11.02.2021

[film] わかれ雲 (1951)

10月27日、水曜日の晩、国立映画アーカイブの特集 - 『没後40年 映画監督 五所平之助』で見ました。

「国立映画アーカイブ」になってからは初めて行ったかも。チケットとか面倒そうなので敬遠していた(実際面倒だった。コロナ禍の暫定対応かもだけど国の機関のシステムとは思えない)。五所平之助って見たことなかったのでお勉強で。(どうも衣笠貞之助と混同していた気がする..)

五所が東宝争議後に、自身でスタヂオ・エイト・プロを立ち上げて制作した第一作だそう。脚本には田中澄江の名前がある。お金があまりなかったらしくオールロケで、メジャーな俳優さんも出ていないし、派手なアクションや見せ場もないのだが、なんかよかった。

信州の小淵沢の列車の駅に女子大生5人が乗り換えのため降り立って、みんな楽しそうなのだが、そのなかのひとり眞砂子(沢村契惠子)だけ具合が悪そうで、あたしを置いてみんな先に行って、というのだがそうもいかず、駅の近くの旅館 – 山田屋に寝かせて医者を呼んでもらう。

やってきた若い医師の南(沼田曜一)の診断によると軽い肺炎に罹っているので数日間は動かずに療養しなさい、ということで、この旅行に明確なミッションがあるらしい他の4人に向かって、とにかくみんな行って、と眞砂子は追いはらうように告げて、ひとり旅館で寝込む。

旅館には「いるだけ」の存在感が絶妙な主人の中村是好と、その逆にずっとべらべら喋っているおかみ(岡村文子)と、都会のバレエ教師に入れ込んでネジがとんでしまった娘(倉田マユミ)の変なトリオが階下にいて、眞砂子の世話と看病をしてくれる見るからによい人の女中 おせん(川崎弘子)がいるのだが、眞砂子はずっと不機嫌にふくれて背を向けていたり寝床でがさごそ泣いていたり、なにかを抱えこんでいるらしい。

映画は医師の治療とかおせんとの柔らかなやりとりを通して体も心も少しずつよい方に向かっていく眞砂子の姿を、宿を訪れた眞砂子の若い継母(福田妙子)との危なっかしい会話(母があなたの好きな本、ってロマン・ロランの『魅せられたる魂』を持ってくるとにっこりする)や、終わりの方で現れる眞砂子の父(三津田健)と散策したり対話したりを通して描いていく。

よいのは眞砂子が結核とか診断されてもうちは旅館だから出てってくれ、とか、滞在費を、治療費を、とか、誰ひとり言わずに求めずに、しょうがねえやな、って階下に暮らす旅館屋の家族の普段の生活のグチとかレレレのおじさんみたいな日々の横に置いておくことなの。

そういう下地があるところに、眞砂子と継母の過去のこと、眞砂子と忙しくてずっと家にいなかった父とのこと、おせんの悲しい過去や南が医師を志した過去のことなどが何かが剥がれ落ちるように眞砂子の前に現れて、そこで自分の置かれている姿を改めて見つめることができて、こういうことだったのかも、って。その状態は誰のどういう態度によってもたらされたものなのか、あるいはその土地の自然とかの作用なのか、時間なのか、明確にしない。南に会いたくなった眞砂子が山道をずっと歩いていくあたりかしら。

タイトルの『わかれ雲』はやがて不吉に現れたこいつが… ではなくて、ラストの穏やかな別れと来るべき再会の約束に向けたシーンでも浮かんでいたよね、って後で思い出すようなやつ。ここだけじゃなくてロケで映し出される山村の家屋や風景、昔の旅館の部屋の暗がりなんかもすばらしくよいの (スチール写真は秋山庄太郎だそう)。ここでこんなふうに描かれた情景が培ったりケアしたりしてきた日本的ななにか、ってあるんだろうなー、と、これはポジティブな意味で思ったりした。

五所平之助、なんかよかったのでこの特集でしばらく追いかけてみることにする。ヴェンダースも始まってしまうというのにー。

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