2.16.2013

[film] Two Years at Sea (2011)

9日の土曜日の夕方、誰のためのどういう趣旨の祭りなのかいまだによくわかんない「恵比寿映像祭」から1本だけ見ました。 『湖畔の2年間』。
Mike Kelleyも、そりゃ見たかったけどあの時間割ではどうしようもない。

監督のBen Riversがひとりで、湖畔の廃屋みたいなとこで暮らしている男の日々を追ったもの。
おじさんがどういう経緯でそこで暮らしているのか、なんでひとりなのか(家族らしき写真があるので昔はいたのかもしれない)、ドキュメンタリーなのかフィクションなのか、2年間暮らしてきた現在地点を撮ったものなのか、2年間カメラで撮り続けたものをまとめたものなのか、今もそこにいるのか、なにもわからないまま、モノクロの荒れた映像でおじさんのすることをじっと見つめるカメラとそこから出てくるおじさんの姿を見るしかない。

世界から切り離された場所でひとりで暮らすおじさんを撮ったドキュメンタリー、というと王兵の『名前のない男』を思い浮かべるが、生活のレベル(あれらを「生活」と呼んでいいのか、はあるにせよ)は、中国のおじさんよりこっちのほうが上みたいで、向こうの穴蔵に比べてこっちはちゃんと屋根があるし、こっちはレコードかけたり、洗濯したり、池にボートをふくらませて釣りしたりしている。 だからどうした、でしかないのだが、人並みの暮らし、ってなんなんだろう、とか。

社会、社交のようなところから離れて、ひとの暮らしの営みはどこまでぼうぼうした白黒の動きとして、みしみしぎゅーっと圧縮された音のうねりとして表しうるのか、ということ。
それが普遍的であるとかそんなことはどうでもよくて、そこには何の過去もドラマも、独り語り(たまになんかもごもご言うけど)も必要なくて、ただ見て、聞いているだけでひとつの像が浮かびあがってくる。 最後のほう、淡い光に照らされたおじさんの頭を見ていてセザンヌやマネの肖像画を見ているかんじになったが、そういうところもある。 ただ、それを美しいと思うかどうかは難しいかも。 そして、そんな判断もまたこの映画の前ではどうでもいいんだ。 たぶん。

あー映像になんかならなくてもぜんぜんよいから、湖畔で2年間、あんなふうにボートの上でぷかぷかしていたいようー。 

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