10日、木曜日の晩、BFI SouthbankのMarlene Dietrich特集で見ました。
上映前に流れるBFIの12月~1月の特集を纏めた予告でもこの映画の”Damn you! Damn you!”とChristineがWilfridの部屋から出ていくシーンがうまく使われていて、見なきゃな、になった。
アガサ・クリスティーの原作 - 『検察側の証人』(1925) は中学の頃に読んだ(内容はすっかりどこかに..)のだが映画は見ていなかった。だって邦題が『情婦』って、おかしくない?
映画は原作の短編をクリスティー自身が1953年に舞台用に脚色したものを監督を含む3人が映画用に書き直している。
1952年のロンドンで、法廷弁護士のSir Wilfrid Robarts (Charles Laughton)が退院して自分のオフィスに戻ってくる。付き添い看護婦のMiss Plimsoll (Elsa Lanchester)がやかましくて、そこに未亡人殺しの容疑をかけられた依頼人Leonard Vole (Tyrone Power)がやってきて、殺された未亡人とのいきさつ等を語り、とにかく自分はやっていない、と。
そのうち唯一の証人であるはずのLeonardの妻Christine (Marlene Dietrich)もWilfridのオフィスに現れるのだが、自分はLeonardとは正式に結婚していない - その前に結婚した夫は東の方に - とかおかしなことを言うので、彼女を証人として使うことは諦めて、やがてオールドベイリー(Mangrove Nineの裁判をやったところ)で審問が始まる。
Miss Plimsollがはらはらしながら見守る中、Wilfridはなんとかやっていくのだが、とにかく証拠も動機も決定的なのがなくて、そんな中、検察側が証人としてChristineを呼ぶと、彼女は被告のアリバイを否定する証言をするので、ああもうこれはだめかもになって..
映画の最後にも音声つきでこれから見る人のために結末は言わないでおくれ、って出るのでここまでしか書きませんけど、でもこれ、そんなに驚愕のどんでん返しかしらん?
被告は始めからなんとなく怪しいのだが、審理そのものはわかりやすくスムーズで、陪審員の判決も結果的にあれしかないようなところに落ちる。並行して、被害者の女性も、彼女の家政婦も、検察側の証人Christineも、すべての女性はとっても隙だらけで得体がしれない人々のように描かれ、傍聴席で見守るMiss Plimsollもやかましいばかりの女性としてコミカルに扱われて、要するに社会の隅っこに置かれたやや困った女性たちに囲まれている、これまたよれよれのWilfridが明らかにする真実 – それを法廷の場でみんなが見世物のように眺める、という構図がなんかあれで、あんま乗れない。本当に悪い奴が – ああいうどんでん返しでもなければ - きちんとした形で裁かれない、という社会に対する居心地の悪さ。Billy Wilderはそこまで狙っていたのだ、というのかも知れないけど、どうかしらー。
ここの登場人物たちと彼らを巡るストーリーのかんじって、この時代であればフィルム・ノワールで描かれてもおかしくないような暗く地を這うような内容のそれで(Wilfridは場末の探偵の役)、それをみんなが見ている明るい法廷でよってたかって裁いて騒いで叩いて、という場違い感、というのもある。
時代も設定もぜんぜん違うけど、これと少し似たかんじかも、と思ったのがこないだHBO (こっちではSKY)で見た”The Undoing”で、これはNYのアッパークラスの男性女性が、自分はやっていない、と言い張るHugh Grantの周り(含.法廷)に寄り集まって、そこでいろんな人々の目線と背景が交錯したり塗りつぶしたりされたりしていくドラマだった。ノワールとは真逆の、すべて漂白されたようなゴージャスなかんじが、これはこれでなかなか薄気味悪くて..
あと、Charles Laughtonて、自分にとっては“The Night of the Hunter” (1955)の監督だったので、このひとすごいなー、って。
終わったら拍手が起こった。やっぱし、よいお芝居を見せて貰いました、というかんじなのかしら。
Tier 3のロックダウンが始まったのだが、定義を見るとお店とかヘアドレッシングは”Stay Open”て書いてある。 つまり本屋レコ屋は開いてるってこと? でも映画館と美術館がさあー。
12.16.2020
[film] Witness for the Prosecution (1957)
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