11.29.2016

[film] Every Thing Will Be Fine - 3D (2015)

11月20日、日曜日の昼間に渋谷で見ました。 3Dのほう。 小さい画面でも3Dで見るべき。

一度どこかの機内で見ようとして、ちゃんとした形でみなきゃ、と途中で抜けていたやつ。

Tomas(James Franco)は雪原の掘っ立て小屋に籠って創作に苦しんでいる作家で、妻のSara(Rachel McAdams)とは電話で話す程度で疎遠になってて、雪のなか車で買い物に出た際に、一瞬の不注意で家のそばで橇で遊んでいた兄弟のうちのひとりを轢いてしまう。 轢いてしまったのは母子家庭の絵本作家のKate(Charlotte Gainsbourg)の子供で、信心深い彼女は嘆き悲しみながらも彼を赦して、Tomasは自殺未遂までして苦しみながらなんとか次作を書きあげ、数年後、編集者のアシスタントだった子連れのAnn(Marie-Josée Croze)と結婚して成功した作家になっている。 やがてKateから精神障害を抱えているという息子(事故で生き残ったほう)のChristopherの相談を持ちかけられて - -。

こんなふうに冒頭の死亡事故を除けば大きな事件もなく子供たちは育ち、親たちは右往左往して、Tomasの父は老いて、Kateのわんわんも老いて、住処は変わり、危なっかしくも移ろって歳を重ねていく。 とても小さな世界、誰の身にもありそうな出来事の連鎖連続を扱いつつ、最初の事故の、そこから飛び散っていった複数の出来事の絶対質量、可視不可視をミクロに丁寧に拾って積みあげていく。 3Dというのは、3Dといえどもあるディメンションから見た様相が他では見えない or まったく異なってみえる、ということを提示・暗示する道具だてで、心理的な騙し絵として機能するところも含めて、このドラマの、このドラマを生きる人々の視野のありようを示す重要な役割を果たしている。 特に終盤、夜中にChristopherがTomasの家に侵入しているところとか、なんかすごい。

もうじき書くとおもうが、母の死から始まる『母の残像』- "Louder Than Bombs"とおなじように、残された家族たちの意識の流れや揺れを、そこから掻き出して救いださざるを得ない悲しみをぽつぽつと置いていくかんじ。
爆弾よりもでっかい音で全方位で鳴って、走って逃げても襲ってくる音 - (この映画だと3D)。
そんなことをしてなんになるのかわからない、そんなことわかっているけど、でも...  こんな、それこそ何百万回も重ねられた問いのなかを泳いでいくこと、その傍で、陽が昇るまでそばにいてあげること。

ひとつの死を中心にこんなふうに周囲の生は危うく廻って重なっていくのだと、これって昔からあるテーマのような気もするのだが、とても今日的なものであるようにも思える。 そんなにも今の我々(特に子供たち)の生は分断され断片化されてひとつになっていかない、ということなのか。

邦題の「誰のせいでもない」は違うと思う。 その文脈で使うのであれば「誰のせいでもある」であって、そのあとでようやく、息絶え絶えに"Every Thing Will Be Fine"とつぶやけるのではないか。 この作品を見て「誰のせいでもない」なんてどうして言えるんだろ。 なんでも両論併記で責任を回避してなかったことにしようとするのと同質の昨今の気持ちわるさがあって、それってなんなのかしら。

ゆらゆら深く澱んで足元を金縛りにするAlexandre Desplatの音楽はすばらしくて、これを2日間で仕上げて録音してしまったヨーテボリのオーケストラ、えらい。

11.28.2016

[film] Our Kind of Traitor (2016)

14日の月曜の晩、日比谷でみました。 『われらが背きし者』

原作はル・カレので、彼の原作のは基本読んでから見るようにしているのだが、ぜんぜん時間なくて、映画はここでしかやってないみたいだししょうがないか、と見てしまった。

スパイものではなくて、ロシアマフィア、ギャングのおはなし。

大学で詩を教えているPerry(Ewan McGregor)は妻との壊れた関係を修復するのにやってきたモロッコで、怪しげで豪放そうなロシア人Dima(Stellan Skarsgård)と出会って仲良くなり、彼の娘の誕生パーティで陰に呼ばれたところでUSBを渡され、ここにマフィアと癒着している英国の政治家のリストと口座番号があるのでMI6に持っていってほしい、と言われる。

もちろん簡単に信用できるわけない渡された英国側とぜんぶ渡したら組織に即刻消されてしまうので最後のピースを渡すのは自分の家族の安全が確保されてからだ、と動じないDima側と彼らの動きを察知して潰しにかかるマフィア側の駆け引きが国を跨いで山を越えてじりじりと進んで狭められていって。

最初は見えなかった細かな、微細な関係の糸、企ての全貌が物語の展開と共にゆっくりと顕わになっていって、並行してその蜘蛛の糸のぷちぷちがちょっとした感情の揺れや弱さによって脆く簡単に崩れさって落下する、そのありさまを淡々と描く、ていうのがル・カレのドラマの中心にある魅力だと思うのだが、今回のはその辺がちょっと弱かったかも。

たぶん、例えばスパイの世界だと行動の様式や振る舞いや掟がその世界のなかである程度均質化されていて(だから、その上での裏切りとか寝返りとかができる)のだが、今度のはマフィアの世界と情報機関の世界と一般人の世界、これらのばらけた、別個の論理で動く世界を強引に物語のうえで融和させようとしたとこに難しさがあったのではないか、あるいはその見えないかんじと難しさのなかにこそ今の時代の「取り引き」とか「駆け引き」はあるのだ、ということを示したかったのかもしれない。 けど、そういう難しさって別にふつーにそこらにあるもんよね、ていう見方だって。 

いや、原作はそのへんも含めて十分に深くしっとり網羅されているのだ、ということかもしれないけど。
たしかにDimaのキャラクターとか小説のなかでは相当に深く趣き深く描きこまれているんだろうなー、とか想像できる、ていうかこの映画のStellan Skarsgårdの得体の知れなさわけわかんなさがすばらしくよくて、そう思ってしまったの。

あとさーでもさー、Ewan McGregorが大学で詩を教えているひとには見えないのよねー。

[film] Jack Reacher: Never Go Back (2016)

13日、日曜日の夕方に新宿でみました。

カバンもクレジットカードも携帯も持たずによくわかんない旅を続ける、近寄ったらたぶんいろいろ臭ったりするはずの謎のアウトロー - Jack Reacher(Tom Cruise)の映画第二弾。

Jackが昔いた軍内の調査機関の少佐Turner(Cobie Smulders)がアフガンで部下ふたり殺人の容疑で拘束された、ていうのと、自分に娘がいるって訴えがあったよ、ていうのと、両方に直面しなきゃいけなくなるの。 そんなのどっちも嘘に決まってるし自分には関係ないから、って軽く無視して逃げようと思えばじゅうぶん逃げることができるのに、積極的に関わろうとしてて、なんて真面目な奴なんだろう。 そんなに真面目だったら体いくつあっても足んないよね、とか少しおもった。 寂しかったのかしらん、とか。

Turnerのほうは移送途中のところを強引に引っぺがして連れて逃げることにして、でも周囲で関係者が殺されたり、やがて軍の追手だけじゃなく自分とTurnerのとこにも殺し屋が来るようになって、野良猫みたいに育っていた15歳の娘Samanthaのほうは扱いが面倒だったのだが、追われる自分とセットで狙われていることがわかったので一緒に連れていかざるを得なくて、この3人で逃げたり隠れたりしながら真相を追っていくとほうらやっぱり、兵器調達会社と軍の間のでっかい陰謀にぶちあたって、こいつも真正面から受けて、Never Go Backだ、ってがんばるの。えらいの。

前作では得体のしれないアウトローの挙動に変てこなじいさん(Robert Duvall)を絡ませることでうまくお話しが機能していた気がするのだが、今度のは自分のよく知る古巣で事件が起こったのでより深くクビ突っ込まざるを得なくて、更に一緒に逃亡するTurnerとSamanthaと3人の疑似家族みたいのもできちゃって、あんまりアウトローの無軌道な、乱暴な動きができなくなっちゃったのは残念だったかも。 あと、ネタだけだとなんとなく"Mission: Impossible”シリーズの縮小版のようなかんじもして、べつにJack Reacherじゃなくてもよかったのでは、とか。

ただ、とってもシンプルなクライムサスペンスとして、なんも考えずに見ていられて、そこはよかったかも。

あと、Jack ReacherはITガジェット系弱そうだから、そっちで攻めれば勝てるかも。

あと、Tomの顔がたまに顔が薄桃色のおじいちゃんのように見えてしまうことがあって、これはもうしょうがないのかのー。

11.27.2016

[film] Crazy About Tiffany's (2016)

