最近リリースされた映画もぜんぜん見れていないが、最近の若いバンドのライブも行けていない。
べつに見なきゃいけない義務があるわけでもなんでもないし、若いとか年寄りとか関係ないことはわかっているのだが、なんかね、見ておきたいのね。
でも最近のって名前がぜんぜん憶えられないの。 Beach HouseとかBest CoastとかMorning Bendersとか、ばかにしてんのかてめーら、てかんじだし。
憶えらんないのはこっちのせいか。 そうか。
でもがんばって憶えようとはしてみて、Best Coastは猫ジャケの、というふうになんとか憶えて、チケット買うときもこれこれ、ねこねこ、というかんじで取った。
いちおう、Webster HallはSold Outしていたもよう。
仕事がばたばたで会場についたら9:00まわってて、既にWavvesがやってた。
うしろには2バンドの名が彫られたゲロ猫のでっかい垂れ幕がさがっている。(写真)
いっぱい入ってて奥に進めないので、後ろのほうで見ていたのだが、まわりを見てみると結構おなじような年代のじじい達が腕組みして、どうしたもんかねこれ、という顔で立ちつくしている。
あとでSan Diego出と聞いてなるほどー、と思ったのだが、とっても威勢のいいガレージサーフパンク。
ぜんぶおなじに聴こえたってかまうもんか、Go! てかんじの青々したぶちかまし感がここちよいし、へたじゃないし、全然わるくはないのだが、これほんとに、2010年代の音なのかなあ、て少しだけ。
立ちつくしていた人たちも同じかんじだったのではないかしら。
もうちょっとジャンクに走ってもよい気がしないでもないが、あまりに心地よく耳になじんでくるガレージの、そのなじみ感に逆に違和感を覚えてしまうような。
もうちょっとイライラさせてくれたほうが、とか。
いや、ぜんぜん悪くないんだけどね。
ライブではない録音物のほうはそうではないのかもしれないが。
Wavvesが1時間くらいで、10時半からBest Coast。
ここではじめて、このバンドにかんして、猫ジャケ、以外の情報をほとんど持っていなかったことに気づく。
きれいめのお嬢さんと中野ブロードウェイによくいるタイプのでぶ男と、"Ghost World"のまるっこいほう(イーニド、だっけ?)の女の子ドラムス。
で、こっちはなんかよかった。
最初の一曲から、あ、いいかも、て。
キャンディポップをどたばたがりがり、ローファイの居直りも照れもなく、クールにこなしていくところが素敵。
ヴォーカルのお嬢さんの声と息が、たまにクリッシー・ハインドとかコートニー・ラブみたいなBitchぽくけだるげに抜けるとこがあって、そのへんがいいのね。
あとは、ドラムスの女の子のぶっとい腕から繰りだされるどったんばったんも気持ちよい。
アンコールなしで1時間強。 ラストにがーん、とかじゃーん、とか無邪気にぶちかますとことか、よかった。
Village Voiceのこの記事、おもしれー。
http://blogs.villagevoice.com/music/2011/02/best_coast_snac.php#
夏だの愛だの猫だの、もってくりゃそれでいいのか? という問いに、もちろんそうよ、だってどれも永遠だもの!てしらっと答えそうな軽さとふてぶてしさがたまんないし、猫を抱えた小娘に萌えて猫踊りさせられるCritics、という間抜けな図もいいよね。 でもぼーっとしてると引っ掻かれるのよ。
で、しかも、それにしては、こんな音だし。 猫だし。
この2バンド、対バンの相性としてはお互いなんだかとってもよかったかも。
Wavvesの、がーがー押し寄せてくる波と、そんなの適度に無視して浜辺(Best Coast)で日向ぼっこしている絵と。 そんな一見ほのぼのとした、まっさらの海辺のランドスケープが、これからの10年代の波のなかでどんな変転をみせるのか、楽しみなかんじはした。
なんか、かんじとして、80年代末にDinasaur Jr.が、ぼくらなんも考えてないもんーという顔して登場してきた頃を思い出したりもするのだが、あの頃とどう違うのか、あるいはおなじなのか。
帰るとき、やっぱし負けて猫ジャケのアナログ買ってしまった。
だーかーらーアナログはー、1枚買ったら、5枚も10枚も40枚もおなじになっちゃうからだめだってあれほどー。
2.04.2011
2.03.2011
[film] Dancing Dreams /Tanz Traume (2009)
火曜日の朝から10年に一度のStormがくる! てTVは大騒ぎしてて、実際に中西部のほうではすごいことになっていたので、わくわくして待っていたのに、結局はみぞれみたいな雨がぼたぼたきて、寒く冷たくなっただけだった。
あんまりにあんまりなので、うそつき! て文句をいいに外に出て、 映画みました。
Walter Readeのイベント"Dance on Camera"のクロージング作品。
Pina Bauschの2008年の”Kontakthof”上演のために集められた若者たちのリハーサル風景を追ったドキュメンタリーフィルム。 昨年NHKで放映されたみたいだし、輸入DVDでも見れるので既に見たひともいることでせう。
でもこれは、でっかいスクリーンで見たほうがぜったいにすごい。
演目としての”Kontakthof”は初演が78年で、その後65歳以上のダンサーによるバージョンが2000年にあって、今回はそれのTeenagerバージョン。 彼女が手掛けたほぼ最後の作品。
Pinaの「ぴ」の字も、ダンスといったらヒップホップくらいしかしらないガキ共にPinaのピースを教えたらいったいどんなことになるのか。
ものすごくおもしろかった。
優れた作品の、リハーサルやデモがおもしろいのは当然であるがそれ以上にいろいろ。
冒頭の、若者たち全員がこっちを向いて体を揺らす、そこから一挙にひきこまれる。
ダンス・フィルムとしても、ひとつの目標に向かう若者たちの像をとらえたフィルムとしても、すばらしいと思った。
リハーサルは2人のリハーサル・ディレクターが仕切っていて、彼女たちがほんとにつきっきりで面倒をみてて、細かく細かく指導して、Pinaはたまに顔をだして全体を見て、静かに指示をだして帰る程度。
Pinaのコレオグラフのメソッドとかリハーサルのやりかたについては、これまでもいくつかのダンサーのインタビューなどで明らかになっているが、今回のはダンサーではない、ダンサー志望というわけでもない素人相手に、いちから教えていかないといけない。
体の動き、テンポ、表情。 まず若者たちには、なんでそういう動きをするのか、しなければいけないのか、それすら謎で困惑してて、Pinaのダンスって、それを見ている我々ですらなんじゃこれ?みたいなとこはあったりするので、道のりの困難なことといったらすさまじかったのだろうな、とおもう。
でも、とにかく動きとか身体の使い方を辛抱強く教えていくと、おもしろいことにその動きや動作に、そこに求められていた感情とか情動のコアみたいなところが穴とか型とかに吸い寄せられるかのように入っていく。
こうして最初はぎこちなかった動きや表情が、新たに注入され新たに獲得されたエモーションを伴うリアルで切実な動き -ダンスとして彼らの身体を新しいものにする。
そんなような化学変化が、これは彼らの若さゆえに起こったものなのか、あるいはそこに資質みたいのがあるのか、あるいはPinaのダンスがそういう方向に身体をガイドすることになっているのかしらんが、とにかく起こって、それを見る我々は、そこにPinaのダンスを見たときにいつも感じるあの、愛おしさとか、哀しみとか愛とか憎悪とかがむきだしにされた、丸裸にされたエモの姿を目撃することになる。
とにかく、うわー、この子すごい! てなるくらい変わるのね。
Pinaのいつものメンバーだと枯れてたりやさぐれ系だったりが多いのでそんなでもないし、それが味だったりするわけだが、この映画のなかでぴちぴちの若い子の間で起こるそんなような変化は、とにかく新鮮でまぶしくて、若いっていいねえ、と。
