12.04.2020

[film] Nénette et Boni (1996)

11月23日、月曜日の晩、Criterion ChannelでやっていたClaire Denis選集から見ました。

邦題は『ネネットとボニ』。Tindersticksのサントラ盤 - ウサギさんジャケット – は持っているのだが映画の方は見ていなかった。

冒頭、いくらでも使えるという魔法のテレホンカードを口上つきで路上で売っている – けど誰も相手にしない。労働者がいっぱいいる地域でBoni (Grégoire Colin)はピザの屋台をしながら仲間とだらだら暮らしていて、パン屋の女房(Valeria Bruni Tedeschi)とのやらしいあれこれを妄想しながら、屋根の上のノラ猫には敵意むきだしで、でも白いウサギを飼ってかわいがっている。

そんな彼のところに寄宿学校を放り出された妹のNénette (Alice Houri)が転がり込んできて、聞けば妊娠しているというし、いちいち彼のユートピアをかき乱しにくるのでえらく険悪になるのだが、放り出すわけにもいかないし、中絶したいという彼女を見ていると - 自分でも戸惑いつつ - そりゃ違うだろ、になってきて、どうなっちゃうのか。

家族から切り離されて、社会からも端っこの方 – “Les Misérables” (2019)や"La Haine" (1995)の舞台になっていそうな – でその日を過ごし、Boniは夢と理想で肉体を磨きあげてサバイブしようとして、Nénetteは逆に自分に絡みついてくるすべてを振り払って削ぎ落として向こう側に突き抜けようとしている。それぞれで目指すところがまったく噛みあわないのでどうしようもない。ここは自分の住処なんだから従え言うこと聞け、というBoniと来たくて居たくてここにいるわけじゃねーわ、とノラの毛を逆立てて荒れるNénetteと。

で、中絶クリニックに行ったNénetteは3ヶ月だと思っていたのが実は5ヶ月になっているからもう手遅れ、と言われてそんなはずは、ってBoniに一緒に来て貰ってもやはりだめで、それなら産まれてすぐに里子に出すしかない("Juno" (2007)方式)とか、更には自殺未遂するところまで行ってしまう。

他方で憧れのパン屋の女房にお茶に誘われて一瞬ときめいたBoniはここでも自分の理想をがらがらと崩されてー。

家族ドラマというよりは、ふつうにイメージされる家族のありようを端から悉く壊していって、ついでに「父親」もどこかで殺してしまって、その先のさら地でなんとか生まれて目の前に現れたNénetteの子供をBoniは..

社会からはじかれたふたりの兄妹が辿る路を闇とか藪のなかを突っついた後にがんじがらめに絡め取られてしまう悲劇として描くのではなく、出来合いの希望とか奇跡の物語に落着させることもせず、滑らかに水面を漂ったり流されたりしていく2匹の模様ちがいの金魚の冒険のように描いている。

それにしても、Claire Denisの男性の肉に対するフェティシズムが割とはみ出すように出ている、というあたりも。 筋肉ぶりぶりというのではなく、つるっとしたその表面から窺えるぴっちりした肌色の皮を纏っているような感触、その皮の外側を弾いたり伝ったりする水滴とかたまに血潮とか、その内側で沸きあがったり溢れようとする何かとか。この傾向は次の長編 - “Beau travail” (1999) 〜 更に ”Trouble Every Day” (2001)でもぶち上げられていく。

その皮膚にしっとりと触れたり撫でたりしてくるTindersticksの音。こういうの、ぜんぶ美意識みたいな話なのかも知れないが、その感覚を通して目の前に広がってくるClaire Denisの世界は、そこにどんな人物のどんなお話が展開されているものであっても、気持ち悪かったりどす黒かったり近かったり遠かったり、とにかく問答無用でそこにあるので、いつもその世界をまるごと経験したかんじになる。


今日から再びBFI Southbankが開いたので、早速行った。まずはErnst Lubitschの”Angel” (1937)を一番でっかいスクリーンで。何回も見ているけど、いいの。1月の特集は”BOWIE” だって。

Southbankの川べりでは寒いのにみんながんがん立ち飲みしてて通れなくてどいてどいてってやっていたら向こうからマラソン軍団がどかどかきたのでいい加減にしてよ! って。ちっとも収束してないんだよ!

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