11月5日のごご、新宿で見ました。 ほんとは”Everybody Wants Some!!”を見たかったのだがタイミングが合わなくて、すぐに見れたこっちを。 『ティファニー ニューヨーク五番街の秘密』

同じ監督による“Scatter My Ashes at Bergdorf’s” (2013)で描かれたバーグドルフ・グッドマンとは対照的に、地理的にはその対角線上にあるティファニーに関して思い入れみたいのはそもそもまああああったくなくて、むしろなんであの青い箱とか紐とか見ただけで異様に興奮したりきーきー騒いだりする人々がいるのか、その謎の答えをとってもしりたい。 あそこの上階にある桁の違ういくつかの品々とか初代デザインのMETに展示されているようなのは別として、下階(下界)の人々がギフトやお土産として買い求める品々って、デザインは凡庸だし繊細さのかけらもないし、それはねアメリカンスイーツとおなじくアメリカなのよあんなんでいいのよ、なら好きにすれば、だけどこのブランドのがそんなにすごくおいしいとは思えないし。 NFLのトロフィーだって、あんなの貰ったってあんま嬉しくないよね。 貰えるわけないが。

このドキュメンタリーは、当然のようにティファニー全面協力なんでも御開陳で、いまのデザインの責任者のおばさんまで出てきて懇切丁寧に歴史もブランドコンセプトもはりきって説明してくれるのでお勉強にはなるし、Blue Bookの魔法とか、古今の映画作品での引用例 - “Breakfast at Tiffany’s” (1961)は勿論、あーらなつかし”Sweet Home Alabama” (2002)のプロポーズのとことか、最近だと”The Great Gatsby” (2013)とか、ハリウッドセレブの熱狂 - Jessica Biel .. だとちょっと弱いか .. まで、なかなかてんこ盛りでふむふむ、にはなる。

割とへー、だったのがNYヤンキースのロゴのデザインもティファニー、とか、グランドセントラル駅の時計のステンドグラスも、とか。 お店も最初はダウンタウンの259 Broadwayにあってだんだん北上していったのね、とか。 NYのどまんなかを貫いて、ガキから老人まで、長きに渡って夢とかうっとりの大きなところを占めたり売ったりしてきたことはようくわかった。

見ていくうちにこれ、いったいどこに着地させるつもりなんだろうか、と不安になってきて、ほれ、名前おもいだせないけどあのバンドのあの曲でシメたりしてね、と思っていたら本当にそうなってしまった(しかも結構ひっぱった)のでびっくり。 しんない子もいると思うが、Deep Blue Somethingていうバンドの”Breakfast at Tiffany’s” (1995)ていうワンヒットワンダーがあって、ある時期は毎日毎朝、MTVでやっていたの。(よい歌だよ)

当時この歌を聴いていたティーンがメインの購買層に育ってきたから、ていうことかもしれないけど、どっしりしているようでこんな一発屋にもちゃんと気を配る、そのへんがすごいところよね。
ださいださくないは別として。

11.26.2016

[film] Storks (2016)

11月5日の昼に新宿でみました。当然字幕版。 『コウノトリ大作戦』

こういうアニメ、ふつうであれば見ないようなやつなのだが、監督として”Forgetting Sarah Marshall” (2008)とか、”Get Him to the Greek” (2010)とか、”Neighbors”シリーズを、脚本家として”Yes Man” (2008)とか、”The Muppets” (2011)を書いたNicholas Stollerさんの監督・脚本作であるのだから見ないわけにはいかないの。

むかしむかしは、お空に向かってお願いをするとコウノトリが赤ん坊を運んでくれて、割と最近ではCornerstore.comていうサイトに行ってポチッてすると運んでくれたもんなのだが、事故があってから赤ん坊配達はNGになって、それでも通販サイトとしては十分成功していて、そこで元気に働くコウノトリのJunior(Andy Samberg)が手違いで赤ん坊製造機械をOnにしたら女の子の赤子が出てきちゃって、そんなのだめだろとか、でも配達はしなきゃだろとか、そこから巻き起こる大騒動をスラップスティックに描く。 

Juniorの会社にお願いのメールを出したのはパパママ(Ty Burrell & Jennifer Aniston)が忙しくて一緒に忍者ごっこができる弟がほしくてたまらなかったNateで、他にJuniorの会社での事故で身元不明のままそこに残っているヒトの娘 - Tulipとか、事故を起こしてしまって以来すこし変になっちゃったJasper(Danny Trejo)とか、Juniorの前に立ちはだかる社長とかそのスパイの鳩とか、赤ん坊を狙いながらメロメロになっていく狼たちとか、ふつーの判断ができるまともな奴はただのひとり/一羽/一匹もいなくて、最後には会社か赤ん坊か顧客か、みたいな意味不明・傍若無人の追って追われてとにかく逃げろ! 走れ! になるとこはこれまでのNicholas Stoller映画とおなじなの。 少子化への配慮なんてこれっぽっちもないから念のため。

なんも考えていないくりくりの赤ん坊を中心に大人たちのいろんな思惑が渦巻いて大騒ぎになる、ていうのだとJohn Hughes先生が脚本を書いた“Baby's Day Out” (1994)を思いだしたりもした。
けど、コウノトリが赤ん坊を運ぶ、ていうおおもとの、太古からの設定を受け入れられるのであれば、だねえ、と思って、でもよくよく考えてみれば近未来にはありえない話ではないのかも。
ワンクリックの向こうには精子バンクと卵子バンクと養子バンクがあって、どんなカップルのどんなお願いも実現可能なように子供は「製造」できて、コウノトリてのはドローンのことでしょ。

まあそんな心配しなくても、なんも考えなくても、ぜんぜんおもしろいってば。

11.25.2016

[film] Caught (1949)

10月30日の夕方、NFCのUCLA映画テレビアーカイブ特集で見ました。
この特集のチラシのカバー写真になっていたやつ。『魅せられて』。

売れないモデルのLeonora(Barbara Bel Geddes)はモデル学校でマナーの勉強とかしながらどっかで大金持ちに拾われたりしないものかしら、て子供のころから夢見ていて、しぶしぶ出かけたパーティでセレブの超大金持ちSmith Ohlrig(Robert Ryan)と出会って、お金儲けにしか興味がない彼は幸せな玉の輿を夢見ているLeonoraをおもしろがって結婚してやろうじゃないか、てすることにしたら、メディアは花婿の側ではあの女嫌いが! て騒いで、花嫁の側はシンデレラストーリー! て騒いで、とにかく大きな話題になる。

でも結婚してみるとSmithは鬼のように冷たくて殆ど家にいないし、いるときは犬のように絶対服従を強いるし離婚は認めないっていうし、うんざり嫌になった彼女は家を出てダウンタウンの貧乏町医者Larry(James Mason)の受付で働きはじめる。 町医者は絵に描いたようないい人で魅かれていくのだが、彼女がちょっと家に戻ったとこでなんでか彼女は妊娠してしまい、それをダシにSmithは別れるんなら子供は渡さないからな、とか言ってきて底なしの地獄が見えてしまうのだが ー。

ふつうだとここから血みどろの修羅場展開になってもおかしくないのだが、そっちのほうにはいかなくて、ひたすら威圧的で高慢ちきでおっかないひと、ひたすら純朴に愛を求めるひと、ひたすら人助けのことしか考えてないひと(医者だし)、の3者のエモが織りなす典型的だけどゴージャスなメロドラマになって、決着のつけかたも含めてものすごく納得できてしまうドラマだったの。

とにかくSmithのLong Islandにある豪邸のとてつもないでっかさ(天井のバカ高いこと)とその空間をフルに使って倒れたり崩れたり地団駄ふんであたふたする人々の描写がすばらしい。 特に薬がきれてがらがらどっしゃんと崩れ落ちたSmithを遠くから眺めるLeonaraの遠さ・冷たさに戦慄する。 震えおののきながら「行け! トドメをさすのは今だ!」てつい。

それにしても、Robert RyanとJames Masonの対決、どっちもうまいし爬虫類だしすごいったら。役柄逆にしてもよかったかも。

今年のRSD Black Friday、あんまりかなあ。 Big StarのThirdって、いったい何回出せば気がすむんだよ。

11.24.2016

[film] Everybody Wants Some!! (2016)

シアトルから戻った翌日の土曜日 ー 12日の昼、新宿でみました。
そういえば、オースティンて”Slacker”の舞台だったのよね、とあそこから戻ってきて思いだした。

