10.28.2013

[music] RIP Lou Reed

今月の8日にThe PoguesのPhilip Chevronが亡くなって、もう"Thousands Are Sailing"を一緒に歌うことはできないんだなあ、としょんぼりしていたら、更に寂しくなるお知らせが届いた。

こんなに素敵な秋日和、Perfect Dayだというのに。 
きっと今週のHalloweenに合わせたんだね("Halloween Parade")。

最後に姿を見たのは、2011年2月のThe Stoneで、Hal WillnerとPhilip Glassのデュオの観客としてだった(2列前にいた)。
たまにうとうとしてて、終わると立ちあがって喝采してた。
ライブで最後に見たのは、Bowery Ballroomでの"The Raven"のお披露目だったか。
NYにいると割といろんなとこに出没していて、一見すると変な服を着たおじいちゃん、だった(晩年はね)。


「ぼくはきみの鏡だ」("I'll be your mirror")と歌い、「ぼくは接着剤みたいに、きみにずっとずっとくっついていくよ」("I'm Sticking with you")と歌い、「きみが扉を締めちゃったら、ずっと夜のままになる」("After Hours")と歌い、「きみだけがぼくを繋ぎとめていてくれる」("Perfect Day")と歌った。

そんな彼は「大御所」でも「多大な影響を与えた」ひと、でもなかった。 彼の歌は常に鏡として朝も晩も自分の目の前にあり、"Sweet Jane"も"Rock & Roll"も"Walk on the Wild Side"も最高の鼻歌で、街中をスキップするときにあんなに軽やかに、爽快に鳴る音はなかった。

Bowieが欧州人の閉塞と悲愴感をもって一緒に心中しよう!と叫んだのに対し、彼はアメリカ人の軽さと人懐こさでいろんなところに我々を誘い、鏡の裏側を、扉の向こう側を見せてくれた。ちょっと苦い、窪んだ目に悪戯っぽい笑みを湛えて、そこに立っていてくれた。 それがWild Side - ドラッグだろうがSMだろうが退廃だろうが悪徳だろうが - にあったとしてもちっとも怖くないし、気にならなかった。 彼の詩には過去の偉大な文学作品と同様の真理を貫こうとする意志と光があり、題材はどうあれどこまでいってもパーソナルできわめて倫理的なものだった。

そして、ナイーブな詩の向こう側には、奈落の底から鳴り響く、アヴァンギャルドな音の雲への志向があり、ごりごりと強く硬くしなるギターアンサンブル(Robert QuineやMike Rathkeとのコンビネーションの凄まじさはもっときちんと評価されるべき)があった。

そういう世界を、欲望と愛が轟音をたててぶつかりあい、エクスタシーをもたらす何か、そういう強く深く震える音 - そこにリアルな世界まるごとが含まれるような音を - 彼は求め、そこにわれわれを誘導した。 
Perfect Dayを過ごすきみとぼくがぶらさがっているしょうもない世界が抱える光と闇、そこに吹く風と熱とはこんなふうだよ、と教えてくれた。

彼がいま一番我々に聴かせたい音は、彼がいまいる場所で鳴っている音なのだとおもう。白い光と白い熱の溢れるところ。
すごく聴かせたがっているとおもうし、我々もそれをほんとうに聴きたい。 聴けないのがさびしいよう。

ご冥福をお祈りいたします。

10.27.2013

[log] New Yorkそのた - October 2013

NYのそのたあれこれ。

買ったアナログの新譜はこんなの。

- Mazzy Star "Seasons Of Your Day"
漆黒にちかい紫の2枚組、やっぱしぜんぜん、Mazzy Starだった。 すごいかも。

- "CBGB" OST
透け透けピンクの2枚組、スタンダードばっかし入っててお得。

- Molly Drake
Nick Drakeのママの宅録盤。Other Musicのレジのおにいさんが「これ、ほんとに泣けるんだよねー」としみじみ言ってた。ママが毎日こんなのを台所で歌ってくれるとNick Drakeができあがるんだね。

- Jesu "Everyday I Get Closer To The Light From Which I Came"
盤の色は渋いグレイ。

あと、Quasiの"Mole City"はアナログが売切れてて残念で、カバー集のおまけがついたCDのほうを買った。

さて、WilliamsburgからGreenpointに引っ越したAcademy Record Annex、14日に行ってみた。 天井が高くてだだっ広くて、中古7inchはまだ準備中のようだった。
店猫のTiggerはまだ着いていなくて翌日に到着予定だと。替わりに隣の店のわんわんがいた。
次行ったときにはすごくなっていそうな予感たっぷり。
ご祝儀に中古3枚くらい買った。 Allen GinsbergがWilliam Blakeを詠っているやつとか、Melvinsの"Eggnog" (1991)とか。

Greenpoint行ったついでに、こないだのBrutusの特集に出ていたレコ屋2軒にも行ってみた。
それぞれに個性があって、それなりにあった(Guided by VoicesのデビューEP $120はどうか)のだけど、レコード屋って古本屋とおなじで、陳列のレイアウトから値札の付け方まで、いちどある店のやり方に馴染んでしまうとなかなか他には移れないのよねー。

本は、いっぱい買いすぎ積み過ぎなのでもう買わないことにしてた。
GreenpointのWordでも買うのなんてないのだが、ひとつだけおみあげに"We Killed: The Rise of Women in American Comedy"ていうのを買った。

Lorimer Street / Metropolitan Avenueの地下鉄通路本屋はやってなかった。
つまんないので、Williamsburgの猫書店(Spoonbill and Sugartown)にも行った。
ここで売っていた来年のカレンダー。 まだまだ行くとこはいっぱいあるな。

http://spoonbillevents.files.wordpress.com/2013/10/bookstoresofbrooklyncalendar2014.pdf

あとT MagazineふたつとMetroと。

食べものかんけい。

6日の晩は、久々にPorsenaに行った。相変わらずシンプルで、でも力強い。

定番のEscarole SaladもParmigiano Reggianoの塊にバルサミコ掛けただけのも。
デザートのLemon Olive Oil Cakeもほんとうに驚異で脅威で。

12日、久々にChelsea Marketへ。
新しめのジェラート屋がおいしそうだったが、既にRonnybrookのミルクシェイク(盤石の定番)を戴いていたので、あきらめ。

ここのホットドッグ($5)はおいしかった。

http://www.dicksonsfarmstand.com/

12日の晩、The Meatball Shop 行った。(ほんとはUmami Burgerに行ったのだが一杯で、ここもずっと行きたかったし)
基本のは4個で$7。 牛、豚、鶏、ベジ、日替り、とかの団子のネタを選んで、ソースを選んで、オプション($5)で下に敷くやつ(スパゲティとかリゾットとか)、横に置くやつ(付け合せの野菜とか)を選ぶの。 はずれるわけない。ここの料理本、どうしようかな。

そういえば、アッパーイーストのお肉屋、Lobelのお惣菜屋がBloomingdale'sの少し上のとこにできていた。ここのトマトソースに浸かったお惣菜ミートボールも殺人的においしいんだよう。

http://www.lobelskitchen.com/

13日の朝はStandard HotelのGrillでパンケーキ。相変わらず混んでいた。
前とは少し味が変わっていたけど、おいしいったら。
食べたあとで少しHigh Lineをお散歩したが、空気が澄んでて、秋の変な草花がいっぱい、変な鳥が鳴いてて、今年のベストお散歩決まり(他に行かないだろうし)だった。 ぜんぜんわかんないのだが、あれって空中英国庭園をやろうとしているの?

