土日は映画2本づつだけ。 雪だし。 寒いし。 ぜんぜん時間ないし。
今回のはどれも待てばもうじき日本で見れるのだが、待ちたくないし、日本では見たくねえよ、とか。
最初がPinaの3D。
ほんとは、Pinaが毎年定期的に新作を上演していたBAMのRose Cinemaで見るべきだったのだが、ブルックリンの地下鉄がぐだぐだで時間が合わなくなって、IFCのほうにした。
Pinaの舞台がどれだけ空間や言語的なものに制約されないものを志向していたのかは明らかで、他方、ダンスに向かう身体が知覚、情動、妄想、力、愛、不満、もやもや、などなどによってどれだけ制約され(or 制約する)、抑圧される(or 抑圧する)ものであるかも明らかで、彼女の舞台はその両者のぎしぎししたせめぎあいのなか、唖然とするようなスペクタクルを強引に持ちこんで我々を別の世界に連れていく。
強引に夢のなかに引っぱりこんで、舞台が終ると夢から醒める。 ぱちん。
夢の涯を見据えようとした作家Wendersが3Dを使ってPinaの世界をRemixする。
Wuppertalのモノレールが我々を外の世界に連れ出して、代表作である"Le Sacre du Printemps", "Café Müller", "Kontakthof", "Vollmond" などなどのエッセンスがいつものダンサー、いつもの俳優達によって演じられる。
みんなスクリーンのなかでふんわりと笑っている。 Pinaも。
ライブで見ることでしか感じることのできない、彼女の舞台独特の臨場感が、全く別のアプローチによって、ところどころ数段でっかいスケールでもって目の前に展開される。 もちろん、生の舞台を見ることと3Dで再構成されたダンスの動きを見ることの違いは出る。 それはそれでくっきりとでるし、わかる。
しかしそれが何かを損ねているかんじはまったくない。
Pinaがドイツの小さな町で、彼女が一生をかけて追求しつづけたものに、新たな光が当てられる。
その光がどんなに美しく、かけがえのないものであったかは、彼女を回想するダンサーひとりひとりの語りや表情にくっきりと現れているの。
決定版だなー。 何回でも見たいなー。
あとね、ちょっとだけ惜しかったのは、Pinaの持っている独特のユーモア、笑いのセンスが入っていたらどんなに素晴らしかっただろう、って。 そこは最初から諦めていたのかしら。
Pinaのドキュメンタリーでいうと、"Kontakthof"の上演に向かう10代の子供達を追った"Dancing Dreams"(2010)が「ピナ・バウシュ 夢の教室」というタイトルで3月に上映されるの。
これもすんばらしくよいのでぜひ。
ところで、"Vollmond"に出てきたのって、カバだったっけ? BAMのときはセイウチだった覚えが…
あと、あのモノレール乗りたい。 いつかきっと。
オスカーのドキュメンタリー部門ノミネートは当然。 外国語映画賞だっておかしくないのに。
1.24.2012
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