ものすごくおもしろい、て断言してよいものかどうか、最近の子供たちが見たらちょっと不真面目すぎやしないか、ていうかもしれないし、でも文句なしであることは動かしようがない。さいこーにおもしろいんだから。

野球の推薦枠で大学に入って、寮不足なので普通の住宅を共用の寮として買いあげて与えられている野球部員の巣にJake(Blake Jenner)がレコードとか一式抱えて越してきて、その木曜日の午後から学校が始まる月曜の朝までの3日とちょっとの時間をリンクレイター得意の時間縛り、イベント/語りドリブン(逆行・振り返り不可)で描く117分間の魔法。

Jakeが同居するのは体育会野球部の連中で全米から優秀な野球野郎が集められているところなので、みんながみんな自分が一番強い偉いと思いこんでいて負けず嫌いで、酒でも女でもスポーツでも自分を気持ちよくしてくれるもんはなんでもOKで、周囲も自分にそうしてくれて当然だと思っていて、要するに鼻持ちならねえ能天気おお馬鹿野郎ばかりが掃き溜まっている。

しかも時代はみんな反省という言葉を知らない80年代なので、もう底なしにどうしようもない。
Day1でげろげろ、Day2でげろげろげろ、Day3でげろげろげろげろー。 でもへっちゃらなの。
なんでそんなだったのか、だれも説明できない。 だれも反省してないから。 More - More - の生理現象たれながしみたいなところで生きていたから。

基本は彼らのねぐらであるぼろい一軒屋とそこから先のバーとかディスコとかカントリーのところかパンクのとことか、を欲望のままに彷徨いてどんちゃん騒ぎして戻ってきてばったん、みたいなそういう3日間なのだが、それはひたすら「やり残したこと」を探しまわる取り憑かれたような旅で、とにかくなんにも起こってない、けど全てが起こっている、起こり続けている、そういう時間がいろんなところで鳴り止まない音楽と共に移ろっていく。 それを見るわれわれはそういう時間がどれだけかけがえのないものかを知っている。 そして映画のなかのEverybodyはそんなのどうでもいいと猿みたいにきーきーやっているばかり。

ふつうだったらメインでもおかしくない野球のシーンは自主トレの練習試合で少し出てくるくらい、あとはJakeがぽーっとなった女の子Beverly(Zoey Deutch)に詩を書いて送って彼女の部屋に行って、でもそれらも一筆書きの伸びていく一本の線の結び目でしかなくて、でもそれはひたすらずっと伸びていくのだよ、って。 それは"Boyhood"のラストから繋がる光景なのかもしれないし、向こうからえんえんやってくる"Before"の予兆 - "Before"はどんなものの"Before"でもありうるのだし。

で、あーあ、ってでっかい溜息をつく。何に対してなのか、考えたくねえや、っておもう。
でももういっかい見たい。 ここにはドラマというより、なんかとんでもなくしょうもないものが埋まっている気がする。

音楽はいろんなのが絶妙のタイミングと音量で流れていって、そのどの粒も見事に輝いていてよいの。
これが90年代に入ると少しトーンが変わってグランジの泥沼になっちゃうのかな、とか。


Beverly役のZoey DeutchはLea ThompsonとHoward Deutchの娘さんで、つまりは”Some Kind of Wonderful” (1987) に繋がるんだよ(タイトルもどことなく - )。 これがどんなにすばらしい映画かしってる?
あとねえ、ママのLea Thompsonが出た”Howard the Duck” (1986)での役名がBeverlyっていうんだよ。 これもまたすばらしいやつなんだよ。アヒルだけど。

[film] Francofonia (2015)

11月13日、日曜日の昼、渋谷でみました。
『フランコフォニア ルーヴルの記憶』原題は「フランス語圏」。 
「フランコフォビア」、だとちょっと違う意味になるねえ。

かつてソクーロフがエルミタージュでやったようなひとつの美術館内のめくるめく全方位体験、とは違う、不動の、世界に誇れるルーブル美術館の成り立ちとかありようをナポレオンの時代から現代まで俯瞰し、ある/複数の美術品がある特定国/地域の美術館に収蔵され、展示され、享受されることの意味・意義を問う。

エピソードは3つあって、中心にあるのが第二次世界大戦中、ナチス・ドイツがパリに侵攻してきて、ルーヴル美術館長ジャック・ジョジャールがナチスの将校メッテルニヒと対峙するのだが、ジャジョールは既に重要な美術品のパリ郊外への移転を進めていて、本来であればナチスはふざけんな、て強制収監 → ドイツに移送 or 徹底破壊となってもおかしくないのに、メッテルニヒはそれをしないでパリの生活を楽しんだりしていた。ふたりとも芸術に対する理解と愛があったのでは、と。

もうひとつはルーブルの館内をひっそり徘徊するナポレオン一世といろんな収蔵絵画に描かれている自由の象徴であるマリアンヌの亡霊。 あたしたちが世界中からルーブルの美術品を集めて(略奪して)、その反対側で自国の自由と正義の共和制を敷いて、ルーブルの礎を築いたんだから、偉いんだから、ていうのだが、なんか彼らは憔悴しきっている。亡霊だからか。

最後のは現代で、悪天候のなか美術貨物を積んで船出しようとしている船員と映画作家とのSkypeでのやりとりで、会話はぶちぶち、画像はぼろぼろでたびたび途切れ、嵐で船も貨物もどうなっちゃったのかわからないようなありさまが延々続き、なんでそんなもののために命賭けてるの? みたいな。

これらを時系列で追ってみると、まず力と勢いで周辺各国から美術品を略奪し放題だったナポレオンの時代があって、他国との緊張関係のなか、おとなしく、神妙にならざるを得なかった時代があって、国というよりはお金の力でいくらでも国境を越えていく/いける - 或はテロによる無差別破壊や天災で理不尽に消滅してしまうようになった - 時代が今で、「フランス語圏」(だけではないが)の変遷としてみると、それなりに納得できる流れだねえ、ておもった。

ていうのと、直接のテーマではないのかもしれないけど、この流れのなかで「美」は一体どこにあるのか、ありえたのか、ていうとこ。 例えばナポレオンが略奪してきた美術品・肖像画に描かれた顔、その表情が湛えるものに美的な意味はあった(だからナポレオンは持っていった)と思うのだが、いま、ルーブルに長々と塩漬けにされている美術品からどんな美的経験が可能になるのだろうか。 これってもちろんルーブルだけの話ではなくて、「何百年に一度」とか「数十年ぶりの」とか「これを逃したら最後」とかいう宣伝文句に踊らされて美術館まで来て、ぜんっぜん意味わかんない有名人とやらの音声ガイドを聞かされて(やったことないけど)、律儀に行列に並んで作品の前に立つ5分間のうち3分は他人の後ろ頭を眺めざるを得ない、そういう高いコストと苦行を通してしか美術品に接することができない哀れな我々の前に「美」は現れてくれるのだろうか、と。

ほんとにくそったれでくだんないけど、それでも好きだから絵は見にいくわけだけど、なんともめんどくさい時代であることよ、ねー。 って肖像画のなかの顔に話しかけてみたりする。 

最近そういうことをやって楽しかったのはなんといっても「クラーナハ展」の面の皮たちでしたわ。

11.23.2016

[film] Star Trek Beyond (2016)

もう時系列無視で適当に書いていくことにする。
11月3日、文化の日の夕方に新宿でみました。

エンタープライズ号での航海が長くなってみんなそれぞれ退屈したり喧嘩したり地上勤務のことを考え始めていて、でっかい宇宙駅に寄っていろんな人と会ったりおじいちゃんの訃報を聞いたりしていると更にその思いは強くなって、そこを出て航海を始めたとたんに虫みたいに束になって渦巻いて襲ってくる連中に襲撃されて、船はぼろぼろ虫食いにされてどっかの星にわらわらと脱出して、ほとんどの連中はその襲撃した奴らに拉致されて、動けるのはScotty(Simon Pegg .. 脚本も書いてる)とSpockとBonesとKirkとChekovと、ぐらいで、もう船もないのにどーすんだよ、になる。

いろんなヒト、ていうか族ていうかがいるものでScottyがそこで出会ったどっかの星のJaylahていう姐さんが地道にメンテしていた昔の地球の宇宙船フランクリンが使えそうだったので、そいつを使って、仲間を救出して、反撃にでようじゃないか、と。

いきなりやられた → ちりぢり → 新しい仲間と出会って古い仲間を救いだす → やり返す → どんなもんだい

おおまかな流れは昔のヤクザ映画みたいなもんで、「組」が多種多様な宇宙人(族)になっているだけで、なーにが"Beyond"だよ、とか思わないでもないが、SFの普遍性ってこういうもんよね。 ちがうか。