High Line Hotel内のIntelligentsia Coffeeも飲んでみる。レジ対応がすごくあぶなっかし、だったがコーヒーはほんわかまろやかに香り、すうっと消える後味が見事だった。最近のこういう系のコーヒー屋さんとは違う方向かも。

14日の昼、Greenpoint散策で行ったのは、Le Gaminていうフレンチカフェみたいなとこ。
地元にこういうのがあったらなあ。 Wordで本買ってここに運んできてだらだら、まる一日読む。

14日の晩、NINのライブの前に行ったRoman's、ここもいつ来てもすばらしい。

Porsenaと同じような天然系、メカス先生言うところの「ほんもんのイタリアン」なのだが、例えばね、Radicchioとゴルゴンゾーラと胡桃とリンゴと赤タマネギ、これらをぶつ切りにして少しのバルサミコとオリーブオイルで和えただけ(推測)で、なんでこんなふうになってしまうのか、宇宙の謎としか言いようがなくて、そいつに向かっておいしけりゃいいんだ、と言い切ってよいものかどうか。

あと、ここでもMeatballたべた。 これもねえ、Meatball Shopとはちがうやつでさあ。

まだなんかあったはず。

10.26.2013

[film] Muscle Shoals (2013)

13日の晩、"Beau Travail"が終わったのが20:30くらい、これは「お休み」なんだからまだまだ休むのはもったいないし、Denis Lavantのあんなダンスを見たあとでじっとしているなんてできるわけないのだった。 なので、地下鉄でクイーンズからSOHOに出て、Aquagrillで生牡蠣12種類を12個流しこみ、40分かそこらで出て、22:20からIFCで見ました。

アラバマのMuscle ShoalsにあるFAMEスタジオ、とその周辺に関するドキュメンタリー。
Muscle Shoalsサウンズ、て呼ばれているものってどういうの?  をきちんと押さえておきたい、というお勉強で。

冒頭にBonoが出てきてしゃべりだしたのでなんだよ、とかおもう。
こないだの"20 Feet from Stardom"もそうだったけど、こういう、ちょっとマニア向けのドキュメンタリーの掴みに大御所が出てきて偉そうになんか喋る、てどうなのかしら。

FAME(Florence Alabama Music Enterprises)スタジオのオーナーであるRick Hallを主な語り部にここでのレコーディングの歴史となんでああいう音なのか、の秘密に迫る。 
こないだの"Sound City"の場合だと、Neveのコンソールとかスタジオの仕様とかが肝にあった気がするが、ここの場合そういうのはなくて、スタジオを囲むMuscle Shoalsという土地、川、沼、そういった風土とかスピリチュアルぽいなんかとか、年代も60年代まで遡るので割と「伝説」ぽい昔語りに寄りがちで、この辺は賛否あるところかもしれない。

でも個人的には最初期のAretha Franklinのレコーディング風景をうかがうことができただけでも十分だった。
あの”I Never Loved a Man (The Way I Love You)”のイントロのピアノリフが発明されたくだりとそのリフを、おじいさんになったSpooner Oldhamが実際に弾いてくれる、それだけで痺れた。
この頃のArethaの外見てほとんどアイドル仕様なのだが、それのあとに今のたぷんたぷんの彼女の全身を映してしまう残酷さもまた。

Roger Hawkinsがドラムを叩く映像が少し。初めて見た気がした。
Jerry WexlerもTom Dowdももういないんだねえ。

あとはEtta JamesとかJimmy Cliffとか、Stonesのふたり(Keith Richards、なにいってるかぜんぜんわかんね)、Dan PennとかSteve Winwoodとか、優等生Alicia Keysとかいっぱい。

締めはLynyrd Skynyrdによる"Sweet Home Alabama"、この曲のなかでMuscle Shoals Rhythm Section - The Swampersのことは歌われていたんだねえ。

日本で公開するならピーター・バラカン先生にナレーションを。ナレーションなかったかもだけど。

10.24.2013

[film] Beau Travail (1999)

気圧がひどすぎてしんでる。 いーくらなんでもひどすぎる。

13日の19:00、AstoriaのMuseum of Moving Imageで見ました。 MOMAで"10 Rillington Place"を見たあとに。

ここでは9月からずっと"The Complete Howard Hawks"をやっていて、この日も16:30から"A Song Is Born" (1948)がかかったのだが、MOMAからここまでの移動を考えると危なそうだったのでここは諦めて、MOMAから一旦ダウンタウンに降りてOther MusicとMcNary Jacksonをまわったのだが、つい5日前くらいにも来ているのであんましないよね。 アナログ2枚買ったくらい。

Museum of Moving Imageでは、NYFFで彼女の新作"Bastards (Les salauds)"がかかったことを受けてか、この日から"Five by Claire Denis"ていう小特集があって、5本ていうのは、デビュー作の"Chocolat" (1988)と、これと、"Trouble Every Day"(2001)と、"The Intruder" (2004) と、
"Bastards"で、"Trouble Every Day"はBAMでも上映されて、なぜか局所的に盛りあがっていた。

10/5のNew Yorker FestivalでのNoah BaumbachとGreta Gerwigのトークのなかで、"Frances Ha"でFrancesがBowieの"Modern Love"に併せて疾走するシーンが流れて、てっきりそれに続けて、『汚れた血』での"Modern Love"にいくかと思ったらこの"Beau Travail"のラストのDenis Lavantのひとりダンスシーンに行って、それでもみんな唸らされて、すごく気になったの。

原作、というほどのものではない、ベースはメルヴィルの短編 「ビリー・バッド」。 ちなみに(配布されていたレジュメにあったのだが)同年に公開されたカラックスの"Pola X"の原作もメルヴィルである、と。 たぶん偶然だけど、と。

軍をクビになったオフィサーGaloup(Denis Lavant)が軍にいた当時 - アフリカのジブチに駐留するフランス外人部隊の訓練と待機、移動の日々を回顧する。
血なまぐさい戦闘シーンがあるわけではなく、どちらかというとなにも起こらない静かで退屈な日々 - ダンスとか訓練とか水泳とか - なのだが、そこに入ってきた美しい新兵(Grégoire Colin)と彼の確執を描く。 

ここも激情まみれのどろどろの愛憎劇、というよりはそれぞれの目線や動きの交錯のなかのストップモーションとして静かに描かれて、それはそれで鮮烈に残ってすばらしい。 ありあまるエネルギー、美しい自然のなか、仕事(戦争、戦闘)の向かうところが宙に浮いてしまったとき、中立地帯に放りだされて目が彷徨ってしまったとき、例えばヒトはこんな動きをしたりする。
新兵はGaloupを殴って、Galoupは彼をぼこぼこにして車で運び、砂漠のまんなかに置き去りにして、それがばれてクビになって、ちぇ、と。

アフリカにいるフランス人、ジャングルではなく沙漠と海、学校ではなくて軍隊で、というのはあるのかないのか。

んで、夜中の屋外(クラブの外?)、タバコを片手に持つGaloupが"The Rhythm of the night"にあわせて身をくねらせるラストになるのだが、これはなんなのか。 ダンス?
あらゆる目的、過去からも未来からフリーとなってしまった野性と野蛮と肉と魂が、なにかを求めてなのか、なにかを解放するためか封じ込めるためなのか、冷たい夜の闇のなか、動きはじめる(まさに動きはじめる、ような動き)。 今にも爆発しそうで、でも同時に完全に統御されているようでもある。

客席からどよめきと歓声が起こって、最後はみんなわーわー拍手だった。 それくらいすごいの。
(You Tubeにもあるから見てみてね)

10.20.2013

[film] 10 Rillington Place (1971)

13日の日曜日の午後2時、MOMAで見ました。
短い「お休み」の2日目、すばらしい秋晴れの日で、そんな日にこんな映画もまた。

邦題は『10番街の殺人』。

MOMAで毎年開催される修復フィルムお披露目祭り - "To Save and Project: The 11th MoMA International Festival of Film Preservation"、今年のゲストセレクション担当はNYFFで"Nebraska"が好評だったAlexander PayneさんとChantal Akermanさんで、この映画も9日の上映時にはAlexander Payneさんが紹介していた。

ロンドンの実録犯罪モノ。 タイトルは犯行現場の住所で、撮影もそこで行われたと。
1942年、Christie (Richard Attenborough)が自宅を尋ねてきた女性にガスを吸わせて首を締め、屍体を裏庭に捨てる描写があり、次が44年、彼と妻が住む部屋の上に部屋を間借りしたいとTimothy Evans (John Hurt) とその妻、幼子がやってくる。

Timは貧しくて読み書きもできないから仕事も大変で、でも妻が身籠ってしまって生活どうするの?で夫婦喧嘩も絶えなくて、そこにChristieが相談に乗りましょうか医療の心得もありますし、と声をかけてくるの。

Christieはでぶではげでメガネで、しゅーしゅー言いながらゆっくり囁くように喋るのが不気味で怖くて、Timはぎすぎす落ちつかない、すぐ頭に血が上るロンドン子で、やがてTimはChristieにはめられて脅されて、冤罪で首吊りになってしまう。

