4月29日の午後、渋谷で見ました。 フィナーレをグランドにしたいと思っているっぽい老人たちでぱんぱんに混んでた。(みんな終って小声でぶうぶういってた)
『グランドフィナーレ』。 ?
風光明媚なアルプスの奥にある金持ち/セレブ専用の養護施設に引退した指揮者Fred (Michael Caine) とかその友達で次作を準備中の映画監督Mick (Harvey Keitel) とか次作の役づくりをしている人気俳優Jimmy (Paul Dano) とかがいて、期限がきたらエビにされちゃう心配もいらないので散歩したりスパに入ったり演し物を見たりしてのんびり過ごしている。
そんなある日、英国の女王陛下の使いが現れて、女王の式典用にFredが昔作ったオペラ曲を指揮してくれないか、と依頼するのだが彼はそれをつっぱねる、とか、Fredの娘(Rachel Weisz)が旦那に浮気されたあーてびいびい泣きながら現れたりとか、Mickとそのクルーが伝説の老女優 (Jane Fonda)を想定したドラマの脚本を練ったりとか、空中浮遊の瞑想をしている東洋人の僧侶とか、そういうエピソードを散らしつつ、若さと老い、美と醜、捨てることと捨てられること、などなどの対比を通して平穏に見えるけど実は崖っぷちー の生のありようを描きだす、というのがおっきなテーマ、かなあ。
ここらへん、監督のPaolo Sorrentinoが、過去の"The Great Beauty" (2013)とか”This Must Be the Place” (2011)を通して一貫して追求し続けているテーマでもあって、悪くはないし、わかんなくはないのだが、まだ若いよねえ、みたいなかんじはする。 あなた70年生まれでそこにそんなに突っこむ? とか。
例えば映画監督の最期のとことか、"Big Fish"(2003) とかと比べちゃうとぜんぜん来ないんだよね、とか、女のひとの裸が出てきてもぜんぜんエロがないんだよね、とか。いろいろ文句(ていうよりケチ)をつけたくなってしまうのはなんでだろうか、て見ながら思っていた。
どれだけ老いても腐ってもこびりついて落ちない焦げ、みたいのは誰もが持っているもので、それらにどう折り合い(生きる、狂う、死ぬ、など)をつけていくのか - 特に芸術家やパフォーマーの人たちは - でもそんなの人それぞれに決まっているし、だから基本他人のそんなのなんて知ったこっちゃないもんだし、だからそんなとこに隔離されてやってくるような柔いシングルやろうはエビにでも変えちまえ、ていうのが例えば”The Lobster” の思想なんだと思うが、Paoloはきっと、とってもやさしい奴なんだろうな、て思った。
あーでも、一番印象に残って最後まで消えないイメージはFredの老妻の遠くを見つめる目、その顔だったりするので、一筋縄で行かないかも、なんか抱えこんでるのかも、とか。
Mark Kozelekさんが本人で出ている。 ちょっとびっくりしたけど。
5.28.2016
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