そういうのとは別に、実にいろんな子供たちがいて、ボスニアからの難民の子もいれば、死を身近に経験した子もいれば、ごくふつうの若者としてだらだらしている子もいる。 そうだよね。
あとはたまに登場するPina本人がさあ。 彼女がリハーサルの光景を、目を細めてたまに微笑みながら見ていたりする姿が映ると、それだけでなんだか泣けてきてしまうのだった。 彼女はあんなふうにして彼女のダンスとダンサーを繰り返し繰り返し作って、育ててきたんだなあ、って。
そして、彼女はもういないんだなあ、って。
上映後に監督とのQ&Aがあった。
監督の女性は73年頃からPina - Tanztheater Wuppertalのダンスを撮り続けてきたひとで、だから今回も許可が出たらすぐにオールアクセスで出入りができた、と。
このおばさん、別にたいしたことやっていないのよ、みたいなこと言っていたが、この映画のカメラは、ダンサーの動き、表情、Pina特有の群舞とそこから突出する個人の動きを実に見事に的確に追っていて、ただものじゃないねえ、とおもった。
以下、いくつか言っていたこと。
-撮影は、基本彼女とカメラマンのふたりだけで、使ったカメラは1台だけ。 どういうカメラかはしらない。 クライマックスの舞台のところだけは、カメラを2台つかった。
-オリジナル版、65歳版とTeenager版の異同については、まず、ダンサーにしかできないテクニックがいるところは外したのと、あとは上演年やバージョンごとに細かく変えていく部分が(いつも)あるのでそういう調整はあったが、それ以外にTeenageだから、ということで特に修正したりした箇所はなかった。
-子供たちはいろんなレベルの学校8つくらいから、最初は150人程集まった。土曜日フルに参加できること、という条件が入ったところで、それが半分に減った。そこから更に50人くらいに絞った。
-この舞台のあとで、本格的にダンサーや演劇の道を進みはじめた子も4~5人いた。
-照明はほとんどなにも考慮していない。 Pinaの姿を撮るときだけ、ちょっと配慮して調整した(笑)。
-映画製作の資金はTanztheater Wuppertalからとあとはパブリックの援助金、それだけ。
Wuppertalの町って、いつか行ってみたいなあ。 あのモノレール、いいなあ。
次は、ヴェンダースの3D, "Pina"だな。
Pinaが霊界から飛びだしてくるんでしょ?
あんまりにあんまりなので、うそつき! て文句をいいに外に出て、 映画みました。
Walter Readeのイベント"Dance on Camera"のクロージング作品。
Pina Bauschの2008年の”Kontakthof”上演のために集められた若者たちのリハーサル風景を追ったドキュメンタリーフィルム。 昨年NHKで放映されたみたいだし、輸入DVDでも見れるので既に見たひともいることでせう。
でもこれは、でっかいスクリーンで見たほうがぜったいにすごい。
演目としての”Kontakthof”は初演が78年で、その後65歳以上のダンサーによるバージョンが2000年にあって、今回はそれのTeenagerバージョン。 彼女が手掛けたほぼ最後の作品。
Pinaの「ぴ」の字も、ダンスといったらヒップホップくらいしかしらないガキ共にPinaのピースを教えたらいったいどんなことになるのか。
ものすごくおもしろかった。
優れた作品の、リハーサルやデモがおもしろいのは当然であるがそれ以上にいろいろ。
冒頭の、若者たち全員がこっちを向いて体を揺らす、そこから一挙にひきこまれる。
ダンス・フィルムとしても、ひとつの目標に向かう若者たちの像をとらえたフィルムとしても、すばらしいと思った。
リハーサルは2人のリハーサル・ディレクターが仕切っていて、彼女たちがほんとにつきっきりで面倒をみてて、細かく細かく指導して、Pinaはたまに顔をだして全体を見て、静かに指示をだして帰る程度。
Pinaのコレオグラフのメソッドとかリハーサルのやりかたについては、これまでもいくつかのダンサーのインタビューなどで明らかになっているが、今回のはダンサーではない、ダンサー志望というわけでもない素人相手に、いちから教えていかないといけない。
体の動き、テンポ、表情。 まず若者たちには、なんでそういう動きをするのか、しなければいけないのか、それすら謎で困惑してて、Pinaのダンスって、それを見ている我々ですらなんじゃこれ?みたいなとこはあったりするので、道のりの困難なことといったらすさまじかったのだろうな、とおもう。
でも、とにかく動きとか身体の使い方を辛抱強く教えていくと、おもしろいことにその動きや動作に、そこに求められていた感情とか情動のコアみたいなところが穴とか型とかに吸い寄せられるかのように入っていく。
こうして最初はぎこちなかった動きや表情が、新たに注入され新たに獲得されたエモーションを伴うリアルで切実な動き -ダンスとして彼らの身体を新しいものにする。
そんなような化学変化が、これは彼らの若さゆえに起こったものなのか、あるいはそこに資質みたいのがあるのか、あるいはPinaのダンスがそういう方向に身体をガイドすることになっているのかしらんが、とにかく起こって、それを見る我々は、そこにPinaのダンスを見たときにいつも感じるあの、愛おしさとか、哀しみとか愛とか憎悪とかがむきだしにされた、丸裸にされたエモの姿を目撃することになる。
とにかく、うわー、この子すごい! てなるくらい変わるのね。
Pinaのいつものメンバーだと枯れてたりやさぐれ系だったりが多いのでそんなでもないし、それが味だったりするわけだが、この映画のなかでぴちぴちの若い子の間で起こるそんなような変化は、とにかく新鮮でまぶしくて、若いっていいねえ、と。
そういうのとは別に、実にいろんな子供たちがいて、ボスニアからの難民の子もいれば、死を身近に経験した子もいれば、ごくふつうの若者としてだらだらしている子もいる。 そうだよね。
あとはたまに登場するPina本人がさあ。 彼女がリハーサルの光景を、目を細めてたまに微笑みながら見ていたりする姿が映ると、それだけでなんだか泣けてきてしまうのだった。 彼女はあんなふうにして彼女のダンスとダンサーを繰り返し繰り返し作って、育ててきたんだなあ、って。
そして、彼女はもういないんだなあ、って。
上映後に監督とのQ&Aがあった。
監督の女性は73年頃からPina - Tanztheater Wuppertalのダンスを撮り続けてきたひとで、だから今回も許可が出たらすぐにオールアクセスで出入りができた、と。
このおばさん、別にたいしたことやっていないのよ、みたいなこと言っていたが、この映画のカメラは、ダンサーの動き、表情、Pina特有の群舞とそこから突出する個人の動きを実に見事に的確に追っていて、ただものじゃないねえ、とおもった。
以下、いくつか言っていたこと。
-撮影は、基本彼女とカメラマンのふたりだけで、使ったカメラは1台だけ。 どういうカメラかはしらない。 クライマックスの舞台のところだけは、カメラを2台つかった。
-オリジナル版、65歳版とTeenager版の異同については、まず、ダンサーにしかできないテクニックがいるところは外したのと、あとは上演年やバージョンごとに細かく変えていく部分が(いつも)あるのでそういう調整はあったが、それ以外にTeenageだから、ということで特に修正したりした箇所はなかった。
-子供たちはいろんなレベルの学校8つくらいから、最初は150人程集まった。土曜日フルに参加できること、という条件が入ったところで、それが半分に減った。そこから更に50人くらいに絞った。
-この舞台のあとで、本格的にダンサーや演劇の道を進みはじめた子も4~5人いた。
-照明はほとんどなにも考慮していない。 Pinaの姿を撮るときだけ、ちょっと配慮して調整した(笑)。
-映画製作の資金はTanztheater Wuppertalからとあとはパブリックの援助金、それだけ。
Wuppertalの町って、いつか行ってみたいなあ。 あのモノレール、いいなあ。
次は、ヴェンダースの3D, "Pina"だな。
Pinaが霊界から飛びだしてくるんでしょ?
