5.04.2016

[film] Céline et Julie vont en bateau: Phantom Ladies Over Paris (1974)

16日の土曜日、「夜警」に続けてリベットの二本目。『セリーヌとジュリーは舟でゆく』 193分。
はじめてみた。 おもしろいもんじゃのう。

Julie (Dominique Labourier)が公園のベンチで魔法の本を読んでいると向こうからCeline (Juliet Berto)がすたすた歩いてきて、サングラスを落として、それでもすたすた向こうに行っちゃうのでJulieはCelineを町の奥のほうまで追いかけていって、こうしてふたりの冒険が始まる。

いろんなひとが既に言っているようにこの冒頭から「不思議の国のアリス」としか言いようがなくて、あれが世界をまるごとメタメタで再定義しようとしたのと同じく、この世界では、このふたりの前ではどんなことだって起こりうるし、ふたりにできないことはない。 そんなふうに物語を、世界をいちから作ろうとしている。 

基本はこちら側と向こう側のことで、それはふたりの女の子CelineとJulieの間のことでもあるし、追うものと追われるもののことでもあるし、ふたりが扮したマジシャンとシンガーのことでもあるし、魔法をかけるものとかけられるもののことでもあるし、町のどこかにある謎の古いお屋敷の扉の向こうのこと、そこにいる男とふたりの女と連れ子のこみいっているぽい事情のこと、彼らの時代劇みたいなやりとりとふたりのアナーキーな70年代ふうやりとりのこと、人形と人間のこと、そこに流れる可逆不可逆な時間のことでもあるし、互いが互いのことなんて知ったこっちゃない状態で、すべてが想像上の、虚構の、なんでも起こりうる、どうとでも見る/感じることができるようなやつらでいくらでもわらわら湧いてくるので、じゃあどうするんだよこんなの! て頭がじたばたしてくると、飴玉をなめてごらんよ、とか言われる。 

で、こういう世界のありようにしたって最後にもういっかいぐるりと倒立してしまうのでお手あげである、と。

こんな事態や状況や世界は、CelineとJulieみたいな女の子と猫だけが渡っていくことができる。
世界をきれいに対照的に分かつ水面/鏡面の上をすうーっと魔法のように滑っていけるのはボートだけで、だから『セリーヌとジュリーは舟でゆく』なの。 ボートはひとつでなくてもよくて、別のボートにはアダムスファミリーみたいな例の一家も乗っかって、彼岸と此岸の間を静かに流れていく。
世界(の成り立ちとか現実・非現実)ってひょっとしたらこんなふうなのかも、という重層/多層感を押しつけっぽくなく描くコメディ - ていうかコメディっていうのはこういうかたちで世界を再定義するものなのだ。
とかドゥルーズせんせいはかつて言った。 のかな。

CelineとJulieのふたりって、今だともろBroad Cityだよね。 すてきだこと。

この後の『彼女たちの舞台』(1988) - “Gang of Four”は、大好きだしできれば見たかったのだがもうへとへとだったので諦めてRSD2016のほうに走ったのだった。

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