11月23日のごぜん、新宿でみました。
もうそんなに若くないけど美人のジュリエッタ(Emma Suárez)は住んでいるアパートで片付けをしていて、恋人のロレンソ(Darío Grandinetti)のいるリスボンに引っ越すらしい。 片付け荷物のなかに気になる封筒もあったりするのだが、再出発なんだから、ていうかんじに前を向いていたら町で娘の幼馴染だった女性とすれ違い、彼女から娘のアンティアを偶然スイスで見かけた、と言われて動揺してその晩、引越し片付けで処分しかけていたのを掘り起こしてしまう(そんなことしちゃぜったいだめよね)。
次に彼女がしたのはロレンソにはごめんあたしやっぱりリスボン行かない、て告げて、以前娘と暮していたアパートに同じ部屋は無理だったけど戻って、つまり娘探しを、娘となんとしても再会するんだと覚悟を固めて、でもそれって振り返らないことにしていた自分の過去を掘り返すこととおんなじで、ここから若い頃のジュリエッタ(Adriana Ugarte)のお話になる。
80年代、古典の代用教員だった彼女は旅先に向かう夜行電車で真向いに座った男がちょっと気味悪かったので食堂車のほうに行ったら漁師のショアン(Daniel Grao)と出会って、そしたら電車が急停車して、やな予感がしたら向かいの男が自殺してしまったことがわかって怖くなり混乱と衝動に任せてショアンと寝てしまう。
ショアンは結婚していたがジュリエッタが彼の海辺の家を訪ねてみると丁度亡くなっていて、入れ替わるように娘のアンティアができて家族3人で暮らすようになる。
で、娘がサマーキャンプでいない間にショアンとちょっとした諍いがあって、その直後にぷいっと漁にでた彼に被さるように嵐が襲って彼は亡くなり、衝撃を受けて動揺した彼女はアンティアに彼の死をきちんと告げることができず、けっか娘は母に不信感を抱いたまま親友と旅にでて、そのままどこかの教団での合宿生活に入り、母は娘を取り戻そうと手を尽くして手紙をいっぱい書いて、誕生日にはケーキを用意していつまでも待ったのだが会えなくて、そのまま12年が過ぎて、現在のジュリエッタに戻る。
誰にも必ず起こりうる死別や離別、他者からすればそれ自体はそんなに大したことでもなさそうなことを、でもそれでも痛みを伴って引き離され去勢されてしまうことの不可思議や驚異を皮膚のレベルからラテンのマチズモにエロに母性、へんてこリアリズムまで駆使して情念たっぷりにオーケストレートする、ていうのがアルモドバル映画の特性のひとつだと思っていて、それはたまに主人公の嗜好とか臭みでついていけなかったりもするのだが、この作品は原作がカナダのアリス・マンローというせいもあるのか、とてもさらさらするりと入ってくるものだった。
電車の男の自殺も、夫が海に出ていって帰らなくなったことも、娘がどこかに出ていって戻らないことも、自分の周りから人がいなくなってしまうのはぜんぶジュリエッタのせい、と言おうと思えば言える、けどそんなのは... ていうふつうの物言いはなんの慰めにもならなくて、じゃあなんかを信じて祈るか、てなことも言えない、そんなの正解とか落としどころなんてないのよ、ていう、これもまたアルモドバル映画を貫いているまともさ、といおう。
12.03.2016
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