なんといっても再び襲いかかってきた敵の虫軍団に対して、連中は閉域網を使って全体をコントロールしているんだから妨害電波を出して混乱させればいい .. そうだラジオだ! って、「クラシック」を爆音でぶちまけてやっつけるとこ、ここだけで十分許してやらあ、になってしまうの。 あの感動的なまでにバカバカしいノリはJ.J. Abramsには作れまい。(音楽をエディットしないで、Spike Jonzeみたいにカット割りをこまこまやればもっともっとかっこよくできたのにな)

これまでのJJAのやり口だと、亡くなった父親の歳になってしまったKirkの感傷とか逡巡とか、同胞に裏切られて棄てられたKrallの絶望とか怒りをシェイクスピア風ぶんぶんでドラマチックに描いたと思うのだが、"Wild Speed"育ちのJustin Linは気持ちよいくらいに吹っ切ってしまう。 ぶっとばして気持ちよければいいじゃん、みたいに。

しかしなあ、Public EnemyとかBeastiesとか聴いていても、あんなふうに邪悪な暴君になっちゃうんだねえ、ていうのはちょっと残念だねえ。

Anton、バイバイ。

[film] Genius (2016)

10月14日、金曜日の晩に日比谷で見ました。 『ベストセラー 編集者パーキンズに捧ぐ』

20世紀初のアメリカ人作家Thomas Wolfeと彼を見いだし育てた編集者Maxwell Perkinsの交流を軸に、この編集者と当時のアメリカ文壇 - とまではいかないが - を描く。

大恐慌前夜のNYで、出版社Charles Scribner's Sonsの編集者 Maxwell Perkins(Colin Firth)のところにトーマス・ウルフ - Thomas Wolfe(Jude Law)の大量の紙束原稿(1100ページ)が持ちこまれ、少し読んで紙束のなかに何かを見たMaxは、その紙束を辛抱強く摘んで編集して彼のデビュー作 “Look Homeward, Angel”に仕立てあげて、それは成功して、それだけじゃなくてMaxは恋人のAline Bernstein(Nicole Kidman)と昭和枯れすすきみたいな切ないごろつき文士生活をしていたThomasを郊外の自宅に呼んで家族(奥さんはLaura Linney)に会わせて食事して親密になって、そうするうちに更にとてつもなくでっかい第2作も仕上がり、評判もよかったのだが、2作の成功がThomasを鼻持ちならねえ我儘高慢ちき野郎に変えていって、どーする どーなる。

史実なのでThomasがいきなり更生して聖人のようになるわけはなく、こういう人にありがちなように37歳という若さでこの世からすうっと消えてしまうのだが、Maxの彼に向けられる目は最後まで変わることはなく穏やかで暖かくて、”Kingsman: The Secret Service” (2014)でもそうだったように、こういう無軌道な若衆を相手にするときのColin Firthの落ち着いた教育者というか編集者っぷりってすごいなあ、て思った。

あと、Maxって、Ernest HemingwayやF. Scott Fitzgeraldも世に出して、ということからこの映画のなかにも彼ら - Zeldaも - は登場するのだが、Thomas Wolfeはともかく、HemingwayとFitzgeraldがいないアメリカ文学史なんて考えられない今の時代、よくもまあこういう連中を右に左に、というかまったくキャラの異なる彼らの作品を彼らの作品として成立させたのってすごいことだねえ、とかあたりまえの ー

おそらくもっとねちっこい、匂いたつような文壇サークルドラマにすることもできたのかも知れないが、イギリス人監督だからだろうか、メインのふたりがイギリス人俳優だからだろうか、その辺はとってもさらりとした駄々っ子と動じない大人のやりとりになっていて感心した。
そんななか、Nicoleだけはつーんと突出して毒を吐き続けていてすごいねえ、としか言いようがないのだった。

Thomas Wolfe、読んでみたいなー。

そしてWilliam Trevorさんが。 R.I.P.

11.22.2016

[film] Salad Days (2014)

さらに少し戻って、10月13日、木曜日の晩、新宿でみました。

この辺のロックのドキュメンタリー映画って、こないだのThe DescendentsのにしてもBad BrainsのにしてもThe Damnedのにしても、なかなかなんか難しい。
ライブだったら晩の9時ってありがたいのだが、映画で9時だと、よっぽど目を見張るような内容でもない限り座った途端に子守唄になって安らかに寝ちゃうのよね。

でもこの映画の題材に関しては少し別で、D.C.のハードコアシーンていうのは、ふつうの(ふつうってなんだよおら)パンクのドキュメンタリーで示されるのとは別の枠で - RamonesやPistolsやClashの歴史を描くのとは別のかたちでやり方で - 描かれなければならない気がしていて、それは簡単にゆってしまうと当事者の視点(当事者ってなんだよおら)が不可欠で、そいつを欠いてしまうと、このD.C.のパートについては、麻疹とか水疱瘡みたいな拡がりかたをした妙な熱病、伝染病のように見えてしまうよう、そんな気がしてならないの。 それでもいいんだけどね。 "Salad Days"ていうタイトルなんだし。

具体的にはDischord Recordsを作った Ian MacKayeとJeff Nelsonへのインタビューを中心に徹底的にマイナーで手組みのネットワークを掘って作ってひろげて維持していった、ぜんぶ自分たちだけでやった、その手口やり口を聞き出してみる。 それだけなの。 ブレーク、みたいなポイントも閾値もなくて、作って出してライブして、を繰り返していっただけ、と。  Farm-to-tableみたいなことを35年前からやっていた、と。

それだけなんだ、ということをどこまでおもしろいと、すごいと思えるかによってこの作品の受け取り方は変わってくるとおもう。
最初期のパンクが掃き溜めのなかから火花起こして好き勝手にやっていたのとは異なり、彼らは既に見え始めていたパンクの産業化・消費化を明確に冷静に見据えて、そうならないような形で自分達の音楽を自分達で制御してリリースしていった、こういうのをネットもなんもなかった80年にそこらの若者がインディペンデントではじめた、やった、ということの驚異は、今の子達には伝わりにくいかもしれない。

自分にしても、全貌を見渡すことができてこれはとんでもないわ、と思ったのは2002年に出たコンピ"20 Years of Dischord”あたりからだったもん。

あとは音そのものね。 Minor ThreatにしてもFugaziにしても、なんであんなに固く強くがりがりぎざざぎざ、どこまでも気持ちよく鳴るのか。 デザインだってかっこいいし。 それをつまんない御託ならべてないでさくさく出して、あとはライブで勝負、ていう潔さ。

ラストのIan MacKayeさんの一言がさいこーだった。「もういいだろ、あっちいけ」みたいな。

それにしても、Fred Armisenさんはなんで?

11.21.2016

[film] Bridget Jones's Baby (2016)

10月29日、土曜日の夕方、新宿で見ました。

なんか、ぜんぜん悪くなくてびっくりする。SATC2みたいになっていたらやだな、だったのだがふつーのコメディとして爽やかに笑えるかんじだった。

まずは冒頭でHugh Grantが飛行機事故でしんでて笑える。
Bridget Jones(Renée Zellweger)はMark(Colin Firth)と別れて以来どこにも行きようがなくて誕生日も痛いかんじにひとりで、女友達とふたりで野外フェス(グラストンベリーみたいな)にいって酔っぱらってハメはずして知りあったJack(Patrick Dempsey)のテントで寝ちゃって、その数日後に再会したMarkともよいかんじに盛りあがって寝ちゃって、しばらくしたら妊娠していることがわかってあらどうしましょ、になって、中年男ふたりにこわごわその旨伝えてみるとしがらみフリーで収入も申し分なく安定しているふたりはどっちも前のめりでのってきたのでこれはこれでどうしよ、で子供の父親はどっちなのかていうのと、ふたりのうちどっちかと一緒になるべきなのかそもそもこれって子供ができたからそうなっているのか、いやそれとは別にとまでは言わないけど自分と一緒になりたいってことなのかどうなのかとか、いろいろ心配してみたりするのだがそんなの関係なく極めて能天気に話しは大団円に向かって豪速球ですっとんでいくので楽しいの。 こんなもんでいいのよね。

あんなうまくいくかよ、ていうひとはいうのだろうが、他の落着地点を見いだすのはなかなか難しい。
それくらいラブコメとしては完成されていて崩しようがないかんじ。 これに関してはよい意味で。

