7.22.2011

[film] 歓待 (2010)

NYは、ありえないあっつさ。 湿気がない分、鉄板の上。

日曜日に渋谷でみました。

江東区の小さな印刷工場 - 住居兼用 - でふつうに暮らしている家族のとこに怪しそうな男が現れて、なんだかんだ言ってそこのひと部屋に間借りしてしまう。
その男は次に妻だという外国人(最初はブラジルから来た、といって、次はボスニアから来た、という)を呼び込んで、さらにいろんな外国人が現れて、あらら、という状態になる。 ぜんたいとしてはほのぼの変、でもそれだけではないの。

いつのまにか家族のなかに入りこんで、弱みをがっちり掴んで抜けられない足場を作って、さらに仲間を呼び込んで全体をひっくりかえす。寄生虫みたいなオセロみたいな。なんかの罰ゲーム、みたいな。

カメラは闖入者を受け入れる家族となかに入りこんで行く闖入者の目線を通して、家族の事情(これもなんかあやしい)、住居の構造(というほどのもんではないが)、などなどいろんなことを淡々と映しだしていく。
どれも驚くような内容のものはない、日本人のわれわれはどこかで、こういう家族とか家があること(むかしはふつうにあったよ)をなんとなく知っている、はず。

映画は、この「はず」みたいなところを括弧で括って、家族とか住居とか地域とかにおける境界、不審者、外部のもの、とはなにか、そこに出てくる居心地の悪さとか違和感みたいなのはどこから来るのか、などなど、「もやもや」を宙づりにして、これなんなの? て考えさせる。

川縁に住み着いたホームレス、不法滞在の外国人、「コミュニティ」の治安を脅かす、といわれるこれらの「もやもや」。

なんでこれらは気持ちわるいとか言われるんだっけ? 
「安全」て「治安」てなんだろ?

宙づりになった「もやもや」は最後にいろんなひとがわーってつっついてお祭りになってひっくりかえしてわけわかんなくなって、なんとなく元にもどる。 まるで何事もなかったかのように。

よかったね、なにごともなくて、という地点に来て、最後に「歓待」という言葉がふわんと浮かんでくるの。 彼ら、どうおもったのかしら。 ちゃんともてなすことことができたかしら。 またそのうちね。

全体のトーンはコメディなのだが、これってかんたんにホラーにひっくり返るものでもあるの。
闖入者が家族ひとりひとりを血祭りにあげていく、或いは、家族が寄ってたかって闖入者をぼろぼろにしていく、ホラーでは割と常道のこんな設定が、下町の町工場経由で、こんなにも簡単にひっくり返せるかもしれないのよ、というメタ・ホラー映画でもあるの。

都知事に見せたいよね。 けしからん、とか言うだけだろうが。

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