ロンドンのくすんだ建物の壁の色、室内の色、空の灰色、全体の色感はどこまでも暗くしけてて(リストアされたフィルムの見事なこと)、そこに畳みかけるように陰湿で救いようのない事件がずるずると垂れ流されて、誰もどうすることもできない悲惨さをカメラは緩慢な動きの単調さで追い続ける。 Christieが捕まるまでの7年間、呪われた館とその裏庭はほんとに、ただそこにあったという恐ろしさ。

はっきりとカツラとわかるRichard Attenboroughの決して狂気を見せない故の怖さ、がりがりの、すれっからしのパンクJohn Hurtのぎすぎすしたきつさと、どちらもこびりついて抜けない。

あまりの救われなさに見終わったあと、誰もが"So creepy…"と肩を落としてつぶきながら場外に出たのだった。

それにしても、Richard Fleischerはこれのあとに"The Last Run" (1971)を撮っているのね。
最強だねえ。

[art] Magritte: The Mystery of the Ordinary, 1926–1938

Metropolitanを出てからバスで5thを下り、MOMAで見ました。お昼になったかならないかのあたり。

http://www.moma.org/interactives/exhibitions/2013/magritte/

マグリットのシュルレアリストとしての画業にフォーカスした26年から38年までの絵画たち。
マグリットって、たいてい小学生の頃に読むシュルレアリスム入門みたいな本で読んで知って、なんか子供っぽいかも(←子供はおめーだ)とか思って、その後はエルンストとかキリコとかデュシャンとかに行ってしまったので、実物をきちんと見たことがなかった気がした。 のでちゃんと見る。

教科書アートだねえ、と改めて思ったがこれだけごっそり有名なのが揃っているとやっぱし盛りあがるし、ひとつひとつのイメージが鏡の奥のほうに反射し、広がって延びていく。 まさに「平凡さに潜む謎」。

"The Lovers"も“Treachery of Images” - 『さよならを待つ二人のために」でヘイゼルが着てたTシャツ - も“The False Mirror”も"The Rape"も“On the Threshold of Liberty”も"The Grand Family"も、タイトルだけだとわかんないかもだけど、絵を見たらみんなすぐあーあれかぁ、なやつ。

あと、まとめて見て思ったのはベルギーの冷たさと暗さ、クールネスってあるなあ、とか。
ブルトンとはぜんぜん合わなかったよねえ、これじゃ。

ほかに見た展示は:

American Modern: Hopper to O'Keeffe

タイトル通り、George Bellows、Edward HopperからCharles Sheeler、Georgia O’Keeffe、Andrew Wyethあたりまで、期間でいうと1915から1950あたりまでのアメリカの絵や写真を並べたもの。 でっかい絵はなくて、その絵の小ささとその小ささ故のナイーブさというか神経症なところもまたアメリカの近代、なのだった。 地味だけどどれも素敵な絵画たち。でっかいアリーナではなくて、カフェやライブハウスでかかる音のような。

Soundings: A Contemporary Score

MOMAで最初のSound Artを集約した展示(ほんとなの?)らしい。
16のアーティストによるいろんな作品をいろんな小部屋に展示、というか音と一緒のインスタレーションとして垂れ流していて、クリック音とか電子音とかじゃーじゃーノイズとか、それらに連動して点滅するストロボとかLEDとか、かたかた回る機械とか、そんなのばっかしが延々。 なんでこうなっちゃうんだろ、なっちゃうもんなのかしら? と少しだけおもった。

会場でずっと立って見張りしているおじさんたちがしんどそうでかわいそうになった。

で、ここを出てからバスでLincoln Centerに向かい、NYFFの"Inside Llewyn Davis" - 以降のを。
(もう書いたやつね)

10.19.2013

[art] Balthus : Cats and Girls—Paintings and Provocations

4日の晩にシアトルを発って、5日の朝6:50くらいにどんよりしたJFKに着いて、到着したTerminal4にはShake Shackができたはずなので、もし開いていたら… だったのだが見当たらなかったので諦めてホテルに向かい、運よく部屋に入れたのでシャワー浴びて少し寝なければと布団にもぐったものの結局眠れず、10時過ぎに地下鉄でMetropolitanに行ってみました。

「バルテュス 猫と少女 絵画と挑発」

これだけはなにがなんでも見たかった。 今年の展覧会のベストかも。

"The King of Cats" (1935)
入り口にあるのが、猫を足下に侍らせてポーズをきめる若きバルテュスで、要するに挑発しているの。

わたしはここの常設にある「夢みるテレーズ」(1938)がこの美術館ぜんぶのなかで一番好きくらいで、それがあるのは当然なのだが、他にも同様の猫モノ、少女モノがずらずら。

しかしどの猫もひと目で「にゃー」となじりたくなるくらい不細工で、少女もそんなに美しいとは言えなくて、アウトサイダーアートみたいに見えないこともないのだが、少女、そして猫それぞれの姿態が四角の構図のなかにパーフェクトな陰影と共に納まっているのでなんも言えなくなる。
すべてがGame of Patienceの産物、ていうか。

"The Week of Four Thursdays" (1949)とか"Nude with Cat" (1949)、
"The Game of Patience" (1954)とか"The Girl at a Window" (1955)とかのあたりね。

あとは、なにこれ? みたいな、見れば見るほど吸いこまれていく幻視系、"The Golden Days" (1944-46)、"Girl with Goldfish" (1948)とか"The Cat of La Méditerranée" (1949)とか。

40年代の充実ぶりがすごいねえ、と思ったところで突然"Mitsou" (1919)の全40枚が現れたので少し驚く。
11歳のバルテュスによるこれも、猫だったんだ、と。

リルケのテキストはないのだが、一枚一枚を追っていくだけでじーんとくるの。
終りのほうでぐすぐす泣いているおばあさんがいたが、そんな切実な絵で、バルテュス見て泣かされるとは。 これも挑発か。

あと、あの有名な"The Room" (1952-54)はなかった。
別のいみで有名な"The Guitar Lesson" (1934)もなかった。

カタログ買った。Mitsouのトートも買った。

ここの隣で、もういっこ見た展示がこれ。


Interwoven Globe : The Worldwide Textile Trade, 1500–1800

キルトとかタペストリーとか、16世紀から19世紀にかけて世界各地で編み込まれたいろんな布、いろんな柄あれこれ。 

六本木の一角獣も素敵だったが、あれとは別のスケールがあってこれもまたすばらし。 布フェチ編みフェチはぜったい行くべし。

アジアの文様もヨーロッパの文様もいろんな草花柄、いろんな動物柄も互いに重なりあい混じりあい、幾重もの「撚り合わされた地球」をつくっていく。アジアのかと思えばヨーロッパのだし、逆もまたありだし。 数百年の、何億のひと、何億の針と気の遠くなるようなちくちくの営為と。  ほんとにさあ、こんなにも針と糸で繋がっているのに、繋がってきたことがありありなのに、なんで国と国、種族と種族は鉄と火薬で戦争ばっかしするのさ?

世界中の小学生にむりやり見せて感想文書かせるべき。

10.18.2013

[film] Enough Said (2013)

すこし前に戻って3日の晩、Seattleでの二日目の晩、夕食が早く終わったので、7:30頃、裏のシネコンに走りこんで見ました。

James Gandolfini の遺作… ではない最後から二番目の作品。

Eva(Julia Louis-Dreyfus)はシングルで、高校生の娘と暮らしていて、でっかいマッサージ台を運んで訪問マッサージ師をしてて、ある日友人(Toni Collette ..さいこう)に誘われたパーティで詩人のMarianne (Catherine Keener) と会って、更にばついちでTVプログラムのアーカイブの仕事をしているAlbert(James Gandolfini)とも会って、Marianneのおうちに呼ばれてマッサージしに行ったり、Albertとは食事をしたりして仲良くなる。

そうしているうちにAlbertの娘を介してMarianneはAlbertのex妻で、Marianneからさんざん愚痴を聞かされていたex夫ていうのはEvaが好きになろうとしていたAlbertのことだったことがわかって、びっくりして、そうこうしているうちにMarianneの家で全員が鉢合わせして、みんなすんごく気まずくなって、あーあ、になるの。

というだけの話なのだが、EvaとAlbertがだんだんに仲良くなっていくところとか、しょうがないなあ、ていうかんじでよりを戻すところとかが、ふたりの笑顔のゆっくりゆるやかな切り返しだけで、とてもよく描けていてよいの。
大人の恋、とかぜんぜん信じたくないし見たくもないのだが、ここにあるのがそういうのだと言われたら、そうかも、て素直に納得する。