2.02.2011
[film] Moonfleet (1955)
月曜日、ねむいし、低気圧頭痛がひどかったので早めに抜けてFilm Forumにむかう。
久しぶりにここのCarrot Cakeをたべる。
こいつの少しざらっとしたテクスチャにエスプレッソが絡まった瞬間のめくるめく感覚って、ほんとすごいのよ。 あと一歩でドラッグだわよ。
んで、ケーキを頬張りながら2月から5月のレパートリーのプログラム(紙)を見る。
3月8日、Lydia DavisのintroductionによるMinnelliの"Madame Bovary" (1949)!!!
みたいよう。 けど、むりだねえ。
4月の特集、"5 JAPANESE DIVAS"。5人にするとすぐわかってしまうねえ。
先週からはじまった特集"Fritz Lang in Hollywood"のなかの1本。
Lang作品のなかでは唯一のシネスコで、18世紀の英国を舞台にした冒険活劇で、母の友達だったという理由だけで盗賊の親分(とは知らずに)を慕ってやってきた男の子のお話。
丁度、こないだの”True Grit”をひっくり返したような形になっていたかも。
昔の米国と英国、女の子と男の子、父の仇と母の友達、保安官と盗賊、荒野と海辺、などなど。
子供がならず者、はみだし者の大人(不良だけど味方なの)との交流を通して未知の世界に目を開いていく、というトーンは共通している。 そしてその世界が悪や死といった要素も含めて雑多で畏怖と驚異に溢れている、というところも。
で、最後に不良の大人は、子供になにかしら大切なものを残してすうっと消えていくの。
そしてこの映画でのLangは、カラーとシネスコをフルに使って、めちゃくちゃ楽しそうにこんなふうな世界を、英国の農村や墓場や屋敷をゴスにブリリアントに組みあげている。
美術もそうだが、アクションも見事で、長い剣をつかったちゃんばらのとこなんて、ぶうんて振りまわすたびに3Dみたいに飛んでくる(ように見える)。
他のノアール系のと比べると、Lang作品のなかではあまり評価されていないみたいだが、これはこれでほんとに見事で、こんなふうに子供をまんなかに置いた世界をちゃんと描けるからこそ、あれらダークで非情な作品群を量産できたのだと改めておもった。
あと、"Moonfleet"って名前、すてきだよね。
併映のもういっぽん、"American Guerrilla in The Philippines" (1950) は疲れてたので諦めて帰りました。
久しぶりにここのCarrot Cakeをたべる。
こいつの少しざらっとしたテクスチャにエスプレッソが絡まった瞬間のめくるめく感覚って、ほんとすごいのよ。 あと一歩でドラッグだわよ。
んで、ケーキを頬張りながら2月から5月のレパートリーのプログラム(紙)を見る。
3月8日、Lydia DavisのintroductionによるMinnelliの"Madame Bovary" (1949)!!!
みたいよう。 けど、むりだねえ。
4月の特集、"5 JAPANESE DIVAS"。5人にするとすぐわかってしまうねえ。
先週からはじまった特集"Fritz Lang in Hollywood"のなかの1本。
Lang作品のなかでは唯一のシネスコで、18世紀の英国を舞台にした冒険活劇で、母の友達だったという理由だけで盗賊の親分(とは知らずに)を慕ってやってきた男の子のお話。
丁度、こないだの”True Grit”をひっくり返したような形になっていたかも。
昔の米国と英国、女の子と男の子、父の仇と母の友達、保安官と盗賊、荒野と海辺、などなど。
子供がならず者、はみだし者の大人(不良だけど味方なの)との交流を通して未知の世界に目を開いていく、というトーンは共通している。 そしてその世界が悪や死といった要素も含めて雑多で畏怖と驚異に溢れている、というところも。
で、最後に不良の大人は、子供になにかしら大切なものを残してすうっと消えていくの。
そしてこの映画でのLangは、カラーとシネスコをフルに使って、めちゃくちゃ楽しそうにこんなふうな世界を、英国の農村や墓場や屋敷をゴスにブリリアントに組みあげている。
美術もそうだが、アクションも見事で、長い剣をつかったちゃんばらのとこなんて、ぶうんて振りまわすたびに3Dみたいに飛んでくる(ように見える)。
他のノアール系のと比べると、Lang作品のなかではあまり評価されていないみたいだが、これはこれでほんとに見事で、こんなふうに子供をまんなかに置いた世界をちゃんと描けるからこそ、あれらダークで非情な作品群を量産できたのだと改めておもった。
あと、"Moonfleet"って名前、すてきだよね。
併映のもういっぽん、"American Guerrilla in The Philippines" (1950) は疲れてたので諦めて帰りました。
[music] The Dismemberment Plan - Jan.30
あした2/2は、Groundhog dayであるが、この寒さではふざけんな、て穴に戻っちゃうよね。
映画3本を済ませて、雪の間をぬけて36th Aveの駅まで走ってNの地下鉄で14th迄。
Webster Hallに着いたのは9時半少し前。
Webster Hallの2 daysは、ずっとSold Out印がでてて、それが3日くらい前に外れていたので、買った。
なんとなく。 なにがなんでも、てかんじでもなく、ほんとになんとなく。
着いたときは、前座のJukebox the Ghostの最後の2曲くらい。 GとKeyとDrのトリオで、なんだかかわいいかんじ。 ラストがThe Cureの"Close to Me"をパワーポップ仕様にカバーしたやつで、いかった。
Dismemberment PlanとおなじDC出身だそうな。
フロアの奥に入っていく途中で、彼らの解散ライブのときはね... とかいう昔話ネタであきらかに女子をおとそうとしている中年が2組くらいいた。 よくないよね。
とか言いつつ、わたしが彼らを最後にみたのは、たしかDeath Cabとの対バン(2002年くらい?)
