25日の昼間、Criterion Channelで見ました。クリスマスだから、久々に - 10年ぶりくらい? - 再見。英語題は“A Christmas Tale”、邦題は『クリスマス・ストーリー』。「ストーリー」と「テール」は違うものだし、Arnaud Desplechinはこれは明確に「テール」だって言ってるのにな。Desplechin作品(とかこの辺のフランス映画)の邦題を付けている会社だか人だかには嫌悪と失望しかない。ずーっと。
Criterion Channelのこの作品の隣には“Arnaud’s Tale”っていう30分強のドキュメンタリーが置いてあって、Arnaud DesplechinとCatherine DeneuveとMathieu Amalricがそれぞれこの作品についていろいろ語っている。この作品だけでなく、Desplechin作品の特徴や俳優のありようについて、監督と俳優の双方が語る、とてもよいガイドになっている。 見終わってこれも見て、これは最強のクリスマス映画かも、って改めておもった。
タイトルが出るところにこのドラマの舞台となる”Roubaix!”がサブタイトルのように書かれていて、これはDesplechinの生まれた街で、古のSacha Guitryのドラマでもバカにされていたくらい、しょうもない街、フランス人なら絶対住みたくないようなところで、そこに暮らすVuillard家の物語。
Junon (Catherine Deneuve)とAbel (Jean-Paul Roussillon)のVuillard夫妻の間に長男Josephが生まれて、でも彼は血液の病で6歳で亡くなっている。 冒頭のJosephのお葬式でAbelがエマソンの日記を引用しつつ彼の喪失の上にこの家は成り立っているのだ、と不吉な宣言をする。長女のElizabethはJosephを救えなかったことをずっと内面の傷として抱え、Josephのドナーとなることを期待されて生まれてきた次男のHenri (Mathieu Amalric)は不適合でドナーにならなかったので、そのまま家族の不適合者 - はぐれものとして生きることになり、三男のIvan (Melvil Poupaud)は上ふたりの不備をすべてひっかぶるよいことして育つ。
6年前に負債を抱えて訴訟沙汰になったHenriをElizabethは救済してやる代わりに絶縁するので今後一切家には近寄るな顔も見たくない、といって追い払い、でも自分の息子 - Paul Dédalus (Emile Berling)は精神的に不安定で、Ivanだけ、妻のSylvia (Chiara Mastroianni )と双子の息子がいて幸せそうで。
そして冒頭にJunonがJosephと同様の血液の病気であることが明らかになって、延命のためには骨髄移植が必要なのだが彼女の血液型は特殊で、ドナーとして適合したのがElizabethの息子PaulとHenri - よりによって一家のガンのような問題児ふたりであった、と。
こうして、一家の長である - どうみても頂点に君臨しているのは彼女 - Junonのお見舞いとChristmasの集いで集まってきた壊れた - もう修復不能かもしれない - 家族のどたばたと、治療のためJunonに骨髄を接ぎ木して自身の延命を試みる命がけのシリアスな話が、だからこそ、というのか、よりによって、なのかクリスマスの手前から当日までの数日間に、Roubaixで起こる。彼らを救うのは科学なのかキリスト様なのか。
恋人のFaunia (Emmanuelle Devos)を伴って現れたからっ風野郎(or フーテンの寅)のHenriは相変わらずみんなに疎まれてJunonからも「お前はわたしのJewだ」とまで言われたり散々なのだが、そうやって豪快にやらかす彼の影でElizabethはずっと泣いてて、他にも家族のひとりひとりにいろんなことが起こる - “Fanny and Alexander” (1982) くらいの長時間ドラマにしてもいいくらい、どのエピソードもおもしろい。クリスマスだから起こること/起こっていいこと、がちっちゃいのもでっかいのもツリーの上に下にプレゼントみたいに積み上がっていく。そういうおとぎ話のような”Tale”なの。
最後の方でAbelが嘆き哀しむElizabethにニーチェの『道徳の系譜』の序言にある「我々はいつまでも自分自身のことについて未知である...」 という箇所を読んできかせるところがよくて、自分たちのことをわかっていない自分たちはどうやって自分たちが正しいと知ることができるのか、って。これって拡げていくとキリスト教とユダヤ教とかも含めた広義の「道徳」とか経験の話に至るのだが、そういう道徳や教義もこの家族にはちっとも効かないように見える。そういう場所でぼかすか殴り合っても懲りない集団が家族というものなのだ、と言っているかのような。
それを具体的に示すかのように、Desplechinドラマの馴染みの名前(役名も俳優名も)の男たち女たちが繰り広げてぶちかますとっちらかった各エピソードがとにかくおもしろい。HenriとElizabethの旦那が取っ組み合うところとか。お涙なんてちっとも出てこないし。
あと、“Arnaud’s Tale”でおもしろかったのは、撮影に入る前にみんなに参考として見せる映画があるらしいのだが、この場合は、Howard Hawksの”Only Angels Have Wings” (1939)だったとか。
Comment je me suis disputé... (ma vie sexuelle) (1996)
これもCriterion Channelにあったので、21日、月曜日の昼に見た。これも再見で、何度みてもおもしろい。
英語題は”My Sex Life... or How I Got Into an Argument”。
物語の構造や展開がどう、というより - Paul Dédalus (Mathieu Amalric)が職場の大学で、女性関係で、ひたすらいろんな議論(Argument)に巻きこまれ、その渦の只中でいかに生きたか(死んじゃうんだけど彼)、という実存主義コメディ。次から次へと彼の目の前に現れて彼をかき乱してかき混ぜにくる女性たちがどれもすごい。
“A Christmas Tale”でも見られるのだが、ずっと躁状態で動き回るMathieu Amalricが突然動きを止めて空を見上げたり、ばったり倒れたりするところがすごいの。
Trois souvenirs de ma jeunesse (2015)
これは22日、火曜日の昼に。これも再見。
英語題は”My Golden Days”で、Criterion Channelでは↑の続編のように紹介されていた。(そういう側面もないとは言えないけど)
若い頃にロシアでパスポートを偽造されて別世界にもうひとりの自分をもつPaul Dédalus (Mathieu Amalric)が憧れのEster (Lou Roy-Lecollinet)との出会いと恋愛 - なんで自分はこんなことになっちゃったのか、を文化人類学を専攻する若き日のPaul Dédalus (Quentin Dolmaire)がレヴィ= ストロースの『親族の基本構造』やマーガレット・ミードの『サモアの思春期』を参照しつつ(いや、読んでいるだけだけど)、こっちは構造主義的に - 振り返る形式で描いていく。
こういうでっかいロマンはお休みのときに纏めてみるのがよくて、この際だから”Kings & Queen” (2004)も”Esther Kahn” (2000)も見たいのだが、これらは置いていないのかしら。
12.27.2020
[film] Un conte de Noël (2008)
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