どっちとどうなるのかはだいたいわかっちゃうのだが、やっぱりあのセーターの魔法と結界は裏切らない、てこと。 ていうかあんな怪しいマッチングサイトで儲けた奴があんな爽やかなわけねーじゃん、とか。

でもさー、Patrick Dempseyがでてくるラブコメ、結構好きなんだけどー。
”Enchanted” (2007) とか “Made of Honor” (2008) とか、いいよね。

邦題の「ダメな私の最後のモテ期」てなーんか微妙で、Bridgetはダメだからモテなかった、それが最後になぜかモテるようになった、わけではなく、これまでの前2作でもダメだったけど、でもずっとモテていたんだよね。 ダメなことを嘆いたりぼやいたりグチったりするのは芸風みたいなもんで、ヒトのせいにも自分のせいにもしないでひたすら無反省を貫き、何百回でもおなじ失敗を繰り返して、でもへっちゃらなの。  いいなーこういうの。見習いたいなー。

さすがに子供も生まれて結婚したら落ち着いちゃうのかなあ、と思ったのだがラストの新聞記事でわからなくなってきたかも。 たぶん、もうじき夫はガキを連れて出ていっちゃうんだとおもう。

音楽はCraig Armstrongさん。 どうでもいいけど、Ed Sheeranの外見て、ほんとぱっとしないねえ。

11.20.2016

[film] Too Late for Tears (1949)

元のトラックに戻りま。 どこまで挽回できるかな。

10月29日の昼間、京橋の特集「UCLA映画テレビアーカイブ 復元映画コレクション 」で見ました。

『遅すぎた涙』。

TIFFの本編のほうは誰がいくもんか、だったのだがフィルムセンターでのこの特集はそういう訳にはいかねえ。 NYの定期上映館では珍しめのクラシックがかかるとき、UCLA Film & Television Archiveが修復したバージョンです、ていうだけでひゅう、って唸るおじいさんとかいっぱいいるんだよ。

LAに暮らすJane(Lizabeth Scott)とAlan(Arthur Kennedy)の夫婦は気乗りのしないパーティに車で向かう途中、車に鞄を投げ込まれて、鞄の中には札束が入っててびっくりするのだが車が追っかけてきたのでとりあえず逃げて撒いて、その札束 - 6万ドルあった- を警察に届けようというAlanとちょっと待って様子を見ようというJaneで意見は別れて、やがてほうら来た、というかんじで探偵だという怪しげなDanny(Dan Duryea)が現れて緩やかに彼女をゆすり始め、やはり警察に行こうというAlanとの溝は深まって、いったん鞄は駅の荷物預かりのところに行くのだが暴走を始めた彼女の妄執は留まることなくやがてひとり死んでふたり死んで…

突然手にした、手にすることができるかもしれない大金で狂っていく女 - 根っからの悪女という訳でも誰かに唆された訳でもなく、彼女の内面は一切明かされないまま、お金を諦めようとしない彼女の周りでいろんなことが起こって、それらは誰のせいでもない、ということも誰かみんなのせい、ということもできる、どっちにしても誰も助けてくれない、そういう冷たさが貼りついた作品で、その冷たさ暗さをノワールといったのね。

プロットだけだととても地味なようでいて、最後はメキシコまで行ってしまう驚くべき広がりをもった作品で、それはフィルム・ノワールの底なしにも通じるそれなのだった。


これの後にUCLAアーカイブのJan-Christopher Horakさんによる講演会をきく。
『デジタル時代の映画保存』- “Film Preservation in the age of Digitality”

フィルム保存の歴史を概観し、その方法がデジタルの時代になってどう変わってきたのか、変わらざるを得なくなってきたのか、そこにUCLAのArchiveはどう関わってきたのか。

フィルムは、なんもしないと劣化して見れなくなる→ デジタルで保存できるよ → デジタルで保存するためには元素材をきちんと修復しないとだめ → 修復はお金かかる & デジタルの仕様はどんどん変わる → ちゃんとしたアナログのマスターがないとお話しにならない → やっぱりオリジナルから修復しないと(し続けないと)だめじゃん、結局お金かかるじゃん  → アナログでいいんじゃね?

デジタル化への移行って軽くなる/軽くできる/メリットいっぱいのようで結局ものすごい継続的な投資が必要で、結局これって文化の話ではなくて、産業(構造)とかインフラを巡るくだんないパワーゲームの話に向かわざるを得ない。 このへん、言いたいこといっぱいあるのだが、とにかく。

デジタルアセットの急激な進化がアナログへの回帰を促している、という指摘は映画フィルムの話に限った話ではなくて、音楽もそうだよねえ。
デジタル仕様の変更に伴うオリジナルマスターの修復や調整もやがてはAIさんがやるようになるのだろうが、そんなのあまり考えたくないので、自分にとってのアナログ決定版を脳に刻んだり手元に置いたりしておくようにしよう、っと。

11.19.2016

[log] Seattleそのた2 -- Nov 2016

シアトルの本とか食べものとかそのた。 あんまりないけど。

着いた日の6日はとってもすてきな秋日和で、最初に行ったのはもちろんThe Elliott Bay Book Companyで、その前にお昼を食べなきゃ、でこんどこそ隣のOddfellows Cafe+Barで食べたかったのだが半端ない人だかりだったので(なんだろう? なにがあるんだろうあそこ?)、諦めて本屋のなかにあるLittle Oddfellowsのほうでパニーニ食べた。 これでもじゅうぶんおいしい。

入ってすぐ、Laurence “Lol” Tolhurstのメモワール - ”Cured: The Tale of Two Imaginary Boys”のサイン本があったので、スーパーでミルクを買うみたいにひっつかむ。

あと、Pitchfork誌とかに書いているJessica Hopperさんの“The First Collection of Criticism by a Living Female Rock Critic” ていうの。 最後にまず謝辞を捧げているのはTim Kinsellaさん。背表紙でコメントを寄せているのはTavi Gevinson, St. Vincent , Sara Quin (Tegan and Sara)、など。 まだパラパラつまんでいるだけだけど、なかなかおもしろ。
あと、Nick Caveさんの2014年の北米ツアー日誌 - ”for Motion Discomfort: The Sick Bag Song” - 「乗り物酔いゲロ袋の歌」とか。

本屋をだらだら1時間くらい幸せにうろついて、向かい側のEveryday Music (レコード屋)を見て、その近所のグランジとかジャンク系がいっぱい置いてあるとこ(名前憶えられない)も見て、すこし我慢して、その近所のグリーンマーケットをうろうろして(もちろん買わない)、少し遠くのレコード屋に行ってみよう、ということでUberでWest SeattleにあるEasy Street Recordsに行った。 以前、Queen Anneにあったお店には行ったことがあって、そこがなくなってしまってから行かなきゃ、になっていたの。

車を降りたところでもグリーンマーケットをやっている日曜日。 お店は1階にカフェ(よいかんじ)とCD, DVDがあって、木の階段をぎしぎしあがって階がアナログで新しいのも古いのもいっぱいあって、でもそんなに高くないの。 楽しく悩みながらあれこれ買った。
TADの再発盤(3つ一緒に買うと1枚ボーナスつき)だが、そんなすごいファンでもないので”8-Way Santa” (1991) だけ買った。 9日の水曜日には店にメンバーが来てトークをすると。 “8-Way Santa”とは何ぞや? その謎がついに! とか書いてあった。

その辺をしばらく散策してお腹へってきたのでパイ屋に入った。 パイとドーナツには勝てない。
http://www.alamodeseattle.com/

そこの反対側にQFC - Quality Food Centerていうシアトルにいっぱいあるでっかいスーパーマーケット - Whole Foodsみたいなやつ - があったのでしばらく遊んだ。 こんなのが24時間やってるんだからなー。いいなー。

いっかい昼間に食べたバーガー。
Li'l Woody'sていうとこの”The Fig And The Pig”ていうの。
大きめふかふかバンズに酢漬けイチジクのソースにベーコンにざく切りしたゴルゴンゾーラがまぶしてあって、外見はまっ黒ぐちゃぐちゃでわけわかんないのだが、こんなのおいしくないわけがないだろ。

9日の水曜日、夕方に解放されてデモで叫んだあと、映画を見る前にもういっかいElliott Bay Booksに行った。平日の夜なのでがらーんと静かで、それもよいのね。 向かいのEveryday Music ももういっかい、なんかやりきれなくて追加で買った。A Perfect Circleの1stの初版とか。
店内ではSparklehorseの”It's a Wonderful Life” (2001)が流れてて、それがとってもしみた。よかった。

