狂うくせに? といった素朴な、でも肝心の問いのいくつかはそのまま引き継がれて、たぶん次のAvengersで(..これまでもそうだったけど..)ぜんぶ地球外脅威のせいにして団結しなきゃ、ってお茶を濁す。
それはそれでいいし、それがこの作品を貶めているとは全く思わないのだが、ここまで風呂敷を広げたのであれば、なんで人は権力を志向するのか、王を必要とするのか、トライブだのネイションだのを作ってしまうのか、といったところまで掘り下げてほしかった - 昔からそうだったから、他もそうだから、ではなく、ひとはなんでへなへなと無力のまま仲良く日向ぼっこしていられないのだろう? ていうのはこういう力こぶ満載圧倒的なあげあげのを見るといつも思ってしまう。 猫にマタタビ撒いてやれ。
一部のヒップホップに乗り切れないのはこの辺が引っかかってしまうからかしら、とか。
なので韓国の酒場でのどんぱちが一番おもしろかったかも。
唯一白人で出てくるMartin Freemanがほんとうにどうでもいい白い存在なのもおかしかった。
元飛行機乗りのCIAにぜんぜん見えないというー
黒ヒョウがいて、ゴリラがいて、でっかいサイが出てきて、でもライオンがいないのはディズニーのあれのせい?
あしたからの週末、一泊でベルリン行ってきます。 ベルリンはじめて。
終わりそうなベルリン映画祭ではなくて、Ingrid CavenとHelmut Bergerの舞台をみにー。
2.23.2018
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