1.21.2012

[film] Une Femme Douce (1969)

到着した日(1/17)の晩に見ました。

Film Forumで、Bressonの35mmニュープリントによるレトロスペクティヴというのをやってて、この「やさしい女」は当初のスケジュールに入っていなかったのだが、急遽後になって追加された。 これでComplete Retrospectiveになりました、と。

上映は6:30と8:30の2回だけ。 やな予感がしたので、渡米前にダメ元でオンライン予約を入れておいた。 ら、やっぱし2回ともぱんぱんに売り切れてた。

取ったのは6:30の回。 
着いた日の午後、一応会社に行って打合せして、でも着いたばかりで体調すぐれなくて(実際ひどかったのよ、ほんとよ)、ということで早く抜けて見ました。

原作はドフトエフスキの短編で、昨年講談社学芸文庫から新訳がでてた。 ずいぶん昔に読んだきりー。

映画は、字幕も含めてぴかぴかの新版で、文句なしにすばらしかった。

冒頭で「やさしい女」であるところのDominique Sandaが飛び降り自殺してしまうのだが、その自殺を追うショット - 空を舞う白いショール - がまずすごいの。 で、彼女の遺体をまえに、その夫があーだこーだと回想とか告解、のようなことをはじめる。

小説も映画も、彼から見た彼女の挙動とか振る舞いを、彼の独白というかたちで追っていくだけなので、彼女の自殺の真相 - あと、そもそもなんで彼女がこの男と結婚して一緒になったのかも含めて - は一切明らかにならない。

むしろ、この、なんで?なんで?なんで?の連続を通して、その結果としてこの男がこんなにもバカで愚かでしょーもなかったから、彼女はあきれて死んじゃったんだな、ということくらいしかわからないの。

で、映画は、そのわからない、不寛容、というふたりのどんづまりのありようを、ほとんど言葉を発しないDominique Sandaの表情と動作を追うことで、丁寧に描く。 動物園行っても、観劇行っても、どこでデートしても、楽しんでいるのかつまんないのかわからない。 でも、それを丁寧に追えば追うほど、残酷なくらいにその川向こうのどんづまり具合は明確になるの。
タイトルの「やさしい女」ていうのは、そのどんづまりのわけわかんなさに対して、彼女はきっと「やさしい女」だったからさ ... と男目線で加えられるだけのこと。

彼女が死んでしまった晩、彼女の遺体を前に彼は生前と同じように繰り返し語りかける。
そして彼女は生前と同じようになにも応えはしないの。

あくまで印象でしかないが、"L'Argent" (1983)にすごく似ている気がした。(あれの原作はトルストイだけど)
あれも、店舗のカウンターの向こうとこっちのやりとりからコトがはじまって、説明しようのない事実の連なりを通して殺人 -或いは自殺- の経緯を語ろうとしていた。 (タイトルである「ラルジャン - 金」をすべての発端に置いてみたところでどうなるもんでもない)
横滑りするシャベルと石鹸、とか。  決して内面を明らかにしない主人公とか。

それにしても、これがデビュー作となるDominique Sandaの美しいこと。
死体であることも含め、どんより仏頂面をしてばかりで演技らしい演技はほとんどないに等しいのだが、それがこの役の場合は見事にはまっている。
結婚したばかりの頃の、何に興奮したのか突然階段を駆けあがるとこ、ベッドでぴょんぴょん跳ねるとこ、鼻歌うたうとこ、夫の回想のなかでの楽しかった頃のこれらはほんとに愛しそうに輝く。
そしてラストのとびおりる直前の超クローズアップから空に舞うショールのとこのイメージの連なり。

どこまでも痛ましくて残酷で救いようのなかったものがここに全部被さってきて、空を見上げて地を見下ろすしかないの。

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