どうでもよいことだけど、シアトルのレコ屋も本屋もなんで紙袋なのかしらん。

10日の朝、空港に向かう前、ホテルから歩いていけるとこにあるPike Place Marketに向かい、外は霧でまっ白なんも見えなかったけど、ぐっちゃぐちゃのCorned Beef Hashたべた。 市場に魚がどんどん並べられていくのだがどうすることもできなかったの。

空港ではいつものようにSub Popでいくつか買って、Beecher's Cheesesでクラッカーとか買った。

[log] Seattleそのた1 -- Nov 2016

もうぜんぜん書く時間とかないわ。なんでだかわかんないわ。

シアトルの行き帰りの機内で見た映画をまとめて。
片道8~9時間だとちょっと短いよね。 まとめて映画をみるには。

My Bakery in Brooklyn (2016)
ブルックリンのFort Greene(Myrtle Ave. and Adelphi St.)のあたりで100年以上ブーランジェリーを営んでいるおうちで店主のIsabelleおばさんがふたりの姪(いとこ同士)に店を頼むわね、て言い残して突然亡くなってしまい、それぞれの道を歩んでいた性格正反対のふたりが喧嘩しながら店を立て直そうとするのだが、おばさんは巨額の負債を残していて、うちひとりの恋人が負債取り立て側の銀行にいたりしたので、それぞれの恋とかも含めてどうなるのどうするの、みたいなお話し。
結末はなんとなくわかっているとはいえ、パン職人もパティシエも出てこないし、なのにふつーに店は営業してるし、あまりにご都合主義でみんなハッピーすぎやしないか、みたいには思った。

でもエンディングでThanksのところにAmy's BreadとかFrankies Spuntino とか並んでいたので許すしかないわ。

The Family Fang (2015)

監督・主演がJason Batemanさん。
Fnag家のパパ(Christopher Walken)とママ(Maryann Plunkett)はソーシャルなどっきりを仕掛けてみんながびっくりする姿を撮影するのをアート稼業としてやっていて、姉弟ふたりは幼い頃からその手先として使われていて、その経験は彼らにとってトラウマだったりもするのだが、姉(Nicole Kidman)は女優(あんま売れてない)、弟(Jason Bateman)は作家(あんまぱっとしない)として巣立ってからは疎遠になっていて、ある日弟が怪我をして気を失っているうちに病院に親が呼ばれたことから家族みんなが再会して、久々に昔みたいなことをやってみたら見事に空振り、ついでに過去のいろんな恨みとか再燃するのだがそのまま別れ、そしたら強盗が頻発している地域の路上で両親の車が荒らされた状態で発見され、両親は行方不明、車内の血痕は父親のものと一致した。 両親は犯罪に巻き込まれたのかひょっとしてまたしても彼らの「アート」なのか? 

これらってアートなのか議論の他に、こういうのに子供を巻きこんじゃだめだろ、とか、だからこんな大人になっちゃったんだ、とか、でも家族だろ家族ってなにさ? とかいろんな問いが怨の字と共に渦を巻いてなんとも言えずすごい。
特に最後のほう、Christopher WalkenとNicoleの対決シーンときたらぞくぞくするくらい。

音楽、最初のほうの銀行強盗のどっきりのとこで流れるYesの"I've Seen All Good People”とかよかったかも。


The Infiltrator (2016)

80年代、フロリダの米国税関当局のエージェントRobert Mazur (Bryan Cranston)がマネーロンダリングして大儲けしていたコロンビアの麻薬カルテル+銀行を2年間に渡る別人なりすましの囮捜査で壊滅させた実話 - Mazur自身の回顧録を元に映画化したもの。

メインのお話しははらはらどきどきの連続なのだが、それ以上に、仮名に架空の婚約者(Diane Kruger)まで用意したりここまで作り込むんだねえ、ていうほうに感心した。 それと、複数の名前を使い分けていた“Trumbo”と同様、どれが本人なのかわからないとこまで自分を追いこんで仏頂面と紙一重で脂汗をたらしまくるBryan Cranstonの凄みが全開で、ほとんどそれがすべて、みたいなかんじ。

音楽は、最初にRushの”Tom Sawyer”が流れて、EndingでThe Whoの”Eminence Front”が流れて、あとLeonard Cohenの”Everybody Knows”も流れて素敵で、それで飛行機降りたらLeonard Cohenさんが… 

11.13.2016

[film] Kubo and the Two Strings (2016)

飛行機が成田に着いたらLeonard Cohenが天に召されていた。 そしてLeon Russellまで …

9日の晩の9時、シアトルのダウンタウンのシネコンで見ました。客は最後まで自分ひとり。
ほんとは8日 - 火曜日の晩に見るはずだったのだが、大統領選でとてもそんな気分ではなくなり、ほんとはAustinで見たかったあれにしたかったのだが、やっている場所がちょっと遠かったので諦めた。

“Coraline” (2009) ~ “ParaNorman” (2012) -見れてない ~ “The Boxtrolls” (2014) -見れてない - ときたLaikaのアニメーションの4作目。 監督はこれらでLead AnimatorをしていたTravis Knight。

Laika特有の紙片をストップモーション動画にした風合い(だいすき)はそのままなのだが、キャラクターとかお話しの土台は日本の昔話のようで、最初に予告を見た時はその作画とか造型が、土曜の朝に米国の民放でやってるアニメみたいに安っぽくしかも紋切型のアジアっぽくて、どうしたもんかー、だったのだが、なんか評判よいので見てみたら、びっくりするくらいによかった。

Kubo(名前なのか苗字なのか)は男の子で片目を失った状態で母親とふたりで何かから逃げて海岸にうちあげられて、彼らを追って殺そうとしているのは、彼の片目を奪ったのは祖父だと言われる。 Kuboは弾くと紙や折り紙を自在に操ることができる不思議の三味線を持っていて、賢く優しい白い猿とやや間抜けなクワガタ侍が加勢してくれて、彼は襲いかかる悪の手先と戦いながら黄金の鎧を探して自分の出生の謎を追っていって、やがて。 
そして”Two Strings”とはなにか?

基本は“Coraline”と同じく子供が歯をくいしばりたったひとりで邪念に満ちた世界に立ち向かう”Kubo vs. the World”なのだが、最後の対決を経てあんなとこにいっちゃうとは思わなかった。泣けるの。
ポートランドをはじめ西海岸の日本人会が協力しているようだけど、外国のアニメにあそこまでやられちゃったら、だめじゃん日本。 髑髏の怪物は日本の餓者髑髏を元にしている、とかIMDbにはあったけど、餓者髑髏なんてみんなしってる?

声優はやたら豪華で白猿がCharlize Theron、クワガタ侍がMatthew McConaughey、悪の仮面シスターズにRooney Mara、大悪の月の王にRalph Fiennes。 Charlize TheronはFuriosaとしか言いようがなく沸騰するし、Matthew McConaugheyはMatthew McConaugheyとしか言いようがないし、Rooney MaraはとにかくおっかなくてドS全開だし。

エンディングは”While My Guitar Gently Weeps”が流れるの。
でもギターじゃなくて三味線で、歌うのはRegina Spektorさんなの ...

機会があったら見てみてね。

11.10.2016

[log] November 10 2016

帰りのTACOMA空港まで来ました。

やれやれ。 あーあー。 あー。 あ。(深呼吸)
まさかこんな気持ちで帰りの便に乗ることになろうとは。(飛ぶのかしら。どっちでもいいけど)

月曜の晩、ホテルの部屋に戻ったらSNLの選挙特集をやっていて、これまで個々の動画は見ていたのだが、まとめて見てみると強烈にバカらしくて、どっち陣営もひどいのだが、トランプのしょうもなさは際だって強烈で、それをげらげら笑ってあー明日以降はこのバカツラを見なくて済むんだわ、と思ったものだった。

ところが。 火曜日の昼頃からなんかみんなそわそわし始めて、そんな面白くもない会議だったこともあって、みんなWebとかスマホを分刻みで追っかけだして、夕方に某巨大企業のオフィスを見にいったときは、そこのロビーのばかでかいディスプレイにライブで進捗が流れていて、それを階段状になった待ち合わせエリアで見ているそこの社員の人たちはみんな呆然としてて、ホテルに戻ってTVをつけても気持ちわるくなるばかり、朝になってもまだ悪夢の只中にいるようで、目が醒めてくるにつれてひたすら怖く恐ろしく、悲しくなっていった。

119とはよく言ったもので、心象の動きは911の時とほんとうによく似ている。
この日を起点にアメリカだけでなくいろんな国で起こりうるであろう暴力沙汰、罵りあい、憎悪の連鎖を思うと、ただただ恐ろしい。