で、あのときははっきりと先攻のDeath Cabのほうの勢い勝ちだった。
彼らが今なんで復活したのか、どこかで語っているのかもしれないが、たぶん適当な理由なのではないか。
Nerdが逆襲できる時代になったから、とか、Vampire Weekendがあんなに売れるんだったら、おれらのほうが先なんだし、とか、あるいは、たんじゅんにお金、とか。
べつにいいのよ、理由なんかなんでも。 どうでも。 とおもった。
そして、そんなふうに、解散~復活というよか、ちょっと長い休暇だったのね、としか思えないくらいに、ぜんぜん変わっていないのだった。
GのJasonの声ががらがらで、Motorheadのひとがいます、て紹介されていたくらいか。
ぼこぼこべきべきぱしぱし、無機的な、でもパワフルなボトムにがしゃがしゃしゃりしゃりの、DCハードコア直系のギター、その上に親しみやすい鼻歌メロとびにょぼにょしたKeyがのっかると、なんだか気持よくぴょんぴょん歌って踊れるの。
2曲目に"A Life of Possibilities"。
久々に聴いた。この曲の後半から、やはりぐいぐいあがっていくのだった。
このツアーの基本トーンはやはり、ヴァイナルで再発されたばかりの"Emergency & I" (1999) で、みんな買ってね!もちろんいっぱいやるからさー と言って”The City”を -。
ものすごくバウンドするフロア、そしてみんな歌う歌う。
"What Do You Want Me to Say?" とかももちろん。
こんなにみんなで歌うバンドだったか? 歌いたいのはなんとなくわかるけどね。
歌の部分はふつうに楽しいのだが、このバンドはインストパートに入った瞬間に飛びちる火花がすごい、と改めて思った。 指を切りそうなくらいスリリングで気持ちよい。
より正確には普段のだらだらパートとのギャップがよいのかしら。
00年代初にこのバンドが残したものって決して小さくはなかったのかも、とおもった。
カッティング中心の軽くさくさく進むギター中心の音、決してシリアスにならず、どこまでもへらへらと明るくて、でも無反省な明るさではもちろんなくて。 -ものすごく誤解されやすい気はするし、既に誤解しているバカなバンドもいっぱいいるのだろうが。
本編ラストは、"Back and Forth"をがーっと。
アンコールは長めに5曲。
最初の"The Ice of Boston"は客をいっぱいステージにあげてわいわい。
その後はヴォキャブラリーの豊富さを見せつけるかのように余裕でいくつか。
こうして、ラストにやけくそのようにぶちかまされた"OK Jokes Over"は、最初の頃のハードコア仕様の強さとしなやかさが際立ってかっこよく響いたのだった。
これでずっと走ってほしいのだけど。
来週?の来日は(もう2月なのかー)、行ってそんはないとおもうよ。
写真の右は売ってたポスター($10)。デザインがよいでしょ。
映画3本を済ませて、雪の間をぬけて36th Aveの駅まで走ってNの地下鉄で14th迄。
Webster Hallに着いたのは9時半少し前。
Webster Hallの2 daysは、ずっとSold Out印がでてて、それが3日くらい前に外れていたので、買った。
なんとなく。 なにがなんでも、てかんじでもなく、ほんとになんとなく。
着いたときは、前座のJukebox the Ghostの最後の2曲くらい。 GとKeyとDrのトリオで、なんだかかわいいかんじ。 ラストがThe Cureの"Close to Me"をパワーポップ仕様にカバーしたやつで、いかった。
Dismemberment PlanとおなじDC出身だそうな。
フロアの奥に入っていく途中で、彼らの解散ライブのときはね... とかいう昔話ネタであきらかに女子をおとそうとしている中年が2組くらいいた。 よくないよね。
とか言いつつ、わたしが彼らを最後にみたのは、たしかDeath Cabとの対バン(2002年くらい?)
で、あのときははっきりと先攻のDeath Cabのほうの勢い勝ちだった。
彼らが今なんで復活したのか、どこかで語っているのかもしれないが、たぶん適当な理由なのではないか。
Nerdが逆襲できる時代になったから、とか、Vampire Weekendがあんなに売れるんだったら、おれらのほうが先なんだし、とか、あるいは、たんじゅんにお金、とか。
べつにいいのよ、理由なんかなんでも。 どうでも。 とおもった。
そして、そんなふうに、解散~復活というよか、ちょっと長い休暇だったのね、としか思えないくらいに、ぜんぜん変わっていないのだった。
GのJasonの声ががらがらで、Motorheadのひとがいます、て紹介されていたくらいか。
ぼこぼこべきべきぱしぱし、無機的な、でもパワフルなボトムにがしゃがしゃしゃりしゃりの、DCハードコア直系のギター、その上に親しみやすい鼻歌メロとびにょぼにょしたKeyがのっかると、なんだか気持よくぴょんぴょん歌って踊れるの。
2曲目に"A Life of Possibilities"。
久々に聴いた。この曲の後半から、やはりぐいぐいあがっていくのだった。
このツアーの基本トーンはやはり、ヴァイナルで再発されたばかりの"Emergency & I" (1999) で、みんな買ってね!もちろんいっぱいやるからさー と言って”The City”を -。
ものすごくバウンドするフロア、そしてみんな歌う歌う。
"What Do You Want Me to Say?" とかももちろん。
こんなにみんなで歌うバンドだったか? 歌いたいのはなんとなくわかるけどね。
歌の部分はふつうに楽しいのだが、このバンドはインストパートに入った瞬間に飛びちる火花がすごい、と改めて思った。 指を切りそうなくらいスリリングで気持ちよい。
より正確には普段のだらだらパートとのギャップがよいのかしら。
00年代初にこのバンドが残したものって決して小さくはなかったのかも、とおもった。
カッティング中心の軽くさくさく進むギター中心の音、決してシリアスにならず、どこまでもへらへらと明るくて、でも無反省な明るさではもちろんなくて。 -ものすごく誤解されやすい気はするし、既に誤解しているバカなバンドもいっぱいいるのだろうが。
本編ラストは、"Back and Forth"をがーっと。
アンコールは長めに5曲。
最初の"The Ice of Boston"は客をいっぱいステージにあげてわいわい。
その後はヴォキャブラリーの豊富さを見せつけるかのように余裕でいくつか。
こうして、ラストにやけくそのようにぶちかまされた"OK Jokes Over"は、最初の頃のハードコア仕様の強さとしなやかさが際立ってかっこよく響いたのだった。
これでずっと走ってほしいのだけど。
来週?の来日は(もう2月なのかー)、行ってそんはないとおもうよ。
写真の右は売ってたポスター($10)。デザインがよいでしょ。
2.01.2011
[film] The Mayor of Hell (1933)
長くなりそうなので、いったん切りました。
