12.11.2020

[film] Woman is The Future of Man (2004)

2日、水曜日の晩、MetrographのVirtualで見ました。

原題は”여자는 남자의 미래다”、邦題は『女は男の未来だ』。この『未来だ』という言い切りが誰によるものなのか – 元はアラゴンの詩らしいけど - 少し気になるホン・サンスの初期作品。

雪が散る寒そうな日、大学の美術講師をしているムノ(Yoo Ji-Tae)の一軒家に旧友で今は映画監督をしているホンジュン(Kim Tae-Woo)が訪ねてきて、久しぶり、とか立派な家に住んでいるねえ、とか再会を(ちっとも熱烈ではないものの)歓んで、そのまま向かい合っての呑みに入る。ホン・サンス映画ではもはやおなじみの光景。

テーブルでひとりになると窓の向こうの通りに立っている女性が気になったり、給仕の女性がかわいいので映画に出てみないか(全く同様にムノの場合は絵のモデルにならないか)と誘ってみたり、要はどちらも再会した旧友のことよりも女性のことしか頭にないらしく、そういえば、とそれぞれにかつて付き合っていたソナ(Hyun-Ah Sung)のことを思いだす。まだ若いころ、学校の先輩に強引に誘われてレイプされたというソナの体を洗ってあげてから穢れを落としてやる(?)ってそのままセックスする(?)ホンジュンとか、米国に旅立つホンジュンを空港でべたべた見送るソナとムノとか、ホンジュンがいなくなったので美術室でソナにアプローチして怒られるムノとか、それから暫く経って、知り合いの結婚式で再会したソナとムノがその翌日にセックスしたり、ふたりの中年男が向き合って、それぞれの頭に去来するひとりの女性 - ソナ - のことを思い浮かべた後、彼女はいまどこそこのホテルでバーを経営しているらしいので会いにいかないか、というので行ってみようか、となる。(全体として、なんだこいつら... )

こうして再会した3人は待ち合せ場所からソナの部屋に移動してぐだぐだと朝まで..

映画のなかのお話しだし魅力もオーラもちっともなさそうな中年男たちがなにを考えようが思い出そうがどう行動しようがほんとどうでもいいのだが、リアリティみたいなところは置いておいて、ここまで後ろ向きでしょうもない話をよく画面にのっけたなあ、というのと、なんでこんなのをおもしろく見てしまうのだろうか、というのと。では、これが殺人鬼とか悪徳政治家の内面とか挙動だとして、そっちの方がおもしろく見えてしまうことがあるのだとしたらそれはどういう理由によるものなのだろうか、とか。

あるいは、思いつきにしても絵葉書にあった「女は男の未来」なんて交通標語みたいのをタイトルにしてしまうのだとしたら、それはこれこれこういうことがあったりするからなのだよ、ということを説明するためにこの映画は組み立てられたのか、とか? ...

そんなに日々切羽詰まっているわけでもない、ものすごい大志に燃えているわけでもない、雪の日にわざわざ学生時代の友人に会いにいってしまう程度にヒマな中年男の行動原理を科学する - 小説でもなければたぶん誰もやりたがらないような領域に手を出してみるとこんなふうになる、とか。

あるいは、新しい出会いには気後れする年頃になった中年男がかつて付き合ったことがある(セックスしたことがある)女性と再会して付き合いを再開することは難しいけどセックスすることくらいできはしないだろうかと勝手に妄想して実行しようとするお話とか。ここにでてくるセックスシーンの、テーブルで向かい合って食事しているのと同じような、まるで動物の交尾のような素っ気なさを見てほしい。見るほどのもんでもないよ、という撮り方をしていないか。 

なんにしても彼ら中年男性はこんなようなことを思ってそのまま行動してしまうのだ恥も外聞もなく、ということを即物的に、そこらの犬猫でも撮るように撮ってしまう。エピソードの前後や人物の置き方は近年の作品と比べると結構粗くて適当に並べてみた、な投げやりなかんじもある。 で、ホン・サンスが女性を撮る場合はこれとははっきりと異なる不透明さが前に出てきて、その非対称性もまたメッセージになっていて - 例えば「女は男の未来だ」とか - それはよいことなのではないかしら。
 

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