なにが/なんで怖いのか。 他者を傷つけることを公の場で平気でいう人(←「悪人」の定義)、かつそれに伴う他者の痛みや苦しみをまったく想像することができない人(←「バカ」の定義)、つまりこのどうしようもない「バカ」の「悪人」が世界一強大なパワーをもつ国のなんでもできる権力者のてっぺんの座についてしまった。
そしてこいつ(とその取り巻き、その支持者)は、今回の勝利を彼のこれまでの行いや言動に対する国レベルでの承認、と受け取るだろう。 シンプルにバカだから。バカとはそういうものだから。

そしてこれはぜったい向こう岸の、他の国の話ではないの。 トランプが米国で「承認」されたことを受けてただでさえ米国追従でヘイトの下地たっぷりの、バカで幼稚なこの国の政治家も御用メディアもますます調子に乗ってへらへらと弱者を傷つけ痛めつけて、そのことに対して鈍感になっていくに違いない。 劣化と腐敗の連鎖と加速がおこる。

英国に続いてまたも予期しない結果、とかポピュリズム云々はもはやどうでもいい。
メディアも含めてみんなの頭が悪くて鈍くていろんなソーシャルの煽りに浮かれていただけ、としか言いようがない。 頭を切り替えて今回の結果に怯えている人たち/傷つく可能性のある人たちを助けてあげないといけない。

かつて911の光景をハリウッドの映画のようだ、と言ったひとがいたが、119もそうで、米国(成金バカ)/ロシア(筋肉バカ)/日本(真性バカ)の腐れたトライアングル・バカ(でも最高権力者)が手を取りあうところを想像しただけで虫酸が走る。どんな悪党野郎のヴィジュアルよりひどいわ。

でもこれは映画の話ではないの。 現実なんだ。
まず守れるひとを守って、助けてあげよう。 間違ったことを間違っている、といえる視座と知識と行動に移す勇気を持とう。そして悪いやつを倒す。

9日の夕方4時頃、別の建物に向かう途中で広場に何人かの若者がわらわら集まってプラカードを掲げて騒いでいた。それが5時半に帰るころにはデモのうねりになって大通りを埋めていた。ちょっと増えた程度かと思ったらどこまでも途切れなく列は続いて、警察がいっぱいいてヘリも飛んでいる。
メッセージはそれぞればらばらの手書きで、紙のひともいれば旗を作ったひとも、シャツに直に書いているひともいて、みんな大声でなんか怒鳴るのだが、各自てんでばらばらに叫びたいことを叫んでいる。コールを合わせるのももどかしいくらい切羽詰まって怒ったり泣いたりしているかんじ。
方角が一緒だったのでしばらく一緒に歩いて声をあげたら、すこしだけ気が晴れた。
みんなそれぞれに傷ついたり泣いたり頭にきたりしたのだね、ていうのがようくわかった。

気晴らしに近所に映画を見にいって深夜に戻ってきたらなんか警察のひとたちがいて、なんじゃろ、と思ったらホテルの傍で発砲があったんだって。 そうらきたぜ、て思ったわよ。

ふん。まけるもんか。

戻ったらJimmy FallonでMartha Wainwrightさんが歌っていた。
おかえりなさい。ありがとう。

今回、映画は1本だけ。本は少し、雑誌ゼロ、レコードいっぱい、そんなもんか。

ではまた。

11.06.2016

[log] November 06 2016

10月22日にオースティンから戻ってきたところで、いつものように熱が出て風邪になって、思っていた以上にあっという間だった翌日には上海に飛んで、頭がぼおっとしてなんだかよくわからないまま2日間打ち合わせにでて25日火曜日の夜中に(飛行機2時間遅れ)戻ってきて、風邪さんにはその翌週くらいまでずるずる引き摺られられて、ようやく文化の秋だわ走り回るぜ、のよい天気になったと思ったら今は成田で、これからアメリカに飛ぶの。

出張から戻るたびに熱だして風邪ひいて体調を崩すということはよっぽどこの国に帰りたくないようって体が訴えているのか、嫌だからって逃げてばかりいるバチじゃ反省しろ、と神様が仰っているのかどちらか、と考えてしまったりするのだが、でもこんな国にずっといるのってどっちみち体にはよくないんだわ。

こんどのはシアトルで、割と急に決まったので大統領選とかなにも準備してないし(←関係ないだろ)。
ほんのちょっとしかいないし、月曜の朝から秋鮭みたいな団体行動 - オースティンのとどっちがましか - なので勝負をかけるとしたら着いた日曜の午後だけで、そうなるともう行くところはだいたい決まってしまうのだった。

こないだのオースティンでレコードはじゅうぶん、たくさん買ったでしょう、というのはあるし、あらゆる言い訳が封じられているのは承知の上で、でもせっかくシアトルに行くのだし、TADの再発盤をどうすべきか、とかいろいろ悩ましいことはあるし、じゃあどれくらい我慢したら次を買ってもよいのか、とか子供みたいな問いで返してみたり。 本屋なんて、日本にいたって頻繁に通っているのだからべつにいいじゃんか。

向こうに着くのは午前10時。 夏時間さいごの日、一時間だけ一日の長さが延びる日。
秋のシアトル、晴れてるといいな。 ほんとに素敵だからー。

ではまた。

11.05.2016

[film] In Jackson Heights (2015)

10日の晩、新宿に移動してラテンビート映画祭で見ました。 まあ一般公開は難しいだろうしな。

Frederick Wisemanがクイーンズのジャクソン・ハイツにカメラを持ちこんだドキュメンタリー。
これの前に見た“The Beatles: Eight Days a Week”からだとShea Stadium(クイーンズだよ)でつながっている。

なんでクイーンズなのかというと、いろんな移民がいっぱい生活しているから。でもそういう町なら他にもありそうだし、もう少し突っ込むと、移民がいっぱいいるのにあんまざわざわしていなくて、町の佇まいとしてはなんか落ち着いてある、それってなんだろうか、ていうあたりではないかしら。

もう少し分解すると、Make the Road NYていう支援団体やDaniel Dromm市会議員の人を中心に据えた地道な活動とか、BID - Business Improvement Districtとしての全体の開発の話とか、そういうのが引き起こすさざ波の波間にユダヤ教のお寺があってイスラムのお寺があってイスラム文字の塾があって、ハラルの鷄食肉工場、人の爪切り、犬の爪切り、タトゥー彫り、顔剃り、タクシー教習所が東西南北を教えるとこ(なんかすごい)とか、編み物しながら無縁墓地の話をするおばさんたちとか、ふつうのストリートフェアにアイスクリーム売りに、ようするに人種もジェンダーも生活も家業も多様であたりまえで、問題があったらそれをみんなで露わにして話しあうのもあたりまえで、で? それがどうした? だからどうした? な穏やかさがある。

そもそもその穏やかさが尋常ではないのだ、と言うことも可能なのだろうし、確かに変てこで怪しげな建物とかお店はいっぱいあっていろんな人がいるけど、お散歩してみればなんかゆったり落ち着いてご機嫌になるんだよね。 

わたしにとってのクイーンズはまずアストリアで、Museum of the Moving Imageがあるし、隣にはカウフマン・アストリア・スタジオがあるし、素敵な地下鉄の高架があるし、よいところなんだようー。 老人になったらMuseum of the Moving Imageの特集上映に毎日通うのが理想なの。
(今日 - 11/5なんか『大菩薩峠』 (1966)の50周年記念上映で仲代達矢が登場するんだよ)

それにしても面白いのはBrooklynとの違いだねえ。どっちも移民が多いけど歩いてみるとかんじがぜんぜん違う。 それこそCaptain AmericaとSpider-Manくらい違うの。

なんかねえ、Frederick Wisemanの映画って、自分の半径とあまりに違う世界のが割と多くて感心するばかりなのだが、この映画に関しては少しだけ自分にもわかるところに触れていて、そうするとどうなるかというと、更にいろいろ足元を見て考えてしまうのだった。あ、”National Gallery” (2014)もそうだったけど。

でもここんとこ、映画の中でも少しあったけど、Brooklynもそうだけど、高層ビルがいっぱい建ち始めているのが不安かも。 目に見える風景が変わると人たちの目とか姿勢も変わっていくでしょ。

そうそう、香川京子さんも結婚して夫の海外赴任についていって暮らしたのがクイーンズで素敵だったって。

[film] The Beatles: Eight Days a Week - The Touring Years (2016)

