9日、金曜日の晩、Curzon Home Cinemaで見ました。英語題は”The Truth”。
同じタイトルで1960年のHenri-Georges Clouzotのサスペンスがあって、これはBrigitte Bardotが出ていたのを2年くらい前にBFI で見た。こっちはCatherine Deneuveで、是枝裕和監督によるホームドラマ(かな?)。
是枝作品て、実は見たことなくて、『万引き家族』(2018)の成功を受けてBFIでも特集上映が組まれたりしていたのだが、なんとなくパスしていた。なんとなく。
フランスを代表する大女優のFabienne (Catherine Deneuve)のパリの邸宅に彼女の娘で脚本家のLumir (Juliette Binoche)とその夫Hank (Ethan Hawke)と一人娘Charlotte (Clémentine Grenier)の一家3人がNew Yorkから訪ねてくる。Fabienneの回顧録(そのタイトルが”La Vérité”)が出て周辺はざわざわしているのだが、娘として現場での母に接してきたLumirからすると嘘ばっかりじゃねえの - 学校に迎えに来てくれたことなんてなかったじゃん - なんなのこのばばあは、ってぷんぷんになるし、来るのがほぼ初めてのHankとCharlotteからするとアメリカとはぜんぜん違う邸宅の様子とか、Fabienneの魔法ででっかい陸亀にされちゃったおじいちゃん(ほんとうらしい)とか、なんかすげえな、って興奮している。
Fabienneは彼女が撮影中の映画 – “Memories of My Mother” - 原作はKen Liuの『母の記憶に』 - の現場にLumirを連れていく。不治の病に侵された母の時間を超えた旅、というテーマがかつて母がそのキャリアを潰してしまった女優の記憶、イメージと重なると..
熾烈な競争と華麗なキャリアを経て意地悪なモンスターになってしまった大女優の回顧録に綴られた姿と、これから生まれるフィルムで生まれようとしている物語/イメージと、記憶のなかで掬いあげられようとするかつての母、消えた/消されてしまった女優と、その間に立つLumirと、「真実」はなにで、本当のところはどうだったのかを探る、というよりも「真実」がこんなにも淡くて脆い過去のあれこれから立ちあがってくる – どんなひとにもどんな家族にも – その様を淡々と重ねていく。
失われつつある実家を訪ねて、そこに絡まった記憶を手繰っていくお話、というと“L’Heure d'été” (2008) -『夏時間の庭』 - があってここでもJuliette Binocheは冷静に一家の過去と向き合おうとしていた、とか、あるいはJuliette Binocheが大女優で、自身の過去をなぞる役をやることになる”Clouds of Sils Maria” (2014)とか、”Doubles vies” (2018)では自分はまじめな女優だけど相手方(ここでは浮気相手)をやるのがおしゃべり不謹慎なVincent Macaigneとか、最近のOlivier Assayas映画におけるJuliette Binocheの使い方を煮詰めて漉して、みたいなとっても近いなにかをかんじた。
大きな家の当主、という位置でのCatherine Deneuveだと、昨年のLFFで見たCédric Kahnの新作”Fête de Famille” (2019) もあった。別にわるいことではなくて、いまの時代にフランスのファミリーロマンをきちんと撮ろうとすると、このふたりの大女優を使ったこういうようなものにどうしてもなっちゃうのではないか、って。 これって日本の俳優を使った日本の家族ドラマが同じように見えてしまう(ええ偏見です)のと同じなのかしら? だからこそここではアメリカ人Ethan Hawkeにがんばってほしかったのにな。”Before” trilogyのような丁々発止のやりとりが姑を巻きこんで … みたいにはならなかったねえ。
それにしてもエンドロールで、犬を連れて遠くからこっちに向かって歩いてくるCatherine Deneuveはとにかくすばらしい。あれだけでとっても魔法使いのかんじが出てしまうのってすごいわ。
あー、パリ行きたいなー。
英国では、この状態があともう3週間延びると政府が言っている、と。うん、しょうがないか。
TVではStart Warsを延々流し続けるチャンネルと、Harry Potterを延々流し続けるチャンネルがあって、他にMarvelものを延々、ていうのもある。 いろいろ考えてしまうねえ。
4.16.2020
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