James Gandolfiniが玄関脇のテラスのとこに熊みたいに立って少し目を細め、怒っているような笑っているような、まったく... みたいな顔をしてこっちを見ているとこ、ほんとうに惜しいひとを亡くした、ておもう。
彼の代表作は"The Sopranos"じゃなくて、こっちにしたい。

エンドロールの最初に、小さな文字で"For Jim"とだけ、画面の真ん中にぽつんと出る。 
バックに流れるのがEELSの"I Like the Way This Is Going"なの。

Evaの娘の友人役でTavi Gevinson さんが出てて、用もないのにEvaの家のソファでごろごろ寝てばかりの役で、なかなか素敵だった。


これの後に"Gravity"にはしごしたの。  とてつもない段差をかんじた。 

10.17.2013

[music] Nine Inch Nails - Oct 14 2013

14日のBarclay Centerのライブ。 New YorkではあるがロケーションはBrooklynで、BAMのすぐ隣で、この新しいアリーナを見ておきたい、というのもあった。
これまでのMadison Square Gardenと比べると、飲食関係は明らかに充実していて、近所のFort Greenのおいしいレストラン(いくらでもある)で食事してからライブに行く、という贅沢ができるようになったの(MSGだと隣のKorean街の焼肉くらいしかなかった...)。

そういうわけで、夕闇に沈んでいくRoman'sでNilssonを聞きながらおいしいイタリアン(別に書きます)を戴いていたらこのまま世界なんてなくなっていいや、のかんじにいってしまい、会場に辿り着いたのは8時過ぎ、前座のGYBEの最後の轟音が消えていくところだった...

会場内の食べもの屋群もすばらしくて、Fatty 'CueとかElbow Room(Mac and Cheeseの店)とかを眺めていいなー、とか言っていたら、20:50くらいに突然"Copy of A"が聴こえてきたので慌てて席に戻る。 あんな突然はじめなくたって。

復活初日の、しかも悪天候下の苗場と比べるのはよくないのかもしれないが、もう音の硬さ、圧力、風速、ぜんぶがちがう。 もちろん手で装置動かしたりしない。
タンバリンなし。 3曲目の終わりででギターを後ろのほうにおもちゃみたいに放り投げ、続く”March of the Pigs”では客席に突っこんでいった。
あとは山海塾というか、ビルドアップした僧侶みたいな佇まいになってしまった彼のくねくねした踊り - あれはなにかの意志をもって踊ろうとしているような踊りだった -  よね。

苗場にはいなかったPino Palladinoのベースは、The Whoのライブではあんま感心しなかったのだが(ま、あのポジションはだれがやったって...)、すばらしい太ゴシックと細やかさでのたくり、Ilan Rubinの爆裂どしゃばしゃドラムスと絶妙のコンビネーションを見せる。

サックスがぶりぶり鳴り響くアンコールでの"While I'm Still Here"も含め、このラインナップははっきりと新譜の緻密な電子音とぐるぐるまわるグルーヴを最適なかたちで再現するためのものなのだな、とおもった。
更に女性ヴォーカルふたり(うちひとりはもうじき日本でも公開される"20 Feet from Stardom"にも登場するLisa Fisherさん)が音に加えた幅の広さ、とくにアンコールの"Even Deeper"の間奏部なんて、Pink Floydみたいな浮遊感をもたらす。

「ぼくはコピーのコピーのコピー」ではじまって「ぼくがここにいる間だけそばにいて」と呟き、どす黒く渦を巻く"Black Noise"で終わるライブ。 べったりとした何かが残ることは確か。

ライティングは、毎回の度肝ではあるのだが、今回もすさまじい光量とコントロールの嵐と。 新譜の音との連携はよりくっきりと出ている。

あとはクラシックとの共存、というか再演のところで、"Somewhat Damaged"とか"The Day the World Went Away"とか、聴いたことのないアレンジで来るのもあれば、"Wish"や"Burn"のごりごりのハードコアでぶちかますものもあり、様式としてはまったくもんだいなく、すばらしい。

但し、これはNY Timesのレビューでも指摘されていたが、これらの曲が作成された当時に渦巻いていた怒りとか自己破壊とかゴミだのジャンクだのいろんな衝動の殆どが90 - 00年代の約20年をサバイブしてしまった40代、こういうライブに来れるくらい経済的に安定した生活を送っている40代であるファンの間ではもうほんとうに「クラシック」 - もちろん弩級のではあるが - としてしか機能しないかもしれない、という点はどうなるのか。 ハイアートとして緻密に構築された新譜との乖離(我々のあたまの中にある)はどこに向かうのか。

萎れたじじい達の間で愛玩されるビートルズやストーンズだったらわかる、ファッションとして消費されるパンクもしょうがない、けど、今回の新譜のようなかたちで進化し続けるバンドの音を、かつてぼろかすでヤスリのように聴いていた我々はどう受けとめていくべきなのか、これはTrent Reznorがむきむき悩んで考える、というよりはかつてのインダストリアルやグランジの今を、どうやって生きるのか、聴くのか、という自分の問題なのだねえ、と少しおもった。 "TENSION"ツアーで溢れまくるいろんなTension。

というようなことをぜんぜん若者がいない会場を見ながら考えていた。やっぱしチケット代かしら。

あーでもよかった。何回でもみたい。

10.15.2013

[log] October 15 2013

というわけでバスでマンハッタンからJFKまできました。

今回の旅はタクシーを使わないことにしたので、自宅から渋谷駅までも電車だったし、JFKからホテルもAirTrainとAラインを乗り継いでいった。 いいの。お天気よかったし、お休みなんだもの。

NY行きの飛行機は久々にエコノミーで、ビジネスがいっぱいでとれなかったからなのだが、しんどいなあ、だった。でもねたけど。 帰りもビジネスは取れなくてプレミアムエコノミー。 どうせ寝るだけだし。

日本は台風らしいが、とりあえず飛行機は飛ぶみたい。よかった。

2日半なんて、ほんと冗談みたいにあっというまだねえ。
先週末と比べると天気は毎日すばらしい秋晴れだった。
こんなによい天気のヴァケーションなので無理をして押し込むのはやめにして、だから映画は4本、ライブ1本だけ。 当初の目的は達成できたし。

ほんとはNINの後、Mercury LoungeでQuasiがあって、ここだけちょっと心残りだったかも。
映画だとJames Francoの劇場リリースが見送られたけど限定公開されている"As I Lay Dying"とか、Film ForumのJacques Demy特集とか、なぜか単館でしかやっていない"CGGB"(これは日本でもやるじゃろ)とか、少しだけ未練あるけど、でもいいの。 お休みなの。

飛行機で見た映画のことをすこし。

こないだの出張からの帰り、水曜日の便で見たのは2本。

"The Lone Ranger"
タランティーノがベスト10に入れている、てみんな騒いでいたのでみる。(それにしてもなんで彼のベスト10でそんなにさわぐの? あてになんないよ彼の)

長くてどうでもいいとこがいっぱいあるのを除けば、そんなに悪くなかったかも。 バカな白馬と肉食ウサギが出てくるだけで許してしまうかも。 もともとほんとガキむけの三文活劇をやろうとしたけどあれもこれも入れすぎて収拾つかなくなったかんじ。ヘレナ・ボナム=カーターがもっと暴れて、インディアンの呪いとか魔術がいっぱい出てきたらおもしろくなったのかも。

"Upside Down"
お金持ちが住む「上」の世界に住む彼女と貧乏人が住む「下」の世界の彼との恋物語なのだが、すんごくよかった。
1時間40分では足らなくて、ほんとは3時間くらい掛けるべきだった。ピンクミツバチの謎とか、なにが最終的な共存をもたらしたのか、とか。それに赤ん坊はどっち側になるのか、とか。

ベースがこてこてのラブロマンスだから背景はどんなだって構うもんか、なの。ふたりが最初にデートをする山の光景なんて、まるでフリードリヒの絵なの。ロマン派なの。

NY行きの飛行機で見たのは。

"Now You See Me"
4人のマジシャンが集められてFour Horsemanていうグループをつくってベガスでショーをやる。客の1人をパリの銀行の金庫に瞬間移動させてそこにあった札束を会場にばら撒く、ていうのをやったらFBIとインターポールが動きだし、次のショーがニューオーリンズで、その次のがクイーンズの5 Pointzなの。
イリュージョン系のマジックのなにがどうおもしろいのかまったくわからないのでよくわかんなかった。
要するにどんだけうまく人をだませるのか、ていう(だけの)はなしでしょ?
あれ、ああいうオチでいいの? あのオチこそがイリュージョン、てことなの?

