12月2日の金曜日の晩、新宿のポーランド映画祭で、一本くらい見なきゃ、ということで見ました。
今回はアンジェイ・ワイダ特集で、企画を進めていたら監督が亡くなってしまいそのまま追悼特集になってしまったのだと。
で、上映前に今回の特集に向けた監督のインタビュー映像が流れて、これが追悼として流れちまうとは、って監督は天国で憮然としていると思うわ。 背後でずっとばうばう吠え続けているわんわん達はきっとなんか警告していたんだよ。
『夜の終りに』 英語題は、”Innocent Sorcerers”。
イエジー・スコリモフスキとイエジー・アンジェウスキーが脚本に参加している、ということだがとてもそんなふうには見えないなかなかぼんくら系、ふぬけた青春映画。
散らかったアパートの一室でバスローブを着た若者バジリ(Tadeusz Lomnicki)が髭をそったり電話したりしてて、とっても自信家のかっこつけ野郎ふうで、これから身支度して出かけようとするところ。 彼はリングサイドドクターらしくて、仕事場に行ってもボクサーみたいな足さばき口さばきで適当に仕事をやっつけて、そのままクラブみたいなとこになだれこんでバンドでドラムを叩いて、ひとりかわいい娘をみつけるのだが、彼氏と一緒だったので、相棒に指令だして男のほうを車でどっかに連れ去ってもらい、彼女を自分のアパートに連れ込むのだが、女の子のほうもなかなか一筋縄ではいかなくて、部屋から突然消えちゃったりしてなんなのでしょう、どうしろってんでしょ、ていう夕方から朝までのおはなし。
「罪のない魔法使い」 - 魔法にかけられたやつの負け惜しみよね。
なにかに追われているわけでも目的地に向かっているわけでもないのだが、ずっと主人公の後ろ頭を中心にえんえん追っかけ続けるカメラからは止まってしまうことへの、或は終わってしまうことへの問いとか焦燥とか、やっぱしこうあるべきなのではないか、みたいなのがじんわり滲んでくるかんじはして、つまりは、例えば、”Slacker" (1991)に始まるリンクレイターの時間と町と女の子をめぐる諸作の源流として、あそこまでの計算づくはなさそうだけど、なんかあるのかもしれない、とか。 スコリモフスキの果てなく終わりのないかんじとか。
当局の検閲で相当ひっかかった、と上映前のインタビューで監督は言っていて、でもそれらのシーンはあんまピンとこないのだが、そういうもんなのな。
マッチ箱を宙に投げて立った転んだで服を脱がせる/脱いでいくゲームをふたりがやるとこが出てきて、おもしろいねえ、と思ったけど、結局脱がせないのね、ありえないわよね。
夜明けの探索のシーンでバンドの連中がでてきて、そのなかに音楽担当のコメダもいる、あとどこにいたのかポランスキもいたらしい。 いろんな連中が混じっていた朝までの青春で、そういう青春はいつも朝までで白々しく終わって、終わらない。
12.14.2016
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