元のトラックにもどります。 がんばるけど、もう追いつくのはむりだわ。
4月29日の午前、イメージフォーラムフェスティバルの最初の。
すごく混むかと思って行ったらそんなでもなくて、日本語字幕の映写に問題があって英語字幕のみになったので入場料タダ、なのだという。 よくわかんないけど、日本語字幕なしでタダになるならそんなのいらないからぜんぶタダにしてほしい。
『ミシェル・ウエルベック誘拐事件』。 英語題は、“The Kidnapping of Michel Houellebecq”。
ウエルベックの本はいくつか積んである。まだ読んでない。
今のこのくそみたいな状態で「積んである」のを「読んである」にどうやったら ...
気難しそうで面倒なかんじの老人がウエルベックで、明示されるわけではないが作家本人としてそのまま出ていて、町を徘徊していろんな人と会ったり話したり - コルビジェをこきおろしてそこからバラードの話しになって、みたいなのを - している。
で、アパートに戻ったら後ろから屈強な男3人 - ボディビルやっていたり格闘技やっていたりでぶだったり - がついてきてそのままするする縛られて箱に詰めこまれて、それごと車でどっかに運ばれて、梱包を解かれてみるとそこは郊外の一軒屋で、運んできた3人の他にそもそもそこに住んでいるらしい老夫婦がいる。
何のための、何を狙った誘拐なのかよくわからないまま、ベッドのところにやんわりと繋がれた軟禁生活が始まって、映画は著名作家の誘拐事件をめぐる緊迫したやりとりとか救出 or 脱出劇からはほど遠い、誰かから言われるままに誘拐してきた3人と、彼らから頼まれて彼を家に置くことになった老夫婦と、世の中を舐めまくり拗ねまくりろくなもんじゃねえと思っている老作家の、ぜんぜん噛みあわない変な時間空間を描いていくことになる。
誘拐された側が実は難物で曲者で大迷惑、というパターンはこれまでもあったと思うが、ウエルベック氏は腹減ったとかタバコとか酒とか、女(近所の娼婦の姐さんがやってくる)とか、その程度を老人のやかましさでわーわー言うくらい、脱出計画を立てるどころか、日にちが経つにつれて互いにだんだん馴染んできて下宿人みたいになってきたり。
そういうすっとぼけ誘拐ドラマ(コメディ)としてのおもしろさもあるのだが、主眼はたぶんそこではなくて、彼らが誘拐したのは作家としてそれなりに認知されたほんもんのミシェル・ウエルベックで、この「事件」のもたらすインパクト(予測)、犯人像(予測)なども含めて、そのまま現実と繋がっているということだろう。 一軒屋に連れてこられたウエルベックが拷問を受けて殺されて、のようなオルタナの筋書きがあったとしてもおかしくない、そんなふうな何が起こるのか一寸先の見えない緊張感と距離感でカメラは動いていくし、ウエルベック本人にしても演技をしているような熱はまったく感じられないの。
「ミシェル・ウエルベック誘拐事件」 - 映画のタイトルにもニュースの見出しにもなりうるようなこのタイトル、そしてコトは映画用のセットでもなくネットや監視カメラに曝された町中でもない、われわれの視界の外側で、ごくふつうの事件と同じようなかたちでぽつりと起こった。 その妙な生々しさ。
あとなんといってもウエルベックじじい本人のなんともいえないおもしろさ、だよね。 娼婦呼んだときとかもとってもまじなかんじだし。
日本の老作家でああいう絶妙な「演技」したり存在感をだせるひと、いるかしらん?
5.27.2016
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