あと、なんとなく目があいて、チーズパンがでてきたとこで"The Heat"をもう一回みた。

 Melissa McCarthyさんの動きでいちばんおもしろいのが車のドアがつっかえて出られなくなって窓からずるずる落ちる、ていうのはもうちょっとなんとかしたかったかも。あれだけ武装したっていうのに。

更に、なんとなく目が開いてしまったので、"Star Trek Into Darkness"を途中まで。
"Gravity"を見たあとなので、なんかやわい気がした。 いつも思うのだが、あんなに船内穴ぼこだらけにされて、平気なのか、とか。

ではまた。

[film] Her (2013)

まだだらだら引きずりながら考えているのだが、とりあえず書いてしまおう。
NYFFのクロージングピース、ワールドプレミア、13日の夕方6時から。4時過ぎに地下鉄から上ってみたらStand-byの列に既に10人くらい並んでいたので、とりあえず並ぶ。 風がすこし吹いてて肌寒いけど我慢できないほどじゃない。

Stand-byの場合、直前まで発売にならないしひとりづつ呼ばれて窓口にいくし席の指定はまったくできないのでいつもはらはらなのだが、15分くらい前に金持ちそうなおじさんが定価($50)で売るけどいらない?と言ってきて、列を見たらJ列だったので買ってしまった(現金、ぎりぎりで$50もってた)。 (リンカーンセンターのどの劇場も、だいたいJ列のあたりで椅子がちょっとだけ高くなるんですよ)

最初のNYFF全体のトレイラーとこないだから始まったゴダールのレトロスペクティブのトレイラー(かっこいい!)の後、主催者側でKent Jones、そして監督のSpike Jonzeの挨拶。

少しだけ近未来のLA。 みんなイアピースして携帯端末に小声で話しかけながら歩いている。
Theodore (Joaquin Phoenix) は、手紙の代筆会社に勤務していて、それも端末に声でぜんぶ指示を出すような仕事。妻(Rooney Mara)とは離婚調停中で、高層マンションにひとりで住んでて、同じアパートの住人にAmy Adamsさんがいる。

ある日、彼はなんかの見本市で新しい人工知能OS(OS1だって)を手にして、試しに使ってみることにする。
最初に簡単なインタビューがあって(相手は男がいいか女がいいか? 母親との関係は?とか)、Activateされたそれはサマンサ(声はScarlett Johansson)と言い、彼にとってとっても相性がよくて、ふたりはだんだん親密になっていく。

サマンサはSiriみたいなオンライン秘書、というだけでなく彼の過去のローカルデータも含めてあらゆるプロファイルにアクセスして、更に背後のビッグデータ(けっ)とパターンマッチングした上で彼の声の強弱、トーン、ご機嫌、お好み、すべてに連動、連携、微調整しつつ常に(感情の揺らぎとかも含めて)最適解を返すように仕組まれているので、どんよりしていた彼の日常が安定してポジティブふうになっていくのは当然なのだが、その当然の帰結として恋愛の領域まで踏みこんでいくことになる。

始めはサマンサが見つけてきた相手(Olivia Wilde)とブラインドデートしたりしてみるのだが、なんかうまくいかなくて、結局彼女を、彼女の声や彼女の言ってくることを深く愛していることに気づきはじめる。 なかなかサインできなかった離婚届けも凸凹はあったけどサインできたし。

まあそうだよねー、いまオンラインゲームでやっているようなことを行けるとこまでカスタマイズしていったらできることだよねー。 で、AIポルノとかAI 3P(笑える)とかを経由し、そういうののよいわるいも含めて、とりあえずフィジカルであろうがヴァーチャルであろうが恋愛てなんなんだろうね、みたいなとこまでいく。 まあみんなで考えて元気になったり落ちこんだりしてみよう。

彼とサマンサのやりとり、そこで交わされる感情の奥深くに潜っていくような対話がもたらすいろんな洞察や気づきはふうむ、と思うものの、やっぱり生身の人間との絆、繋がり、やりとりが必要なんだ(げろげろ)とか、そういう方向に誘導しやすいふうにまとまっている、ように見えたのね。
(自分に変なバイアスがかかっていることは認めるけど)

どこにでもいそうな、人並みの浮き沈みを経験し、そこそこ成功している会社員、という設定。Joaquin演じるTheodoreはチョビ髭に丸メガネに明るい色のシャツで、あなたでもわたしでもありうる、アバターみたいな、アバターみたいにふるまう自我とIDと。

ほんとうに、そんな絆とか、自分をわかってくれる存在とか、必要なのか。そこまでしてモテたいのか、認めてもらいたい、認めてもらう必要があるのか。

画面は色彩も含めてどこまでもきれいに抜け目なく近未来のランドスケープとしてデザインされている。 メインテーマはArcade Fire、その他の音はOwen Pallett、これもみごと。俳優さんは誰もまったく、もうしぶんない。 声だけのScarlett Johanssonなんて、ほんとうに凄まじい。
けどこんなの、ほんとうに映画として必要なんだろうか、PVでいいんじゃないか。

かいじゅうたちのいないところ。(あの森みたいなところも出てくる)
かいじゅうたちのいないところを映すことで「いるところ」を指し示しているかというと少し微妙かも。
ここには例えば、"The Immigrant"の身を切るような煩悶も、"Punch Drunk Love"の荒れ狂う暴発も、"Frances Ha"のあっかんべーも、ないの。

みんな村上春樹の小説の登場人物みたいで、彼の小説を好きなひとは好きかもしれないね、とか。

エンドロールに以下の4人の名前があって、みんなであぁ、て拍手した。

James Gandolfini
Harris Savides
Maurice Sendak
Adam Yauch

上映後のバルコニーには、監督、Joaquin、Rooney Mara、Olivia Wildeさんがいた。
外のレッドカーペットでRooneyさんとOliviaさんがそばに寄ってきていた。Rooneyさんは幽霊のように美しく、OliviaさんはDrinking Buddies(TIFFで見てね!)そのままのかんじだった。

[music] Nine Inch Nails - Oct. 14 : photo

とりいそぎ。 苗場よか、これまでのどのライブよかすごい。 




10.12.2013

[log] October 12 2013

10日の木曜日の夕方に帰国して、金曜日は夜中までふつーに仕事して、今朝は7時に起きて成田まできて、これからNYにとぶんだ。 二日ぶり。わーい。

ばかみたいなので会社のひととかに行き先とか言えなかったけど、これはれっきとした、誰も文句を言ってはならない、堂々ととって構わないはずの正規のお休みで、夏休みで、今の体の状態で「お休み」になるとはぜんぜん思えないのだが、とにかく行くんだから。

ひょっとしたら、というかんじで計画を練りはじめたのがFRFのあとくらい、やがてNYFFの日程が出てクロージングピースが発表になったあたりでやっぱし行こうかしら、とひとり勝手に決めた。

お金も地位も友達もないけどマイレージだけはしぬほどあるのでそれを使って、と申し込んだのだが行きも帰りもずっと空席待ちのまま動かず、そのうち仕事もばたばたになって忘れてしまっていて、最終的にFixしたのはシアトルからNYに渡る直前だった。

フライトを決めたら決めたでお宿がどこも冗談みたいなお値段で(向こうも三連休だし)すったもんだして、でも自分へのご褒美とかなんとかゆってとりあえず決めたのがつい昨日のこと。

火曜日の昼には向こうを発つので正味2.5日ぽっちの滞在なのにあまりにいろんなのをやっていすぎて悲惨だ。 どうしよう..

