10日の日曜日、『密書』の後で新宿に行って、シネマカリテ(はじめて)で見ました。 ジョニー・トーの新しいやつ。
テーマはお金、金融、ということで、そういう方面のことがまったくわからない(無理してリスクの高い商品を買っちゃうおばさんと同じレベル)のでどきどきして行ってみたら、いつものジョニー・トーだったので少し安心した。
ジョニー・トーの映画では、主人公たちがいつも何かを求めたり奪ったり抱えたりしてじたばた走りまわってぼろぼろの傷だらけになって、結局おじゃん、なんにもならなかった、みたいなパターンが多い。
抱えて走るのは例えば、『エレクション』だと竜頭棍だったり、『放・逐』だと仲間の身体だったり、"Vengence"だと復讐の念だったり、『強奪のトライアングル』だと古代の秘宝だったりしたわけだが、それが今回はお金で、しかもそれは物理的な札束としてもあれば、マーケット上で予測できないまま膨らんだり萎んだりする厄介なやつでもあって、こいつがギリシャ通貨危機という世界的な大騒ぎを通して、水面上に拡がっていった波風を時間軸を前後させつつ追っていく。
登場人物のアンサンブルも緩めで、中心にいるのは3人、ちんぴら、警官、金融商品の窓口担当で、ちんぴらは兄貴分の保釈金がほしい、警官はマイホームの購入資金がほしい(妻にせっつかれている)、窓口担当は営業成績が上がらないので金づるがほしい、とそれぞれ、お金はほしいけど、積極的に、なにがなんでも、ないとしんじゃう、というかんじではなく、彼らは互いに関わりそうでいて関わることなく、おなじ電光板上の数字を眺めるしかない、そんな関係。
こういう具合なので、お金をめぐって殺傷沙汰が起こっても、これはやばいなんとかせねば、みたいな空気にはならず、そのトーンは最後まで変わらない。 冒頭のアパートの刃物沙汰も最後の落着も、だいたいおなじテンションで描かれている。 つまり、現代のお金を巡るやりとり、争奪はそういう、ぼやんとしたところ、責任者でてこい!(しーん ...) な場所に落ちざるを得ないのではないか、と。
これはこれまでのジョニー・トーの、黒をバックに一切を顧みないプロの男達が命懸けで何かを奪い取る/守り通す物語とは一線を画するやつで、でも、こんなような世界を描くとしたらこんなふうになるはず、というのを一度やってみたかったのではないか。
あとは、俳優さんが、いつものジョニートー映画とおなじく、すばらしい。 あのおでぶさんが出てこないのと、お食事シーンがあまりないとこだけ、ちょっとざんねん。
それと思ったのは、例えばブレッソンの『ラルジャン』 - これも「奪命金」ではある - の、あのきりきりした刹那の真逆に物語を立てるとしたら、こんなふうになるのかも、とか。
2.20.2013
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿
注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。