10月10日、連休最終日の昼、有楽町でみました。

Ron Howardによる、Beatles初期 - 欧米のチャートを席巻し世界中をツアーして前代未聞のスケールのバンドに膨れあがっていった時期のドキュメンタリー。
残されているライブフィルムやTV出演時のクリップを音質も含めてものすごい肌理細かさで(たっぷりお金かけて)復元して画と音を同期させて、決定版の、誰も文句の付けようがないであろうクオリティのライブフィルムを作っている。

わたしはBeatlesはふつーに好き、程度のものなので、日本にうじゃうじゃいるマニアのおっさん達の目から見てどんなレベルのものなのかはわからないし興味もないのだが、このフィルムはあの頃のBeatlesはこんなにすごかったんだねえ、さいこーだねえ、ていうだけのものとはちょっと違うのではないか、と思った。

Beatlesがすごいこと、彼らがものすごい努力をして苦労を経てその結果当然のように有名になって、それだけじゃなくて音楽的にも革新的なことを成し遂げていって渋谷陽一観点でだんとつの申し分のない存在である/になったことは言うまでもないのだが、この映画のまんなかにいるのは彼らをその熱狂と共に世界に放った女の子たちだ、というかんじがとってもした。

とにかく彼女たちの絶叫、失神(寸前)も含めたいろんな、ものすごい表情と笑顔に泣き顔、その迫力とヴォリュームがものすごくて、The Beatlesは彼らの楽曲にのせてこれら少女たちのすべてを全世界に思いっきり解き放ったのだ、と改めておもう。 その、60年代初めに世界中で起こった痛快としかいいようのない事態がしっかりと記録されていて、このフィルムは彼女たちのものなのだと思った。
おまけで上映されたShea Stadiumのライブなんて、女の子たちの面白さにばかり目がいっちゃうし。

その観点からすると、このフィルムはこれの少し前に見た”Teenage”とおなじようにある時代が発明した特定の世代・年代の話なのかもしれない、と思ったらJon Savageさんが出てきてなんか言っていたり。

なので、コメントとしては当時あの群れのど真ん中にいた熱狂的ファン - Whoopi GoldbergとかElvis Costelloのがやっぱりしみじみとおもしろいの。
これに対して日本の写真家のコメントとかって、いっつもそうだけど半端に文化人しようとしててつまんないのよね。オレは黒船を見たんだ、とか、そもそもThe Beatlesというのは…  とかそんなオヤジの自慢話にしかなっていない。そんなのどうでもいいのに - なんでストレートに自分の熱狂を、頭に血がのぼった様を語らないのかしらん。

最後のほうでは”Let It Be”のときのビルの屋上セッションが出てきて嬉しかった。
小学生のとき、映画の”Let It Be”がTV放映されて、買ってもらったばかりのラジカセのマイクをTVのスピーカーにくっつけて(ケーブルなんてあるのさえ知らなかった)懸命に録音して、これを繰り返し何百回も聴いてた。これが最初のBeatlesで、あとでレコード買って聴いたらなんかがっかりした。

しかしまあ若い人たち、見事に見にきていないよねえ。 なんとかならないものか。

11.04.2016

[film] Jason Bourne (2016)

10月9日、日曜日の夕方、新宿でみました。

前のBourne三部作(?)ていうのは見てない。けどぜんぜんだいじょうぶだった。

Jason Bourne (Matt Damon)は闇ボクシングとかでいろんなとこを渡り歩く野良犬の生活をしていて、そこにかつてのCIAの同僚Nicky (Julia Stiles)が声をかけてくる。

彼女はアイスランドのハッカーの巣からマルウェア使ってCIAのサーバーに攻撃を仕掛けて(ぷぷ)、そこで盗ってきたファイル(盗れるんかい)にBourneの過去に関わるものがあると。 そうして機密を彼に渡すとNickyは目の前で死んじゃって、盗まれて頭から湯気だして怒ってるCIA長官(Tommy Lee Jones)と彼の差し向けた殺し屋工作員(Vincent Cassel)と、CIA内でこの件の指揮をとるHeather Lee (Alicia Vikander)がBourneを追っかけまわすことになる。

盗んだ機密にはBourneの過去だけじゃなくてCIAが今やろうとしている闇の陰謀 - メガITベンダーのクラウドから個人情報をそのまま横流し(ぷぷ)- もあって、始めはBourneを追っかけていたLeeも彼の味方をするようになって - そりゃTommy LeeとVincent Casselが並んでたら悪顔すぎて働くの嫌になるよね - 国の平和とかなんかよりも30年前の父ちゃんの仇、とか、殺るか殺られるかのどつき合いになっていくの。

Jason Bourneは誰だとか、彼の記憶がどこでどうしてどうなったとかは割とどーでもよかったので、今回みたいに敵味方くっきり分かれてぼかすかやりあうのは悪くなかった。のだけどいろんなアクション - 特に取っ組みあいが早過ぎて目がついていかない。あれってパワーありすぎるので豪速球みたいになっちゃうってこと? あと、あんなさくさく蝿みたいに蟻みたいに人を殺していってよいのか、とか。 ベガスでのカーアクションだって技術もなんもないまま勢いでぶつかって潰して壊してがーがー走っていくだけなの。 あんな車をお粗末に壊しまくるのって”The Blues Brothers”以来ではないか、とか(誉めてる)。

最近の情報機関の悪企みって、たいてい個人の情報をぜんぶ持っていって可視化しようとするのね。Captain America然りX-Men然り。 でもその前に立ちはだかる圧倒的にすごくて強い個(たち)- 彼らはだいたい自分がなんなのかよくわかっていない - に叩き潰される、ていう構図ってどういうことなんじゃろか。 あれだけ車壊して大騒ぎ起こしてみんなに顔見られてて、個人情報だなんだ言う前にこんなやつ野放ししといていいの?
べつにいいけど。

あと、最後に流れるMobyによる主題歌の字幕があまりにださいので吹きだす。
歌詞の訳として正しい正しくない以前のところで、なにかが決定的にズレているとしか思えないかんじ。

11.03.2016

[film] The Sisterhood of Night (2014)

9日の青春映画学園祭、”Teenage”に続けてみました。 このお祭りの最後の1本。
『シスターフッド・オブ・ナイト 夜の姉妹団』
スティーヴン・ミルハウザー の原作短編は読んでいない。

これも“Tanner Hall”とおなじ女の子4人のお話しで、でも女子寮ではなくてみんな自宅で家族と住んでいて、でも姉妹団ていう目に見えない夜の秘密の絆で結ばれていて、それを繋いだのはSNSで、彼女たちは闇夜にこっそり集まるので謎だらけで、ある事件があったことから学校を含むコミュニティ全体の大騒ぎに転がっていく。

Mary (Georgie Henley)はなんでもできそうなカリスマ性もある番長格で、Emily(Kara Hayward - “Moonrise Kingdom”の彼女ね)はそんな彼女に憧れたり妬んだりで、わたしを見て!かまって! てBlogやSNSでわーわー言うしかなくて、この二人の散らす(というかEmilyが勝手に火をつけまくる)火花を軸に、アジア系でちょっと謎めいたCatherine (Willa Cuthrell)と素直なふつーのお嬢さんのLavinia (Olivia DeJonge)が加わって、エキセントリックなようでいて実はふつーにそこらにいる女の子たちだった - わかんないけどほんとのとこは - みたいな描き方をしている。

SNSとかネット系に寄ったりしているものの、NY州Kingstonという小さな町で起こった魔女狩りのような事件の顛末を追っていて、それがネットに起因するものなのかコミュニティの捩れによるものなのか、そこらへんがややぼやけてはいるもののポイントはたぶんそこにはなくて、女の子たちはやっぱり女の子たちだった。ていうあたりなのか。 男の子だったら秘密基地をつくってぜったいの誓いみたいのをやるようなやつ。 それがどれだけ特別なものだったのかは彼女たちにしかわからない。 誰もその跡を追うことはできない。 そういうもんでしょ、と。

冒頭の語りからある事件をきっかけに彼女たちの関係が暴かれてしまうことはわかっていて、だから見ているのはややきついところもあるのだが、終りのほうの展開は素敵で、更生しましただいじょうぶになりましたー。 たぶんな…  のような突っぱねた描きかたをしていて、だってあたしら夜の姉妹団なんだから、という。

彼女たちの夜の逢瀬や彷徨いがPVみたいな撮られ方をしているのはちょっと普通すぎて残念だったかも。 もっと野良猫みたいなふてぶてしさと闇に寄り添う姿があっても。
他方でこれは家族のお話し - ファミリーアルバムとしてもあろうとしていて、それもわかるの。
Catherineのママとかおじいちゃんとか。

巻きこまれてえらい目にあう教師役でKumarが。