NYFFのほかにMOMAで"To Save and Project: The 11th MoMA International Festival of Film Preservation"が始まったし、よくわかんないCBGB Festivalてのもやってる。(劇映画の"CBGB"もはじまった)   Greenpointに引っ越したAcademy Record Annexは12日にオープンするし、秋はきのこがおいしいし。

お仕事抜きで行くのは久々なのであたまのなかがお祭りてわんわんうるさくて、3日くらいがちょうどよかったのかも。これ以上いたら元に戻れなくなるかも。

というわけでいってきますー

[film] The Wizard of Oz (1939) - IMAX 3D

少し昔の。
シアトルの頃に戻って、2日の水曜日、シアトルについてホテルに入ったのがごご7時過ぎ、裏のシネコンの時刻表みたらこれやっていて、7:20くらいの回のがあったから走りこんだ。

IMAXのでっかいとこに客は4人くらい。 子供は一匹もいない。

公開75周年記念かなんかで3D化されたやつを限定公開していた、らしい。
ついこないだ、シネマヴェーラの映画史上の名作シリーズで見た気がするが、あれはたしか16mmだった。 なんかえらい違うねえ、とほんものみたいに浮かびあがるMGMのライオン見ておもった。

全体として、巨大な透明の立方体の水槽が空中に浮いていてそのなかでJudyが、じゃないDorothyが動きまわる。それこそがOzの魔法なの。 はじめに"Over the Rainbow"と歌い、おわりに"There's No Place Like Home"と歌って、彼女は結局虹の彼方に行けたのか行けなかったのか。 行かなくてもはじめからそこにあった、とは言いたくない。

さすがに色はすごくみずみずしい、けど画面の肌理がリアルに細かすぎて、Lionとかの肌のつなぎ目が改造人間みたいでこわかったかも。

で、これを見た翌日の晩、この同じ箱で"Over the Rainbow"どころか宇宙の涯にふっとばされてもがき苦しむ"Gravity"を見たのだった。 George ClooneyがOzなんだな。

10.11.2013

[film] The Immigrant (2013)

6日の日曜日、この日はごご、NYFFで映画一本だけ。 
James Grayの新作もぜったい見たいやつだったが、すでにとっくにStand-byしかなかったの。
recetteでお昼食べてからLincoln Centerに移動して、列ができ始めた頃に並んで1時間くらい。

いちおうNorth Americanプレミアなので、上映前に監督挨拶とJoaquin Phoenixが出てくる。
ホアキン、長髪で(今週のNew York Magazineの表紙参照)、ほぼ普段着で、マイクの周りを怪しくうろついただけで、何も言わずに去る。

1921年、ポーランドから来たEwa (Marion Cotillard)とMagdaの姉妹がエリス島に降りたち移民審査を受けるところから始まり、Magdaは肺を病んでいるからと診療所に隔離されてしまい、Ewaは訪ねる先のおばの住所が存在しないから、と強制送還の列に並ばされる。

途方に暮れたところに手を差しのべたのがBruno(Joaquin Phoenix)で、妹のためにも帰国するわけにはいかない彼女が彼についていくとそこはダウンタウンの怪しげな共同安宿みたいなとこで、いろんな女達がいて、彼女たちはバーレスクをやったりしてて、夜には体を売ったりもしていて、Brunoはそこの元締めだったの。
Ewaはひどいって怒りをぶつけるのだが、Brunoも逆ギレして、わかっているのか? 妹のためだ、こうでもしないと他に行き場なんてないぞ、ていうの。
そんなある日、マジシャンのOrlando(Jeremy Renner)が現れて、彼女を救おうとBrunoと衝突して…

James Grayの前作"Two Lovers"も切ない片思いの映画だったが、これもどん詰まりの片思いのお話(そもそも移民て、片思い以外のなにものでもない)で、三角関係というよりはまったく噛みあわないまますれ違い痛みをこらえて歯ぎしりするほんとにかわいそうなBrunoのお話しなの。

Grayの作品をずっと担当しているChristopher Spelmanのスコアが見事で、今回はこれにプッチーニが加わる。 上映前も、上映後のQ&Aでも、オペラをやりたかった、とGrayは言い、そこでいうオペラはMartin Scorseseが大仰な構えでぶちかますスペクタクルとしてのオペラ(ref. "Gang of New York")ではなく、がんじがらめになって互いに縛りあう感情が呻きあう、震えたむきだしの声が織りなすそれで、そういう意味では彼の意図はみごとに反映されていたのではないか。

そしてこの作品もまた、これまでの彼のと同じようにNew Yorkが舞台で、それはたんにエリス島が出てくるから、ということではなく、マンハッタンという場所がそれぞれの片思いを抱えこんで成り立つ猥雑な島だったから、と。

あんなにも切なく悲しくぶつかって擦れあって、でもどうすることもできないエモの塊はラスト、再びエリス島に戻り、カモメの声と共に忘れ難い余韻を残す。 ラストショットがほんとうにすばらしいったら。

Joaquinはいつもの彼なのだが、ぐいぐいに抑えこんでいるのがわかって、それはそれでたまんないかも。 Jeremy Rennerも、いつもの凶犬というよりはどこからか流れてきたマジシャン。ひくひく戦くばかりのMarion Cotillardがうまいのは毎度のこと。

上映後のQ&Aも楽しくて、James Grayがあんな饒舌なひとだとは思わなかった。

10.09.2013

[log] October 09 2013

なんとか帰りのJFKに来ました。 ねむいしだるいし。

4日しかなくて、うち2日仕事、だとやはりどうしようもないわ。ずうっとねむかった。
天気もシアトルから続けてぱっとしなくて、もやもや霧で暗くて、日曜はずっと霧雨がぱらぱらしていて、要はばりばり動けるかんじではなかったの。

NYでは映画5、トーク1、美術館2、とかそんな程度。 お買い物だってしなきゃいけないし、Cronutだって食べなきゃいけない。

Cronut、いちおう火曜日の5時半に起きて行きましたけど、もう暗いし寒いし、夏頃のお祭り感はなくなっていたかも。でも10月のフレイバー、Apple creme fraicheはよかったし、他にPerfect Little Egg SandwichとMagic SouffléとDKA (Dominique’s Kouign Amann)もいただいた。 夜までお腹いっぱいだった。

食べものはいつものようにPorsenaに行ったのと、ようやくBlue Ribbon Fried Chickenに行った。 米国にふつうにあるButtermilk Fried Chickenとはちょっと違ってややあっさりめ、すこしぴりっとしていていくらでも食べられそうなとこがこわい。

本屋はMcNally JacksonとSt.Marksしか行けなかったが、New Yorker Festivalの直後だったのでサイン本がいっぱいあった。とりあえずJonathan LethemとJonathan FranzenとRookie Yearbook Twoのサイン本かった。

写真はMetropolitanの"Balthus: Cats and Girls"展で売ってた「ミツ」のトート。
「ミツ」の原画がよくてねえ ...













ではまた。 機内でいっぱいねる。

[talk] Noah Baumbach and Greta Gerwig

6日の土曜日の晩、Walter Readeで"They Live by Night"を見たあと、次の"The Lusty Man" (1952)はパスして、8時過ぎに23rdの西のほう、The New Yorker Festivalの会場に行った。  10時開始のこのイベントのStand-byに並ぼうと思ったのだが、列はそんなたいしたことなくて、9時に当日券がでてそれを持って別の列に並ぶ。 チケットは$40。

New Yorker Festivalは数年ぶりで、毎年見たいのはそれなりにあって、今年もそうで、これの他にももうじき公開される(の?)Bergdorf Goodmanのドキュメンタリーに出てきたPersonal Shopperのおばあちゃんに Lena Dunhamが話を聞く"Betty Knows Best"(チケット$200でStand-byなし...)とか、いっぱいあって、同じシアターの隣の部屋ではMichelle Williamsが出ていたし、NYFFの3時からの"Inside Llewyn Davis"の裏ではTavi Gavinsonが出ていたり、とにかく大変なんだってば。

Noah Baumbachは"The Squid and the Whale" (2005)のプロモーションのときに結構見ていて(よく憶えているのはLaura Linneyさんとの対話で、ブルックリンの離婚した中流家庭で青少年時代を過ごした80年代についてやたら共感していたこと)、でも生Greta Gerwigさんは見たことなかったし。 鶴(?)のプリントのロングドレスがかっこよくて、きれいだねえ。あたりまえだけど。
客席は圧倒的に女の子が多い。やはり。

出てきたはなしを箇条書きでだらだら書きます。

最初は"Frances Ha"のプロモーションで訪れたスウェーデンでIngmar Bergmanの持っている小島に行った話から始まって、船とか車をいっぱい乗り継いで行くよくわかんないところにあるその島には、"Persona" (1966)に出てきた浜辺があって、家にはVHSが山のようにあって、すごかった、と。 あと、"Fanny and Alexander" (1982)の男の子(もう大人で子供もいて、役者はやっていないんだって)に会って感激して泣いちゃったとか。 「ファニーとアレクサンデル」、好きそうだよねー彼。

