5月6日、連休の終わりが見えてどこかに旅立ちたくなった昼間に見ました。 『アダマン号に乗って』。英語題は”On the Adamant”。
Kristen Stewartさまが審査委員長のベルリンで金熊を獲ったのでややびっくりして、でも彼女が決めたのだから、って。でも、だいすきだけど、Nicolas Philibertのドキュメンタリー映画が金熊とはなー。
アダマン号はシャルル・ド・ゴール橋のすぐそばのセーヌ川に永久に係留されている船で、ここで10年以上地元の精神障害者のための浮遊式デイケアセンターとして使われている。ここのスタッフは(個々にきちんと紹介されるわけではないが)精神科医や心理学者をはじめとして看護師、病院スタッフ、作業療法士、ケアコーディネーターなどの治療の専門家の他に外部から招いたアーティストやアートセラピストで構成され、船内(院内?)のバーや映画上映会などの運営には患者自身も関われる範囲で自発的に関わっている(様子がわかる)。朝になると陽光に照らされて船のブラインドが一斉に開いていくさまがよいの。
冒頭、(患者の?)Françoisが、Téléphoneの『人間爆弾』- “La Bombe Humaine” (1979) をアコギをバックにフルで歌いきるのでびっくり。それが見事にパンクだったりするので、それだけでおーう、ってなって和らぐ(同世代か)。
そこから患者のひとりひとりの活動や彼らとのインタビュー(聞き手や聞く内容は画面からほぼ隠されている)が流れていって、どうしてここに来ているのか、もあるし、ここに来ると何をするのか、とか、それをするとどんなかんじになるか、もあるし、今後はこんなことをしたいあんなこともしたい、の話もある。誰もが自分が病気(重いの軽いの)を患っていること、いまの自分のふるまいのままでは社会に馴染めず(or 馴染めないと言われて)ここに来ていることは自覚している。
そういう彼らの(「正常」な我々からすれば時として危なっかしく見えてしまう)ふらふらした動きが、彼らのこんな事情や病状によるものなのだ、ということを示す – 一般市民とはやや異なる - というよりは、朝起きて何をやろうか? から始まる我々の日々の惑いや気怠さとそんなに変わらないんじゃないか、という方向感覚と共に描いていくので、見ていてなんだかすんなり気持ちよく入ってくる。我々も別の船や地下鉄などに乗っていて、その向かう先が少し違うだけなのだな、とか。
繰り返し映しだされる船からの眺めがよくて、それは陸から緩く切り離されて浮いているし、でも海の上のように茫洋としてもいない。川を進んでいけば(この船は動かないけど)眺めも人も変わっていくし、草木も季節も動いていくし。そういうところに乗ってあるState of Mindってわるくない気がする。海だと見ててたまに入っていって死にたくなることあるけど、川だとそれはないような。
あとは、ここで提供されるデイケアが隔離された監獄島で施されるようなものではない、患者の自発性に委ねられている限定的なものだ、っていうあたり。患者のひとりが自分がここに来れているのは投薬しているから、とあっさり語るように薬なども併用しながらここまでやってきて活動できる。治療の観点からの是非はあるのかも知れないけど、映画を見る限りではきちんとWorkしているように思えた(もちろん、撮られなかったあれこれはあるのだろうが)。いろんな人々と関わること、関われる状況を作って出帆することがいかに大切か – それはこのドキュメンタリーの根幹でもあるような – その揺るがなさが気持ちよい河上の風を運んできてくれる。
こういうのさー、日本/東京だって日本橋とか神田川とかに作って浮かべてみればいいのになー。絶対そういう方向には向かわないよね。ホームレスは断固排除だし共用トイレひとつで大騒ぎだし、どこまでクリーンな均質化と同調すべし! を意識/無意識込みで揃えて求めたがって、しみじみ気持ち悪くて居心地悪くて、そういうのでさらにおかしくなっていくんだわ、と – 後半はそんなことばかり考えてしまった。
あと、ここに来る患者さんたちは自分の親とか家族のことを語ったりするけど、船の上で決して(擬似)ファミリーを作ったりそうであろうとはしない、ひとりひとりなのもよかった。ここに来たら皆ファミリーだから、の押し付けがない心地よさもあるかもー。
5.16.2023
[film] Sur l'Adamant (2023)
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