さらに少し戻って、10月13日、木曜日の晩、新宿でみました。
この辺のロックのドキュメンタリー映画って、こないだのThe DescendentsのにしてもBad BrainsのにしてもThe Damnedのにしても、なかなかなんか難しい。
ライブだったら晩の9時ってありがたいのだが、映画で9時だと、よっぽど目を見張るような内容でもない限り座った途端に子守唄になって安らかに寝ちゃうのよね。
でもこの映画の題材に関しては少し別で、D.C.のハードコアシーンていうのは、ふつうの(ふつうってなんだよおら)パンクのドキュメンタリーで示されるのとは別の枠で - RamonesやPistolsやClashの歴史を描くのとは別のかたちでやり方で - 描かれなければならない気がしていて、それは簡単にゆってしまうと当事者の視点(当事者ってなんだよおら)が不可欠で、そいつを欠いてしまうと、このD.C.のパートについては、麻疹とか水疱瘡みたいな拡がりかたをした妙な熱病、伝染病のように見えてしまうよう、そんな気がしてならないの。 それでもいいんだけどね。 "Salad Days"ていうタイトルなんだし。
具体的にはDischord Recordsを作った Ian MacKayeとJeff Nelsonへのインタビューを中心に徹底的にマイナーで手組みのネットワークを掘って作ってひろげて維持していった、ぜんぶ自分たちだけでやった、その手口やり口を聞き出してみる。 それだけなの。 ブレーク、みたいなポイントも閾値もなくて、作って出してライブして、を繰り返していっただけ、と。 Farm-to-tableみたいなことを35年前からやっていた、と。
それだけなんだ、ということをどこまでおもしろいと、すごいと思えるかによってこの作品の受け取り方は変わってくるとおもう。
最初期のパンクが掃き溜めのなかから火花起こして好き勝手にやっていたのとは異なり、彼らは既に見え始めていたパンクの産業化・消費化を明確に冷静に見据えて、そうならないような形で自分達の音楽を自分達で制御してリリースしていった、こういうのをネットもなんもなかった80年にそこらの若者がインディペンデントではじめた、やった、ということの驚異は、今の子達には伝わりにくいかもしれない。
自分にしても、全貌を見渡すことができてこれはとんでもないわ、と思ったのは2002年に出たコンピ"20 Years of Dischord”あたりからだったもん。
あとは音そのものね。 Minor ThreatにしてもFugaziにしても、なんであんなに固く強くがりがりぎざざぎざ、どこまでも気持ちよく鳴るのか。 デザインだってかっこいいし。 それをつまんない御託ならべてないでさくさく出して、あとはライブで勝負、ていう潔さ。
ラストのIan MacKayeさんの一言がさいこーだった。「もういいだろ、あっちいけ」みたいな。
それにしても、Fred Armisenさんはなんで?
11.22.2016
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