"Upstream"が終わって外にでたのが6時20分くらい。次の映画が7時からで、ライブは映画が終わってからダッシュしないとやばいかも、だったので晩ご飯を食べておくのだったらこのタイミングしかない。
なので、試しに5 Napkinに入ってみる。
ここはバーガースタンドではなくて、テーブルで食事するとこなのでひとりで入るのは気がひけたのだが、とりあえず入ってみる。 そしたら案内されたテーブルの両脇はどっちも同じ映画見てた人たちだった・・・
で、いつものこってりした5 Napkin BurgerではなくていちばんシンプルなChuck Steak Burgerにしてみて、これを20分でがぶついて、すぐに出る。 それでも、すんごくじゅうぶんおいしかった。 だから危険なんだってば。
7時からの映画は、"The Mayor of Hell" (1933)。 監督はArchie Mayo。
シアターの入口のおばさんがチケット切りながら「...The Mayor of Hell... 地獄の市長がなにしてくれるっていうのさぁ?」 とかぶつぶつひとりごと言ってておかしかった。
上映前に館員のひとから、この作品はpre-Code時代の傑作のひとつで云々、という説明があって、そのあとで客席から"pre-Code"ってなあに? という質問がとんだ。
とその瞬間、その館員のひとがものすごい早口で年代も含めてべらべらべらべら、で、「いじょう、一分間映画史講義でした」 と。 全員「おぉー」(拍手喝采)。 プロってすごいねえ。
リストアもプリントもLibrary of Congress - 国会図書館ね - によるもの。
あそこはすごいんだよー、って館員のひとも言っていたが、たしかに、おっそろしくきれいなプリントだった。
どっかの町の不良少年5人が悪事でとっつかまって裁判にかけられて州の矯正施設に送られるの。
そこでは意地悪な所長が看守たちと一緒になって子供たちをがじがじに支配してて、そこにどうみても元ギャング、のJames Cagneyが政治的はからい、かなんかで副長官として送りこまれてくるの。
施設内の異常な空気に気づいた彼は、そこの女医さんと一緒になって(一目惚れしてそのついでに)改革してみようと試みる。
所長に暇をだして館内の看守とか警備員をはずして、子供たちの自治に任せるように彼らのなかから市長とか警察署長とか財務長官とかを任命してやらせてみると、子供たちがはっきり変わって活き活きしてくる。
でもJames Cagneyも、彼は彼で昔のしがらみだのなんだのでトラブル起こして、姿を隠さなきゃならなくて、その隙に前の悪所長が戻って、前みたいな圧政をはじめるの。
とーにーかーく、おもしろいよう。
描写がやばい、とかえぐい、いうよりも話のなりゆきとして、これはなんかあってはいけないかも、というのがpre-Codeなのだとしたら、まさにそうとしか言いようがないのだが、話としてはスリリングで、目が離せない。
特に圧政にぶちきれて立ちあがった子供たちが暴動を起こして悪所長を追い詰めていくところの勢いとか、すごいったらない。
俳優さんもさあ、James Cagneyはいつものパワフルなとこは当然よくてすごくて、あとは不良少年のリーダーのFrankie Darroの面構えとか、判事役のArthur Byronとか。
今週金曜日の晩の"The Match King" (1932)も、pre-Code時代の必見の一本、だと言われた。
だからそんなような必見があとどれだけあるのよ?
"Upstream"が終わって外にでたのが6時20分くらい。次の映画が7時からで、ライブは映画が終わってからダッシュしないとやばいかも、だったので晩ご飯を食べておくのだったらこのタイミングしかない。
なので、試しに5 Napkinに入ってみる。
ここはバーガースタンドではなくて、テーブルで食事するとこなのでひとりで入るのは気がひけたのだが、とりあえず入ってみる。 そしたら案内されたテーブルの両脇はどっちも同じ映画見てた人たちだった・・・
で、いつものこってりした5 Napkin BurgerではなくていちばんシンプルなChuck Steak Burgerにしてみて、これを20分でがぶついて、すぐに出る。 それでも、すんごくじゅうぶんおいしかった。 だから危険なんだってば。
7時からの映画は、"The Mayor of Hell" (1933)。 監督はArchie Mayo。
シアターの入口のおばさんがチケット切りながら「...The Mayor of Hell... 地獄の市長がなにしてくれるっていうのさぁ?」 とかぶつぶつひとりごと言ってておかしかった。
上映前に館員のひとから、この作品はpre-Code時代の傑作のひとつで云々、という説明があって、そのあとで客席から"pre-Code"ってなあに? という質問がとんだ。
とその瞬間、その館員のひとがものすごい早口で年代も含めてべらべらべらべら、で、「いじょう、一分間映画史講義でした」 と。 全員「おぉー」(拍手喝采)。 プロってすごいねえ。
リストアもプリントもLibrary of Congress - 国会図書館ね - によるもの。
あそこはすごいんだよー、って館員のひとも言っていたが、たしかに、おっそろしくきれいなプリントだった。
どっかの町の不良少年5人が悪事でとっつかまって裁判にかけられて州の矯正施設に送られるの。
そこでは意地悪な所長が看守たちと一緒になって子供たちをがじがじに支配してて、そこにどうみても元ギャング、のJames Cagneyが政治的はからい、かなんかで副長官として送りこまれてくるの。
施設内の異常な空気に気づいた彼は、そこの女医さんと一緒になって(一目惚れしてそのついでに)改革してみようと試みる。
所長に暇をだして館内の看守とか警備員をはずして、子供たちの自治に任せるように彼らのなかから市長とか警察署長とか財務長官とかを任命してやらせてみると、子供たちがはっきり変わって活き活きしてくる。
でもJames Cagneyも、彼は彼で昔のしがらみだのなんだのでトラブル起こして、姿を隠さなきゃならなくて、その隙に前の悪所長が戻って、前みたいな圧政をはじめるの。
とーにーかーく、おもしろいよう。
描写がやばい、とかえぐい、いうよりも話のなりゆきとして、これはなんかあってはいけないかも、というのがpre-Codeなのだとしたら、まさにそうとしか言いようがないのだが、話としてはスリリングで、目が離せない。
特に圧政にぶちきれて立ちあがった子供たちが暴動を起こして悪所長を追い詰めていくところの勢いとか、すごいったらない。
俳優さんもさあ、James Cagneyはいつものパワフルなとこは当然よくてすごくて、あとは不良少年のリーダーのFrankie Darroの面構えとか、判事役のArthur Byronとか。
今週金曜日の晩の"The Match King" (1932)も、pre-Code時代の必見の一本、だと言われた。
だからそんなような必見があとどれだけあるのよ?
