25日、土曜日の夕方、新宿で見ました。 フランス映画祭もEU Film Daysも忘れてたわ。
会社の抽選かなんかで一等になったケイレブ(Domhnall Gleeson - Depeche Mode好きっていう設定だって。まだお若いのに)は会社のCEOの別荘地に一週間ご招待、ていうご褒美を貰う。
海を越え山を越えヘリで辿りついてみると、そこはモダンな要塞のような施設で、まずIDカードを作らされ、そこに1人で篭っているCEOのネイサン(Oscar Isaac)にNDAを結ばされて(ぜったい逃げたくなる)、なにをやらされるかと思ったらネイサンが開発中のAIのチューリングテストで、そこに現れた被験AIはエヴァていう外見は女の子 - ただしところどころスケルトン - で、映画はそこから約一週間のケイレブとエヴァのセッション(計7回)と、その進行につれて露わになっていくネイサンの企てとケイレブとの確執、などなどを追う。
あったりまえの話だが人工知能が人間のそれと同等であることを測る、証明するには人間の知能の限界・境界を、知能を知能たらしめる無限のコンテキストと判断軸と分岐 - そこには価値観の問題も入ってくる - まで含めて見極める必要があって、そういうことができるのは神さまくらいしかいない、てみんないうわけだが、この映画はいちおうそういうところも踏まえた上で、それなら例えば、恋愛なんかどうだろ、とプラクティカルなところに突然おっことしてみる(... うまい)。
その結果がどうなるのかはお楽しみなのだが、問題設定をそこに置いてみた(そこに意識を誘導してみた)途端に試験者と被験者(AI)の立場境界は曖昧になって、特に試験者である人間側はおろおろ混乱しはじめて、でもこれって相手がAIじゃなくてもふつーに起こることよね、あの結末も含めて、で、まあとにかく、試験者側にナイーブな童貞プログラマみたいのを単独でノミネートしちゃだめよ。 わざとだろうけど。
各セッションがボクシングのラウンドみたいに睨み合いも含めて続いていって、アセスする側とされる側の関係が危うくなって、そうするとなぜか人間は疑ったり焦ったりするようにできてて、「全体」を押さえているのは、わかっているのは誰なのか、みたいな話になりがちで、その帰結として悪いのはあいつだ、消しとけ、みたいなところに行く。 この作品はその流れのなかで、創造主のネイサンと構造物のエヴァと、やわい若造のケイレブの配置が見えるとこ見えないとこ含めてとてもよいバランスで。 破綻のシナリオはいくつも書けるだろうけど、やっぱりあそこなのだろうな、と。
AIだけじゃなくてロボティクスの技術も必要なんだしあそこまでネイサンひとりで工作するのは無理だろ(Tony Starkとどっちが上か?)とか、停電とか防御プログラムとか(停電起こせるならプログラムだって書き換えできるよね?)、つっこむところはいっぱいあるけど、検索エンジンの名前がBluebook - 青色本- だったり、全体のデザインとセンスはとってもきれいで、このへん、"Under the Skin" (2013)をすこしだけ思いだした。 実はどろどろ気持ち悪いところをスタイリッシュにかっこよく見せてしまうブリティッシュなんとか、というか。
Domhnall Gleesonさんはキャラ的には”About Time” (2013)のまま、父親の影と100%の女の子の間で一生揺れ続けるやつ。 あと、Oscar IsaacとDomhnall GleesonはEP7でも敵味方だったけど、これからもずっと犬猿をやり続けてほしい。
ふたりいる音楽担当のうち、ひとりはGeoff Barrowさんで、あの音圧がぶんぶんしていてたまんない。 エヴァが動くときの音も気持ちよいの。
エンドロールで、Savegesの”Husbands”がものすごくかっこよく、爽快に鳴るの。
6.27.2016
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