5.05.2016

[film] Captain America: Civil War (2016)

連休は風邪ひいたりでさんざんで … こっちから先に書こう。
30日土曜日の晩、六本木で見ました。 3Dじゃなくてもいいか、と2Dで。音だけTCXの。

“Captain America: The Winter Soldier” (2014)と”Avengers: Age of Ultron” (2015)でShieldが実質解体再編成された続きの世界で、Captainのチームが生物兵器を巡る捕物の過程でミスして現場の建物に入っていたアフリカのWakanda国のスタッフに死傷者を出してしまう。

この辺りがきっかけとなってAvangersの活動に一定の歯止めをかけるべくSokovia協定の検討が進んでAvengersは反対派と止むなし派に分かれてしまうのだが、その締結の議場で再びテロが起こり、その犯人として浮かびあがったのがWinter Soldier - パッキーで、Captainはますます窮地に立たされてしまうの。

ここからAvengers同士の二手に分かれての内戦 - Civil War - が加速していって、それはそれはごちゃごちゃやかましく目が疲れるのだが、この映画のテーマはCMで言っているような仲間だの友情がどーした、とかそんなどうでもええ幼稚なところにあるのではなく、そういう内戦状態の持続こそ悪い奴らにとっての思う壺だ、とかわざとらしくいうのでもなく、正義や悪の境界を定義し、それを承認するのは誰なのか、その結果責任はだれが負うのか、というおっそろしく深い根源的で複雑な問い、その提起なのだと思った。

第二次大戦からレッドパージを経由して冷戦、更に911以降、それに伴う地政の変遷、などなどを通してアメリカの正義感、倫理観、イメージは何を基軸にしてどうあったのか、どう変わっていったのか、それらをアメリカンコミックのヒーローであるAvengers(背負って立つ時代背景はそれぞれみんな異なる)はどう鏡像として体現してきたのか、ということ。

今作では海中から巨大戦艦が浮かびあがったり街全体が空中に浮いたりといった子供ごころのカタルシスに訴える見せ場が殆んどないまま、ごちゃごちゃ込み入った(ほんと目が疲れる)地上戦肉弾戦を繰り広げてばかりいるのも、この地味で遠大なテーマと無縁ではない。
ちょうどこないだの”Batman v Superman: Dawn of Justice"も同様のスーパーヒーロー同士の諍いを取りあげているが、あの喧嘩がなんか浅くて半端に見えてしまうのだとしたら、Supermanは地球外から来たやつ、ていう設定と無関係ではないと思う。 ついでにいうと今回の内戦にThorとHulkが入ってこないのにはおそらく明確な理由がある。

話を戻すと、やっちまう前に第三者機関による事前承認がSafeguardとして必要(ネゴ調整可)なんだとするIron Man派と、緊急さと重大さを自身で判断して行動するしその責任は100%とる(だから信じろ)、とするCaptain派と、この対立には正当な解はありえなくて、互いにぜったい譲れない、とするその根っこにあるのが親の仇、だったり、終生の友、だったりするのもおもしろいの。(“Batman vs…”でも生みの親と育ての親がそれぞれ重要な役割を)

更にあのラストに登場するアフリカの第三国、というのもとても示唆的だよね。
正義のよりどころを自分の守るべき家族や友人というよりミクロなところに収斂させ民の納得感をもって煽る、ていうのは戦争のプロパガンダの常道で、それを複数の立場の登場人物のそれぞれの立ち位置を含めて重層的な漫画として描く、そして/それでもこの映画の主人公はCaptain Americaなのだ、というところが、なんかすごいわ、ておもった。

でも個々のAvengers同士のケンカはあんましで、Ant-Manのあれはねえだろ、とか、あれで死傷者がゼロのわけない - 本気だしてないだろ、とか、空港あんなにしちゃって誰が賠償するんだ、とか。
いちばんウケたのは地面にのびちゃったSpider-ManにCaptainが「おまえどっから来た?」 - 「クイーンズだよ」 - 「そうか、おれはブルックリンだ」ていうとこ。 現地で見たかったなあー。 

Spider-Manはあんなつるっとしたガキになっちゃうのかあ、と思っていたら正式(サブ)タイトルは”Homecoming”なのだと。 クイーンズなめんなよ、ていうこと?

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