4.22.2020

[film] Mysterious Skin (2004)

12日、日曜日の昼、BFI Playerで見ました。
原作はScott Heimによる同名小説。Gregg Arakiの作品て、痛そうできついのも多いのだが80-90年代のアメリカ – 特にインディペンデント系の流れを考えるのに必要ななにかだという気がしているので、見る。

81年の夏、カンザスの郊外で、リトルリーグの少年ふたりが経験したこと – ひとりにとっては欠損した記憶 - とそれが青年に成長した彼らにどんな影響や傷を残したのか。

リトルリーグで活躍していたNeil (Chase Ellison)は、コーチの家に連れていかれて優しくされてゲームもやり放題だしお菓子も好きなだけ食べていい、って言われるままに夢のような時間を..   他方でBrian (George Webster)は雨の日の晩にクローゼットの中で鼻血を流しているのが見つかり、なんでそうなっていたのかの記憶がない。

成長したNeil (Joseph Gordon-Levitt)は友達とつるんで明るく快活な青春を送っている、かに見えて裏では車で拾われるクールな男娼として好きにやってて、Brian (Brady Corbet)はあのときの触覚や夢から自分はエイリアンにさらわれていたに違いないと思いこみ、そちら方面の情報を探るナードになっていく。

Neilは女友達が出ていったNYに向かい、でもそこは余りに異世界でワイルドだしAIDSの危険もあるので男娼とは別のバイトを始めて、Brianは同じくエイリアンにさらわれたという女性に会いにいって思っていたのとは別の方にさそわれて、どちらもあまりぱっとしないのだが、Brianが頻繁に見る夢を手繰っていくと…

当時はそうでもなかったり遮断したりしていた記憶を追って蘇らせることに伴う目の奥の痛みと、いまここにはっきりとある・見える痛み(Neilの乱暴な客にぼこぼこにされる痛み、Brianの信じていた女性にくらった痛み)、それらのひりひりした痛覚と夢を経由して訪れる出会い・再会。 そしてそれ自体が夢のような、悪夢のような、安っぽい駄菓子のようにぼろぼろだけど、それでもここまで生きてきてよかった、とか言ってよいの? という弱々しい態度表明。 痛みを通してかろうじて生の輪郭に触れることができる、そんなありさまなんだけど?

これが00年代の子供たち、になるといきなり“We Need to Talk About Kevin” (2011)のように豹変して人を殺し始める、という..

わたしの痛みはあなたのそれとは違う、伝わらない。でもひょっとしたら、それが映しだす夢だけは一緒に寝転んで見れるなにかかもしれないね、という淡い希望。 そういうのを、わけのわかんねえこと言ってんじゃねえよ、ってざーって掃き出してしまったブッシュ政権以降の野蛮。

音楽はHarold BuddとRobin Guthrie。彼らのオリジナル以外だとSlowdiveにCurveにRideにCocteau Twinsに、といった当時のバンドの音が見事な親和性を見せる。穏やかなようで実は凶暴な雲のなかを漂って、でも同じところをえんえん回り続ける。 Gregg Arakiの映画で流れる音って、他のもそうだけど、サントラだけで一枚の完結した作品として聴けるの。

今だと、子供に対する性的虐待というテーマをこんなふうに甘く - 加害者はただのやさしいおじさんで気がつくと消えている -  描いてしまっていることに疑義がでてもいい、くらいこの辺の事情は陰惨な許されないものになってきているのではないか。


水曜日。週の真ん中で、まだ半分しかきてない/あと半分もあるって絶望して、なので水曜の午後ってなにも考えずに脳死状態に浸けておくことが多いのだが、雲がまったくない晴天なのでお買い物に外にでる(夕方になるとスーパーとか混むし)。これってサボりとはちがうんだよね、って思いつつ、そのままどこかに逃げてしまいたくなる。 でもそうやって逃げてもやがて感染して死んじゃうので、「逃亡」のありようが変わってしまうねえ。

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。