12.05.2020

[film] Raising Victor Vargas (2002)

11月27日、金曜日の晩、MetrographのVirtualで見ました。

邦題は『ヴィクター・ヴァルガス』で、日本ではTV放映されただけ? すごくおもしろかった。

NYのローワーイーストに暮らす16歳のVictor (Victor Rasuk)は いっつも上半身裸でふらふらしてて女の子とつきあうことしか頭にない年頃で、冒頭でも上の階の娘を引っかけようとして、ほぼずっとソファでTVを見ている妹(ころころ)のVicki (Krystal Rodriguez)にからかわれたりしている。もうひとり弟のNino (Silvestre Rasuk)もいて、彼らを束ねて面倒を見ているのがドミニカからの移民のおばあちゃん - Grandma (Altagracia Guzman)で、敬虔なクリスチャンでがみがみやかましくて、Victorが家に持ち込んでくる不道徳な匂いには敏感になって弟妹への悪い影響を懸念している。

ある日Victorはプールで運命の女性としか思えないJudy (Judy Marte)を見かけて、彼女の横にいたメガネ女子のMelonie (Melonie Diaz)も含めて友達のHarold (Kevin Rivera)と一緒にアプローチをかけてみるが、あっという間に犬みたいに追い払われて、でも負けずに妹のVickiとつき合いたいと寄ってきたJudyの弟を操って彼女に呆れられながらも犬みたいに付きまとうようになる。

どこにでもありそうなティーンのラブコメなのだが、Victorって、ほんとにいつでもどこでも女の子といちゃつくことしか頭にないっていうのと、どれだけ怒られても引っ掻かれても嫌われても懲りずに何度でも明るく立ち向かうラテン系 – ていうと偏見入っちゃうかな – の胆力というか腰の強さにはしみじみ感心する。生まれ変わったらああなりたい。まじで。

そしてそんな彼の眼前に立ちはだかる小さなGrandmaの激渋のおっかなさ(イメージは”The Blues Brothers” (1980)に出てきた教会のおばあちゃんね)。彼女のでっかい愛と辛抱強さを以てしても盛った犬になっているVictorは止められないのかー、という日々の攻防がおもしろくておかしくていくらでも見ていられる。

VictorとJudyの関係はめげないVictorの攻めとにじり寄りがじわじわと効いてきたのか、いがみ合いつつもしぶしぶ近寄っていくJudy – そのふたりの並ぶ絵がよくて、その裏でMelonieとHaroldの方は割とうまくいってて、MelonieはHaroldに言われてメガネを外して髪をおろしらた素敵によいかんじになって、でもMelonieはJudyにそのことを言わない。季節は夏で、みんな近所をふらふらして出会ったりぶつかったりのやりとりが眩しい。海がなくてプールだけど夏ってあんなふうだったはず。

そんな眩しさも玄関のドア(開閉する時の冴えない音とかもよい)の向こう側にいるGrandmaや弟妹のいるアパートに入ると少し空気がどんよりに変わり、特にVictorが入っていくとGrandmaのテンションも途端にあがって(Victorのは下がって)、そのうちGrandmaがNinoのことで激昂してVictorを児童相談所みたいなところに連れていく騒ぎが起こったり、VictorがJudyを家に連れてきて一緒にGrandmaのバーガーを食べることになったり、いろんなことが起こる。

この世界にロメールの喜劇と格言をはめようとしたら100個くらい出てきそうなのだが、ロメールやホン・サンス映画のような突っこみどころは余りない(のはなんでだろ? みんなあまり恋に一途で迷ったり悩だりしないから?)。そこはほんとに瑞々しい夏の若者たちの、あるいはおばあちゃんを中心とした家族のドラマになっていて、いいなーがんばれー、って見てしまうの。

とにかく真ん中のVictor RasukとJudy Marteのふたりがたまんなくよいの。


BBC Fourで”Kate Bush at the BBC 1979”ていうのをやっていたのでぼーっと見ていたら、Peter Gabrielが出てきてピアノに向かって”Here Comes the Flood”を歌い出したのでびっくりした金曜の晩。
 

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