ふたりの共作である“Frances Ha”は、最初にGretaさんが落書きのようにFrancesにこんなことがあった、あんなことを言った/言われた、とかいうのをNoahさんにちょこちょこメールして、彼がそれをまとめたりつないだり彼女に送り返して、それがやがてひとりの女の子の、ひとつの物語に組みあがって、そうしているうちにふたりは恋におちた、と。 なんてすてきな。
で、最初にあった個々のエピソードはいけてない女の子がどんづまるダークなトーンだったのに、ふたりでそういうふうにまとめてみたらコメディふうになっていた、と。

クリップでは、"Frances Ha"のFrancesがChina Townを"Modern Love"にのって疾走するシーンに続けて、Claire Denisの"Beau travail" (1999)のラスト, "Rhythem of the Night"に合わせてダンスをするDenis Lavantが流れて、とにかくDenis Lavantはすごすぎるよね、と全員で合意した。

"Frances Ha"との比較を少しということで、"Jules et Jim" (1961)のオープニングも流れた。

あと、Robert Altmanの"The Long Goodbye"(1973)のオープニングと"Greenberg"のBen StillerがGreta Gerwigの家に行ってビールを飲むとこが対比される。 ロスという場所の特性をよく現わしているシーンとして。 そこから、同じようにNYをあらわしているクリップとしてMartin Scorseseの"After Hours" (1985)でGriffin Dunne がタクシーに乗ってて$20札を飛ばされちゃうシーンが流れる。 Noah曰く、"Desperately Seeking Susan"(1985)と"After Hours"の2本によって80年代のブルックリンの子はマンハッタンがいかにおっかない場所か、というイメージを植え付けられたのだ、と。 (この2本て、80年代の千葉にいた子にも同様に効いたんだよ!)

あと、LCD Soundsystemの"New York, I Love You but You're Bringing Me Down"に深く感銘をうけたNoahが"Greenberg"のサントラを依頼して仲良くなって作ったという“All My Friends”のクリップも流れた。

"Frances Ha"を書いているときGretaさんが参考にしつつ読んでいたのがJoseph Conradの短編"The Shadow Line"。 どっちの主人公も27歳だし、とのこと。 そのうち読んでみる。

終わりの客席とのQ&AではとにかくFrancesに自分自身をIdentifyしてしまう、という女子(男子までも)が続いておもしろかったが、そういう質問に身振り手振り、あちこちつっかえたりぶつかったりしながら懸命に答えようとするGretaさんは、Francesそのものでおもしろかったのだが、そのなかで、なんで映画でもTVでもあんなに恋愛ばっかし、恋におちたとか失恋したとか取りあげるのか、それがそんなに特別で大事なことのように語られるのか、ていう話になって、彼女が"That’s not good enough!" - 気にくわないんだよ! て大きな声で言って、みんなが拍手した。

Gretaさんは自身の監督作を準備しているそうで、期待したい。 Noahさんの進行中のプロジェクト“Motherfucking Times Square” - 「だいっきらいなんだよあの場所」だって - にも期待したい。

"Greenberg"も"Lola Versus"も"This is 40"もぜんぶDVDスルーにして屑みたいな邦題つけて喜んでて頭のなかに藁と糞が詰まっているとしか思えない配給業者の方々には一切なんも期待しない、中指をつきたてるしかないが、とにかく、"Frances Ha"が日本で公開されないことには話にならないのね。

約90分、終わってシアターの外にでたら開いている隣のシアターの扉のむこうにMichelle Williamsさんが少しだけ見えて、おー、だった。女優としてのオーラはこっちのが。

シアターの外ではスポンサーのハーゲンダッツがタダでアイスクリームを配っていたのだが、微妙にあったかいようなさむいような微妙な陽気だったので貰わなかった。


[film] They Live by Night (1948)

5日の夕方6時、"Inside Llewyn Davis"のあと、おなじNYFFの"Revivals"ていう枠で上映されたNicholas Rayのデビュー作。 これだけは日本から前売り買っていった。
これの後に"The Lusty Men"もあったがこちらはざんねんながら。

この裏、まったく同じ時間に"The Secret Life of Walter Mitty"のワールドプレミアをやっていて、Stand-byのありえない行列ができていたが、やはりこっちでしょう。

WarnerとFilm Foundation、Nicholas Ray Foundationがリストレーションしたもの。

この「夜の人々」は、最初に三百人劇場で見て、そのあと有楽町でも見て、NYに来てからもFilm Forumで2〜3回は見て、そのたびにびーびー泣いている。 絶対に泣く絶対の映画で、わたしは「この映画を見て泣かないやつは人間じゃない」という言葉ゆえにトリュフォーが好きで、彼を信じている。

最近公開された"We Can't Go Home Again (1973)"からNicholas Rayに入ったひとがこれを見たらどう思うんだろ、というのに少し興味があった。
のだが、冒頭のスピーチでSusan Rayさんが84年(だった、たしか)にAlan LomaxがNicholas Rayと共同作業をした際に残したというメモを読みあげる。アメリカの田舎に入りこんで、そこに暮らす人々のあいだで語られる言葉、音楽、冗談、などを拾いあげて正しく紹介する仕事の必要性、重要さに触れたあとで、Nicholas Rayが最後にやろうとしていた"We Can't Go Home Again"もそういうことだったのです、と言って、ここですべてが繋がった。

映画の冒頭、幸せそうに向いあって横たわるBowieとKeechieに被さる字幕;
"This boy and This girl were never properly introduced to the world we live in."

これのすぐ後の、映画史上最初のヘリ空撮シーンばかりが話題になりがちだが、ここのとこで全ては宣言されていたのだった。

これまでのバージョンの粗くささくれだった白黒もよかったが、リストア版は全体に画面がしっとり濡れたようになっていて、ふたりがバスを降りてインスタントウェディングに向かうシーンの生々しさとか、ラスト、ふたりの頬をつたう涙もしっかりと映っていてすばらしいんだよ。

Bowie (Farley Granger)もKeechie (Cathy O'Donnell)も奇跡としか言いようのない輝きを見せる。

筋なんて書いたら泣いちゃうので書きませんけど、日本でももう一度上映されますように。
恋人が病気になったり死んじゃったり秘密があったり、そんなので泣かされてばかりのかわいそーな日本の若者たちに是非見てもらいたい。

[film] Inside Llewyn Davis (2013)

ちぎっては投げ、で書いていかないと、ぜんぜんじかんが。

5日の土曜日、美術館をうろうろしたあとで、3:15から見る。 NYFFでは既に2回目くらいの上映なので当日券が買えた。 でも挨拶ゲストはなし。

9/29にTown Hallで、この映画を掘りさげるべく、"ANOTHER DAY, ANOTHER TIME: CELEBRATING THE MUSIC OF “INSIDE LLEWYN DAVIS”"ていうコンサートがあって、映画のなかの曲を映画に出てきた人たちが歌うだけでなく、以下のような方々が代わる代わる出てきて60年代初の音楽をやったりした、らしい。(チケット、とれるわけないや)

The Avett Brothers, Joan Baez, Rhiannon Giddens of the Carolina Chocolate Drops, Lake Street Dive, Colin Meloy of The Decemberists, The Milk Carton Kids, Marcus Mumford, Conor Oberst, Punch Brothers, Dave Rawlings Machine, The Secret Sisters, Patti Smith, Gillian Welch, Willie Watson, and Jack White...