[film] Upstream (1927)
日曜日、天気はとってもよかった。でもお天気とは関係なく、映画3本みて、ライブ1本いった。
この日はアストリアのMuseum of the Moving Imageで、昨年ニュージーランドのアーカイブで突然発見された75本のフィルムのうち、John Fordの"Upstream" (1927)のリストアされたやつがNew Yorkプレミア上映されるということなので、これは行かないわけにはいかないの。
そうすると、その前後もついでだし、ということになって3本。
そのあとのライブは、これはこれでしょうがないのね。(人生て、しょうがないことまみれなのよね)
昼間の明るい時間帯に久々にアストリアのあの辺を歩いてみる。
周囲はいろいろ変わっていておもしろかった。
通りの反対側にFrank Sinatra School of the Arts ていうでっかい建物ができていた。
でかでかと、"Founded by Tony Bennett" て書いてある。
ここに入学したらみんなSinatraとかTony Bennettみたいなぎんぎんのエンタテイナーになって出てくるのかしらん、とか。 校歌はやっぱし"My Way"なのか、とか。
おなじく通りの反対側に5 Napkin Burgerができていた。
これは、はっきりと危険だ。
Moving Imageに1時半くらいに入って、カフェでりんごのデニッシュとコーヒーを頂いて、やっぱしなんか洗練されちゃったねえ、と思ってシアターに入ってみたら、いた。
金曜の晩の映画は若者向けだったからか、かつて常連だったじいさんばあさんがぜんぜんいなかったの。
けど、この日は演目のせいもあるのか、うようよいて、例によってどうでもいいような映画のことばっかりべらべら喋ってる。
なんか、放流していた鮭が戻ってきたのをみたような、いや、戻ってきたのは自分のほうなのだが、なんとも言えないかんじになった。 この、映画を取ったらあとになにも残んなさそうな老人たちの居場所を奪ってはいかんよね、て。
で、2時から上映されたのが、メキシコ産のサイレント映画で"The Ghost Train (El tren fantasma)" (1927)ていうの。 電車もの、タイトルからするとオカルトホラーみたいなのか、ひょっとしたらブニュエルのメキシコものみたいにシュールなやつかと思っていたら、結構ちがった。
ある駅に赴任してきた電車技師が、駅員の娘にひとめぼれするのだが、彼女にはアプローチかけてきている別の男がいて、そいつが実は闇の電車窃盗団のリーダーで、女もふたまたかけてて、結構悪いやつなの。
で、窃盗団をなんとかやっつけるのと、彼女をこっちに寄せるのと、ふたつの話のあいまに電車(蒸気機関車ではなくて、当時最先端の「電車」)がびゅーん、て走っていくかんじ。
殴り合いとかどんぱちとか、馬から電車に飛び乗るとことか、スタントなしでがんばっているのでそれなりに迫力あっておもしろいのだが、どちらかというと窃盗団のなかのいろんな顔キャラ、特にいつも煙草ぷかぷかふかしているガキ"Chango"とか、そっちのほうがよりおもしろかったりする。
この作品、当時世界を侵食しつつあったハリウッド映画に対抗すべくメキシコが国の威信をかけて作ったやつで、国内では大ヒットして、そいで世界のマーケットにうってでようとしたら世界大恐慌でおじゃんになった。
と解説には書いてあった。 でもメヒコ! てかんじでおもしろいよー。
尚、作品のピアノ伴奏は、ここでのサイレント上映には欠かせないDonald Sosinさん。
ひさしぶりでしたね。
5:00からはJohn Fordの”Upstream” (1927)
今年の元旦、一番はじめにみたのがJohn Fordだった。 だから今年はJohn Fordの年なの。
この作品は長らく、John Fordの失われたサイレントの1本(Fordのサイレントは全部で60本以上はあって、残っているのは1ダースくらいだって)、とされてきたやつで、こいつが昨年NZで見つかった。 発見されるやいなや20世紀FOXが即座にこいつをひっつかんで西海岸に運び、強制入院、袋叩きするかのようにリストアしたのがこれ。 早かったねえ。
今回の特別上映では、伴奏がDonald Sosinさんだけでなく、バイオリン、クラリネット、ドラム、ヴォーカルのバンドが入る。 当初は有料、て書いてあったが、結局Museumの入場料だけで、メンバーは勿論タダ。
本編の前に、同じく今回の発見のなかに含まれていたFordの"Strong Boy" (1929) - これも失われた1本とされている - の修復された予告がかかる。 ううう、これもめちゃくちゃおもしろそうなのに(涎)。
”Upstream”はバックステージもので、NYのどこかの貧乏下宿屋に間借りしている劇団・芸人一座の変なひとたちをざーっと描いて、そこからひとり、演技はさえないけど、苗字(家系)だけはちょっと有名なやつがロンドンのハムレットの上演に呼ばれるの。 下宿のみんなは喜んで、そのなかにはそいつの彼女もいたのだが、とりあえず送別会して、送りだしてあげる。
そういうみんなの支援とか祈りもあって、彼の演技は異国で認められるのだが、そのけっか、もともと嫌なやつだったのがすんげえ鼻もちならないやろうになっていくの。
他方、彼女は彼女のことを好きだったナイフ投げの若者と一緒になることにして、よりによってその結婚式の日にそいつが帰ってきて-。
とにかく、ぜったいおもしろいんだよう。
下宿の変な住人ひとりひとりを紹介するかたちでディナーのテーブルがはじまって、そこで一気にいろんなことを説明してしまうとことか、演技にまったく自信のないやつがハムレット俳優として目覚める(勝手に思いこむ)瞬間の描写とか、ナイフ投げが彼女にプロポーズする(ぼくはナイフを投げるけど、きみはぼくにお皿を投げるんだよね)とことか、最後、かつての恩を忘れたやろうにみんなして仕返しするとことか。
作品解説の紙には、当時FOXに招かれて"Sunrise"を撮り始めたムルナウからの影響について、或いはこの作品の前後にベルリンに渡ってムルナウのとこで映画製作のノウハウを学んできたFordに、当時のドイツ映画からの影響はあったのかなかったのか、ようなことが書いてあったが(わたしはムルナウをそんなに見ていないので判断しようがない)、例えば、いまMOMAでやっているワイマール映画特集のあいだに挟んでも、そんな違和感ないかんじはした。
表情やひとの動き、部屋や建物の組みかた、とかすべてがすごくきちんと組みたてられた枠のなかにあって、でもどこを切っても不思議とチャーミングでおもしろい。 このおもしろさは、けっこう謎の秘薬なのかも。
この日はアストリアのMuseum of the Moving Imageで、昨年ニュージーランドのアーカイブで突然発見された75本のフィルムのうち、John Fordの"Upstream" (1927)のリストアされたやつがNew Yorkプレミア上映されるということなので、これは行かないわけにはいかないの。
