14日の午後、アテネ・フランセのアルスラン特集、"In the Shadows"に続けて見ました。
犯罪もののあとは西部劇。 ふつうにイメージする西部劇とは結構違っていて、ロードがなかった時代のロードムービー、のように見ることもできる。
19世紀末の夏、カナダの田舎の駅にエミリー(Nina Hoss)が降りたって、出発しようとしていた金鉱掘りのグループに加わり、掘ればじゃんじゃか出ると噂の北部の金鉱に向けて出発する。 その隊を率いている案内役のおやじは、行けば絶対に当たるから儲かるから、て意気揚々で、でも全財産をはたいてここまで来たらしいエミリーにとっては最後の賭けで、意志は固いけど明るく盛りあがることなんてできない。
タイトルは『黄金』で、でも黄金に憑かれたり狂ったりした人たちのお話しではないし、黄金が運命を操ったり何かをもたらしたりするわけでもない。 黄金はなんというか、おてんとさまみたいなもん?
そうやって旅にでた移民を中心とした7人とお馬数頭だが、道行きはとっても過酷で、地図なんてないも同然で方角わかんないし、原住民に教わってもあまりあてにならないし、リーダーも嘘つきだった(ので追い払った)し、いろんなことが起こってひとりまたひとりと死んだり狂ったり脱落していって、最後はエミリーと寡黙な馬世話係のふたりだけになる。
馬世話係の男はNYで人を殺めて追われている、といい(実際に仇討ちで追ってくる)、エミリーもドイツのブレーメンからシカゴ経由でNYに渡って小間使いとかをしながらここまで来た、かつて結婚していたらしい、ようなことがわかるのだがその程度で、確かなのはあまり先が見えないことと、金鉱にたどり着けたとしてもその後がバラ色になるとはぜんぜん思えないの。 ある土地にいられない or いたくないから土地を移動する、渡る、という点で移民の動きそのもので、移民の生活というのは起点と終点ではなく、そのしんどい渡りのまんなかにあるのだ、というのがわかって、その中で彼女のなにがなんでも向こう岸に行くのだ、という意志ばかりがむき出しになっていく。
人物の撮り方とか置き方は"In the Shadows"と同じようにとても遠くて静かで、撮ろうと思えばいくらでも撮れたにちがいない雄大な景色との対比もそんなにはなくて、例えば"The Revenant"の主人公にびったり張りついて一緒に這ったりのたうち回ったりのようなカメラの動きは皆無で - 熊も襲ってこないし - 開拓時代の果てのない旅を描いたものとしてはぜんぜんちがう。
"The Revenant"をドライブしていたのがHugh Glassの「復讐」だったとすると、こっちはなんだったのだろう - 「諦念」?
的外れかもしれないが、かんじとしては"Wild" (2014) - ひとりで1100マイル歩くやつ - を更に後ろ向きにした19世紀版、のようにも。
音楽はEarthのDylan Carlson。 砂を噛むようなギターの音色がなんとも言えなくよいの。
“In the Shadows”と”Gold”でアルスランという作家がわかったかというと、そんなわけあるかー、だったので、次の回顧上映まで待ちたい。 それまでにのたれ死にしないようにしなきゃ。
6.15.2016
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿
注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。