先に書いたように17日、土曜日の朝は目覚めたらびっくりの雪世界で、雪はまもなく雨に変わって夕方まで続く、とか言っているのでBrooklyn行きはとりあえず諦めて、ずっと行きたかった映画館に行ってみる。 丁度お昼にこんなのやっていたし。
朝ごはんを食べたWest Villageから地下鉄のF LineでEast Broadwayまで。 Lower Eastの最深部、近所にはMission Chineseがあって、Doughnut Plantの本店もある。
映画館で映画を見る/映画館に通うことが日常の大きな部分を占めていて、そこを通して世界のおおよそ半分を見たり学んだり呼吸したりしている者は「理想の映画館」ていうのを割とよく夢想したりするわけだが、このMetrograph、ていう映画館はそういうののものすごく近いところに寄ってくるやつだった。 この辺は長くなるのでもうまた後で。
上映前のくだんないCMなんてなくて、かかった予告はこれだけ。
http://www.imdb.com/videoplayer/vi751744537?ref_=tt_pv_vi_aiv_1
トルコの猫映画。 見たいなー。
さて、”ParaNorman”。 この館は35mmフィルム上映が基本なのだが、これはやっぱり3DのDCP。
この12月、ここでは”From Coraline to Kubo: The Magic of LAIKA”ていう小特集があって、イブとクリスマスのお昼にはいよいよトリで“Coraline” (2009)がかかるの。
Norman(Kodi Smit-McPhee)は自分の祖母(Elaine Stritch)を始めとして、いろんな死んだ人達が見えたり彼らと会話できたりしてしまうので少し困っていて、そんなある日、やはり同じように死者が見えてしまう叔父(John Goodman)がNormanのとこに来て、ある日の日没までにある本を読んで町を呪いから守るように言ってそのまま死んじゃって、Normanと仲間たちはなんとか本を手にしてがんばるのだが何故かそいつは効かなくて魔女に呪い殺された7人が墓石を倒してゾンビとして蘇り、町は大混乱に陥って、更に森の奥では伝説の魔女が蘇ってくる。 セイラムの魔女狩りを題材に、これはアニメのなかの話ではなくて、今の世でもごくふつうに起こりうること、のように描いている。
最後の、Normanと女の子の対話のところはほんとうに悲しくて、とても刺さって迫ってくるの。
虐げられていたちょっと変な子がたったひとりで邪悪な何かに立ち向かい、世界を背負って戦ってみると、その邪悪な何かっていうのは実は世界そのものだった … ていうのがちょっとダークなLAIKAの3Dアニメの基調にあるような気がするのだが、ここのも正にそうで、魔女を魔女にしてしまったのはなんだったのか、それはね。 こないだSeattleで見た”Kubo and the Two Strings”にしても、子供にとっては試練と冒険かもしれないけど、ほんとは子供 - Normanと女の子 - にこんな思いをさせちゃいけないのだし、世界をこんなふうにしちまったのは自分たち大人なんだから「彼ら」に謝って反省しなきゃいけないんだわ、て強く思う。
で、ゴミみたいなアニメに塗れた日本ではこういうのはやっぱり上映されない。どれだけ邪悪で腐っているんだ、って。
(ジブリのアニメにあんま乗れないのは彼らが当たり前のように描く大人衆や権力の醜さとか悪さとかって、主人公が戦う相手でしか、安全圏から高みの見物できる奴ら、でしかないからなんだ)
音楽はJon Brionで、ジャンクにゴスに神経線維のちりちりまで濃厚かつ繊細にかき鳴らしてくれる。
アナログのサントラ買う決心ついた。
この日、この映画館、21:00の上映は”Carol”で、結構早くから売り切れてた。 いいよねー。
12.24.2016
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