そうすると、その前後もついでだし、ということになって3本。
そのあとのライブは、これはこれでしょうがないのね。(人生て、しょうがないことまみれなのよね)
昼間の明るい時間帯に久々にアストリアのあの辺を歩いてみる。
周囲はいろいろ変わっていておもしろかった。
通りの反対側にFrank Sinatra School of the Arts ていうでっかい建物ができていた。
でかでかと、"Founded by Tony Bennett" て書いてある。
ここに入学したらみんなSinatraとかTony Bennettみたいなぎんぎんのエンタテイナーになって出てくるのかしらん、とか。 校歌はやっぱし"My Way"なのか、とか。
おなじく通りの反対側に5 Napkin Burgerができていた。
これは、はっきりと危険だ。
Moving Imageに1時半くらいに入って、カフェでりんごのデニッシュとコーヒーを頂いて、やっぱしなんか洗練されちゃったねえ、と思ってシアターに入ってみたら、いた。
金曜の晩の映画は若者向けだったからか、かつて常連だったじいさんばあさんがぜんぜんいなかったの。
けど、この日は演目のせいもあるのか、うようよいて、例によってどうでもいいような映画のことばっかりべらべら喋ってる。
なんか、放流していた鮭が戻ってきたのをみたような、いや、戻ってきたのは自分のほうなのだが、なんとも言えないかんじになった。 この、映画を取ったらあとになにも残んなさそうな老人たちの居場所を奪ってはいかんよね、て。
で、2時から上映されたのが、メキシコ産のサイレント映画で"The Ghost Train (El tren fantasma)" (1927)ていうの。 電車もの、タイトルからするとオカルトホラーみたいなのか、ひょっとしたらブニュエルのメキシコものみたいにシュールなやつかと思っていたら、結構ちがった。
ある駅に赴任してきた電車技師が、駅員の娘にひとめぼれするのだが、彼女にはアプローチかけてきている別の男がいて、そいつが実は闇の電車窃盗団のリーダーで、女もふたまたかけてて、結構悪いやつなの。
で、窃盗団をなんとかやっつけるのと、彼女をこっちに寄せるのと、ふたつの話のあいまに電車(蒸気機関車ではなくて、当時最先端の「電車」)がびゅーん、て走っていくかんじ。
殴り合いとかどんぱちとか、馬から電車に飛び乗るとことか、スタントなしでがんばっているのでそれなりに迫力あっておもしろいのだが、どちらかというと窃盗団のなかのいろんな顔キャラ、特にいつも煙草ぷかぷかふかしているガキ"Chango"とか、そっちのほうがよりおもしろかったりする。
この作品、当時世界を侵食しつつあったハリウッド映画に対抗すべくメキシコが国の威信をかけて作ったやつで、国内では大ヒットして、そいで世界のマーケットにうってでようとしたら世界大恐慌でおじゃんになった。
と解説には書いてあった。 でもメヒコ! てかんじでおもしろいよー。
尚、作品のピアノ伴奏は、ここでのサイレント上映には欠かせないDonald Sosinさん。
ひさしぶりでしたね。
5:00からはJohn Fordの”Upstream” (1927)
今年の元旦、一番はじめにみたのがJohn Fordだった。 だから今年はJohn Fordの年なの。
この作品は長らく、John Fordの失われたサイレントの1本(Fordのサイレントは全部で60本以上はあって、残っているのは1ダースくらいだって)、とされてきたやつで、こいつが昨年NZで見つかった。 発見されるやいなや20世紀FOXが即座にこいつをひっつかんで西海岸に運び、強制入院、袋叩きするかのようにリストアしたのがこれ。 早かったねえ。
今回の特別上映では、伴奏がDonald Sosinさんだけでなく、バイオリン、クラリネット、ドラム、ヴォーカルのバンドが入る。 当初は有料、て書いてあったが、結局Museumの入場料だけで、メンバーは勿論タダ。
本編の前に、同じく今回の発見のなかに含まれていたFordの"Strong Boy" (1929) - これも失われた1本とされている - の修復された予告がかかる。 ううう、これもめちゃくちゃおもしろそうなのに(涎)。
”Upstream”はバックステージもので、NYのどこかの貧乏下宿屋に間借りしている劇団・芸人一座の変なひとたちをざーっと描いて、そこからひとり、演技はさえないけど、苗字(家系)だけはちょっと有名なやつがロンドンのハムレットの上演に呼ばれるの。 下宿のみんなは喜んで、そのなかにはそいつの彼女もいたのだが、とりあえず送別会して、送りだしてあげる。
そういうみんなの支援とか祈りもあって、彼の演技は異国で認められるのだが、そのけっか、もともと嫌なやつだったのがすんげえ鼻もちならないやろうになっていくの。
他方、彼女は彼女のことを好きだったナイフ投げの若者と一緒になることにして、よりによってその結婚式の日にそいつが帰ってきて-。
とにかく、ぜったいおもしろいんだよう。
下宿の変な住人ひとりひとりを紹介するかたちでディナーのテーブルがはじまって、そこで一気にいろんなことを説明してしまうとことか、演技にまったく自信のないやつがハムレット俳優として目覚める(勝手に思いこむ)瞬間の描写とか、ナイフ投げが彼女にプロポーズする(ぼくはナイフを投げるけど、きみはぼくにお皿を投げるんだよね)とことか、最後、かつての恩を忘れたやろうにみんなして仕返しするとことか。
作品解説の紙には、当時FOXに招かれて"Sunrise"を撮り始めたムルナウからの影響について、或いはこの作品の前後にベルリンに渡ってムルナウのとこで映画製作のノウハウを学んできたFordに、当時のドイツ映画からの影響はあったのかなかったのか、ようなことが書いてあったが(わたしはムルナウをそんなに見ていないので判断しようがない)、例えば、いまMOMAでやっているワイマール映画特集のあいだに挟んでも、そんな違和感ないかんじはした。
表情やひとの動き、部屋や建物の組みかた、とかすべてがすごくきちんと組みたてられた枠のなかにあって、でもどこを切っても不思議とチャーミングでおもしろい。 このおもしろさは、けっこう謎の秘薬なのかも。
[music] Iron & Wine - Jan.29
前にも書いたがこの週末はいろいろあって悩んだの。
The Muffsが復活してBrooklynとHobokenでライブをした。土曜日にはBrooklynでMission of Burmaもあった。微妙なところではTodd RundgrenのUTOPIAの復活ライブ、というのもあった。
この日のIron & Wineは、会場がでっかいRadio Cityだし、売り切れることもないだろうから直前でいいや、と思っていた。 新譜のプロモーションでConanとかFallonとかTVにも露出していたので、それらを見た上で、でもこのバンドにとって大きな、記念碑的な一歩となるライブには違いないのでやはり見ておくべきよね、程度には。