音楽全体のプロデュースはT-Bone Burnett、音楽助監督がMarcus Mumford (Carey Mulliganのだんなね)

Ethan & Joel Coenの新作。 61年のグリニッジ・ヴィレッジのフォークシーン。 カフェで歌ったりスタジオに行ったりしつつも、既成曲やトラッドを歌う寄席の余興芸としてのフォークではなく、自作曲を歌うSSWとして立ちあがろうとする Llewyn Davis (Oscar Isaac)の苦闘の日々を描く。
Coen兄弟の世界であるが、今回は犯罪も殺しもサスペンスもない。 変人はいっぱい出てくるけど。 ほのぼのとしたおかしさが全面にただよう。

みごとな音楽映画であると同時にたまんない猫映画でもあって、不思議の国よろしく猫に翻弄されたLlewyn Davisが自身の内面への旅を強いられて呆然としたり歯ぎしりしたり、そうしているうちに外側の世界が内側になだれこんでくる、そんな内容の映画でもある。

Dave Van Ronkのメモワールをベースにしていて、当時のフォークシンガーの根城だったGaslight Cafeも出てくるが、そんな時代劇要素よりどちらかというと冬の街の寒さとかシカゴへの道中の不気味な暗さとかそっちのほうが沁みてきて、そこにギターの弦のきりきりした響きが重なってくる。

髪をのばしてほとんどすっぴんで出てくるCarey Mulliganさんがとても生々しくて、歌を歌うとこもよいのね。 "Shame" (2011)の歌うとこを思いだした。

あと、主演のOscar Issacが実にみごとで、勝ちも負けもない、悩んだり戦ったりしてもしょうがない世の中にたったひとりで立って、歌って、ギターを弾く。
そしてJohn Goodmanの、例によってわけのわかんないかんじ。 全員が"…"になってしまうすごさ。

かんじとしては、Wim Wendersの"Don't Come Knocking" (2005)なんかにも近いかも。 あれもT-Bone Burnettだったけど。 音楽が必要とされている世界、音楽を必要としている人々のいた時代がすばらしい音楽と共にやってくる。
そしてラスト、あの男の登場によって転がりはじめたなにかはあったのかなかったのか。

しかし当時のグリニッジ・ヴィレッジとか、地下鉄とかどうやって再現したんだろ。 セットなのかなあ。

これ、Coen兄弟がフィルムで撮影する最後の作品になるのだそうな。

10.05.2013

[film] Gravity (2013) - IMAX 3D

こっちから先に書きます。
3日の晩の22:00、ホテルの裏のシネコンで、最初の回に見ました。

冒頭、画面の右端からシャトルが現れ、やがて3人の宇宙飛行士が船外活動をしているのが見えて、そこに衛星同士の衝突の連鎖で飛び散った破片が散弾銃となって襲いかかり、船外で修理をしていたエンジニアのRyan (Sandra Bullock)の命綱がぷつんと切れて宇宙のまんなかに放り出される - ここまで、何分あったのかしらんがワンカット(たぶん)。

重力から解き放たれて360度ぐるんぐるんに回ることができるカメラがやってくれる曲芸 - このへんの技術が可能になるまで4年待った - てNew York誌には書いてあったが - にまずあっけにとられるのだが、ここから先は、計90分の、怒濤のローラーコースターだった。

音はない、重力もない、温度はうんと暑いか寒いか、でも時間は流れるし、軌道上で暴走をはじめた機器の破片はびゅんびゅん飛んでくるし、ヒトは生きていていずれは死ぬかもしれないけど、宇宙のまんなかでは死にたくない、そんなRyanの死にものぐるいのたたかいがぐるぐるまわり続けるカメラと、Ryanのヘルメット越しの目線と視界(よくない)を中心に描かれる。

無重力が怖いひと、無音に耐えられないひと、暗闇がだめなひと、ヘルメットの密閉感がだめなひと、ひとり取り残されるのがだめなひと、パニックの波状攻撃がだめなひと、はたぶんほんとうにほんとうに怖いと思うし、宇宙飛行士なんてなりたくなくなるよねえ、とおもう。 これと比べたら"Space Cowboys" (2000) のTommy Lee Jonesのがまだ幸せだったほうかも。

博物館とか学術機関が作る科学映画とは違って、これはやはり映画のどまんなかで、中盤以降、ほんとにやばくなったあたりからのほとばしるエモはすばらしい。ただ、Sandra Bullockがどんなにいきんでエモっても、たったひとりなの。

そしてGeorge Clooneyも見事で、これがGeorge Clooneyとしかいいようがないすばらしさなの。 見ればわかる。

それにしても、へんてこエモ/エロ映画 - "Y Tu Mamá También" (2001)を作ったAlfonso Cuarónがなんでこんな映画を撮りたいと思ったのだろう、おもしろいねえ。

エンドロールのThanksのとこにGuillermo del Toroの名前があった。 "Pacific Rim"のエンドロールにはCuarónの名前があったし、なかよしなんだろうな。

あと、どうでもいいけど、衛星の機器パネルは英語で統一しよう -- ロシアと中国の関係者のひと。

これからNYに飛びます。 とにかくねむいったら。

10.04.2013

[log] October 04 2013

2日の6時くらい、ロス経由でシアトルに着いて、雨が降っていてとっても寒くて、いまは4日の朝で今晩の11時くらいに夜行でNYに向かうの。

2日間なんてあっというま。 レコード屋も本屋も今回はぜんぜん。 天気わるいし寒いし。

ロスまでの飛行機でみたやつ。

"The Heat" (2013)
監督が"Bridesmaids"のPaul Feigで、Sandra BullockとMelissa McCarthyによる女刑事ものなんて、おもしろいにきまっている。

Sandra Bullockが、優秀だけどみんなに嫌われてて昇進が微妙なFBIのエージェントで、麻薬捜査に行った先のボストンで、地場警察のMelissa McCarthyとぶつかって、喧嘩しながらも同じ敵を追っかけていくの。Melissa McCarthyはでぶで(見りゃわかるか)口が悪くて凶暴で力任せで、まあいつもの役回りで、同じく口は悪いけど知力に頼ってやってきた潔癖性のSandra Bullockとは対照的で、ふたりのやりとりだけで十分おもしろい。 ふたりで力を合わせて、というよりそれぞれ勝手に暴れているうちに片がついてしまうようなところも。 悪役がもうちょっと悪悪だったら最高だったのだが、あの終わらせかたなら文句いわない。 続編もこの調子でいってほしい。

"This is The End" (2013)
本国では既にDVDの宣伝がじゃんじゃん流れているこれをもういっかい。何回終われば気がすむのか。
やっぱしおもしろいよね。止まらないでがんがん流れていくところ。
生首目線のカメラとか変なところもいっぱいあるのだった。

シアトルでは、夜中に3本みました。 ホテルの裏のシネコンで。
だんだんに書いていきますけど(いつになることやら...)、とりあえず"Gravity"のIMAX 3Dはとんでもなかった。
飛行機はすきだけど、宇宙へは行かなくていい。

10.02.2013

[log] October 02 2013

たいぷーが銚子の東のほうにいる状態で空の色もどろどろんでふんとに飛ぶのか飛べるのかわかんないけど、ロス経由でシアトルに行って、金曜の晩に赤目でNYに渡って、来週の木曜に戻る、ていうのをやろうとしているの。

さっきまで最大の懸念だったのは飛行機よりもひ弱なNEXくんで、これが動いていてくれたのでもうなんか達成した気分になっているようだが、遊びではなくて仕事の旅なのでちっともおもしろくないんだ。

こんかい、シアトルの日程は割と早めに決まっていたのだが、NYのほうが直前までごーが出ず、とってもたいへん消耗してうんざりだった。

なぜなら、この土日ときたらNYFFとNew Yorker Festivalのどどどまんなかで、みんなが見たい行きたいようなやつのチケットなんかとっくに売り切れていやがって、じゃあ諦めるのかというとそんなのできるわけないからStand-byに並ぶのだろうが、見れる保証なんてどこにもないし、ハズレたときのプランBも考えておかねばならず、でもそのプランだってふくざつに分岐したりして悩ましいったらなくて、そんなら寝てれば、といろんな声がいう。  そんなら寝てれば。

でも(なにが、でも?)東京にいたって、「天国の門」とか曽根中生とか始まるし、「さよならを待つふたりのために」はせっかくいいとこまできたのに置いてきてしまった。
しかも今日は豆腐の日だというのに、食べてくるのわすれた。

NYFFとNYFいがいのところだと、ライブとかはないかんじ。  Sleigh Bellsは、あっというまになくなっちゃったし、Goblinとか売り切れてるし、Previewがはじまったピンターの「背信」は$348のチケットしか空きがなかったし。

WilliamsburgのAcademyは閉まっちゃってGreenpointのお店は10/12オープンみたいだし。

でもけっきょく、なんだかんだあるわけよね、まいどのことながら。

シアトルのほうは、またダウンタウンじゃないとこで缶詰なのでどうしようもない。
こないだ見た"Chronicle"でぼろぼろに破壊されていた傷跡がしんぱい。 バラードのあたりってレコード屋もいっぱいあるのに。

ではまた。