11月6日、土曜日の昼、国立映画アーカイブの五所平之助特集で見ました。
この日はここで五所を三本、ここからしばらく五所通いが続くことになるのだが、どれを見ても良すぎてたまんない。個人的には渋谷実とか清水宏をはじめて見たときの驚きに近くて、そしたら渋谷実は五所作品の編集や助監督をやっていたのだった。
遊び人ふうの旦那の文吉(坂本武)がいて、その妻で張物屋をやっているおきよ(吉川満子)がいる。文吉の妹で牛鍋屋でパワフルに女給をしているお徳(飯田蝶子)は早くに夫を亡くして、一人息子の誠一(徳大寺伸)を苦労して大学までやって、お徳にとっては自慢の子で、子供がいない文吉も誠一を自分の息子のように可愛がってきた。 この家族じゃないけど頻繁に行き来して家族のような4人が紹介されて、文吉はある日、まだうぶでもじもじの誠一をバーに連れて行って大人の世界を見せてあげたりする。
そしたらそこで女給をしていた芸者あがりの照子(飯塚敏子)が誠一に少し絡まって、もう一回ふたりだけでデートして、別れ際に彼女のアパートまで行ってちょっとあがっていかない? って言われたりして、そうやっているうちに照子は妊娠してしまう。母親にそれを告げたら大惨事になることを懸念した誠一はまず文吉に相談して、文吉はううーむ、確かにこれはお徳に言ったらいかんやつかも、って考えた末にこれは自分が照子との間に作ってしまった子、ということにしておきよにそれを伝えるの。
この文吉のおきよへの告白から始まる5人のドラマがすばらしく素敵で、ものすごい惨事惨劇に発展するわけではないのだが、目が離せなくて、これはなに? なんで? って泣きそうになりながらくぎ付けになっていた。 文吉に言われたおきよは当然動揺して、でも元々夫はそういう人なのだしそういう人をほぼ野放しにしていたわけだし無情に放ってしまうわけにもいかないし、と事情を受け入れて、文吉は自分の妾となる照子の家を(ややほっとした面持ちで)セットアップしにいって、照子も誠一のつらい事情は理解できるので文句も言わずにそこに収まって、それを横で見ているお徳はお兄さんたらまったく.. とか言いながらおきよと困ったもんだねえ、なんて話している。
表面張力とか重力に曝されている部屋の奥と手前、暗がりとか土間とか坂を少しのぼったところとか、そこに現れたり並んだりする人々のいろんな顔の晴れたり曇ったり澱んだり。 誰ひとり悪い人はいない。みんな朗らかにことを見つめようとして、ひとり誠一だけ暗く沈んで何かを訴えたがっているよう。
やがて照子の具合が悪くなり、あれあれと入院したらそのまま消えるように亡くなってしまう。みんなしょんぼりするのだが、誠一だけはもう我慢できないのでお徳に告げようと思う、って文吉に相談してきて...
ロメールの格言シリーズにでてきそうな話のようで、そっちの方には行かない。最初から置かれている規範やルールの上で揺れたり移ろったりする話ではなく、日々見えたり現れたり思い浮かんだりする顔と顔が、室内の距離や陽や影の長さに応じて伸び縮みしたり巻いたり巻かれたりする極めて微妙かつ不思議な世界を描いていて、その行く末を決めるのは笑顔とか気性とか情とか、測りようのない微妙な – でも絶対そこにもごもごしている - 生きもののような生温かいかんじ。 そのありようを「朧夜」と呼んだのではないか、とか。
みんなとてもよい顔 - 飯田蝶子も坂本武も – で、彼らが数年後にはどんな顔をしているのかなあ - ほぼ変わらないんだろうな、とか。 こういう顔ってルネ・クレールの巴里のにも出ていた気がする。 巴里と朧夜。よい人たち。
広いお座敷で元気に給仕しているお徳の姿を思い浮かべるだけでなんだか泣きたくなってねえ。
11.12.2021
[film] 朧夜の女 (1936)
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