そしたら2日前にSold Outの貼り紙が出てしまってびっくらよ。 その直後にTicketmaster行ったら、まだ上の上のほうの席はあって、でもあそこの上のほうの席ったらほんとに上で遠くて、これに$50かあ、ということで一旦保留にした。
そしたらやっぱりシリアスに売り切れてしまったようで、前日の金曜日はいくらアクセスしてもぜんぜんだめで、でもいちおう未練たらたら30分おきくらいに繋ぎに行ってたら(仕事しろよ)、2:30くらいにようやくひっかかった。
ここまでくるとひっかかってくれただけで感謝、ということであんま確認もせずにとりあえず買って、当日中に入ってみたら1階の前から6列目くらいのどまんなかだった。
ありえない。 あの仕組みはなんかおかしい。
というわけで久々のRadio CIty Music Hall。 最後にここに来たのは2004年のModest Mouseだったかしらん。
前座はEddie Brickellさん。 バックに4人編成のバンドがついて、ギターと柔らかいキーボードの音が心地よく、ボトムはタイトでシャープな都会の音。 一曲一曲がほんとに素敵で、その流れのなかで"What I Am."みたいなヒット曲(なつかしー)もさらさらと流してしまう。
ちなみに、バンドのギターはCharlie Sextonさんでした。 なかなかよいかんじの中年男になっていた。
さて、Iron & Wine。
最初にSam以外の男2(弦とKey)、女子コーラス2が出てきて"He Lays in the Reins"から。
静かに澄んだ上澄みのおいしいところ、しかしはっきりとなにかが漲ったこの状態が30分くらい。
この編成でずっと、でもぜんぜんよかった。
そのあとでぞろぞろ、パーカッション2、管3、B1が加わり、総勢11名の大所帯になる。
バンドの頭数でいうと、こないだのSufjanとおなじだ。
しかし、やはり、どんなに音数が増えてもSamの歌のまわりに透明な膜が被さっていくだけのようで、決してHotにもBoldにもならない。 どこかさめざめとしていて、そんななか歌だけがまっすぐに突きぬけてくるような。
例えば、Todd RundgrenのSomething/AnythingのD面のセッションみたいな、あんなかんじよ。
新譜はまだ聴けていないが、Calexicoとの競演以降、歌のコアは変えずに、しかしスタイルを変え編成を変え、ひそやかに実験を繰りかえしてきたこのバンドの、とりあえずの成果報告がこのライブなのだろう。
そしてそれはこれからもバンドが変化していくことをまったく恐れない、恐れる必要がどこにあろうか、ということをにこにこと揺るぎなく語っているのだった。
よい意味で落ち着いた、雪の晩にはとってもよくしみるライブでした。
アンコールはSamひとり、ギターで1曲だけ。 "Trapeze Swinger"
ここまで来ても、これだけの拍手と喝采で迎えられても、おびえる空中ブランコ乗りは"Remember me"と、それだけを切々と訴え続けていて、それは確かにそういう歌として静かに、しかししっかりと届いたの。
The Muffsが復活してBrooklynとHobokenでライブをした。土曜日にはBrooklynでMission of Burmaもあった。微妙なところではTodd RundgrenのUTOPIAの復活ライブ、というのもあった。
この日のIron & Wineは、会場がでっかいRadio Cityだし、売り切れることもないだろうから直前でいいや、と思っていた。 新譜のプロモーションでConanとかFallonとかTVにも露出していたので、それらを見た上で、でもこのバンドにとって大きな、記念碑的な一歩となるライブには違いないのでやはり見ておくべきよね、程度には。
そしたら2日前にSold Outの貼り紙が出てしまってびっくらよ。 その直後にTicketmaster行ったら、まだ上の上のほうの席はあって、でもあそこの上のほうの席ったらほんとに上で遠くて、これに$50かあ、ということで一旦保留にした。
そしたらやっぱりシリアスに売り切れてしまったようで、前日の金曜日はいくらアクセスしてもぜんぜんだめで、でもいちおう未練たらたら30分おきくらいに繋ぎに行ってたら(仕事しろよ)、2:30くらいにようやくひっかかった。
ここまでくるとひっかかってくれただけで感謝、ということであんま確認もせずにとりあえず買って、当日中に入ってみたら1階の前から6列目くらいのどまんなかだった。
ありえない。 あの仕組みはなんかおかしい。
というわけで久々のRadio CIty Music Hall。 最後にここに来たのは2004年のModest Mouseだったかしらん。
前座はEddie Brickellさん。 バックに4人編成のバンドがついて、ギターと柔らかいキーボードの音が心地よく、ボトムはタイトでシャープな都会の音。 一曲一曲がほんとに素敵で、その流れのなかで"What I Am."みたいなヒット曲(なつかしー)もさらさらと流してしまう。
ちなみに、バンドのギターはCharlie Sextonさんでした。 なかなかよいかんじの中年男になっていた。
さて、Iron & Wine。
最初にSam以外の男2(弦とKey)、女子コーラス2が出てきて"He Lays in the Reins"から。
静かに澄んだ上澄みのおいしいところ、しかしはっきりとなにかが漲ったこの状態が30分くらい。
この編成でずっと、でもぜんぜんよかった。
そのあとでぞろぞろ、パーカッション2、管3、B1が加わり、総勢11名の大所帯になる。
バンドの頭数でいうと、こないだのSufjanとおなじだ。
しかし、やはり、どんなに音数が増えてもSamの歌のまわりに透明な膜が被さっていくだけのようで、決してHotにもBoldにもならない。 どこかさめざめとしていて、そんななか歌だけがまっすぐに突きぬけてくるような。
例えば、Todd RundgrenのSomething/AnythingのD面のセッションみたいな、あんなかんじよ。
新譜はまだ聴けていないが、Calexicoとの競演以降、歌のコアは変えずに、しかしスタイルを変え編成を変え、ひそやかに実験を繰りかえしてきたこのバンドの、とりあえずの成果報告がこのライブなのだろう。
そしてそれはこれからもバンドが変化していくことをまったく恐れない、恐れる必要がどこにあろうか、ということをにこにこと揺るぎなく語っているのだった。
よい意味で落ち着いた、雪の晩にはとってもよくしみるライブでした。
アンコールはSamひとり、ギターで1曲だけ。 "Trapeze Swinger"
ここまで来ても、これだけの拍手と喝采で迎えられても、おびえる空中ブランコ乗りは"Remember me"と、それだけを切々と訴え続けていて、それは確かにそういう歌として静かに、しかししっかりと届いたの。
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