20日、月曜日の晩、Curzon Home Cinemaで見ました。見逃していたやつ。
Christian Petzoldによるドイツ映画。原作はAnna Seghersの同名小説(1944年刊行)。邦題は『未来を乗り換えた男』???
冒頭に「Harun Farockiに捧げる」と出る。
ドイツ占領下のフランスのお話し、原作の時代設定は二次大戦時だが映画の方のは不明(でも現代に近いかんじ)。
ドイツから逃れてパリにいるGeorg (Franz Rogowski)は仲間からホテルに滞在している作家Franz Weidel宛の手紙を届けるように頼まれてホテルに行くとWeidelは自殺していて、彼の原稿とID一式、メキシコ政府からの招待状を受け取り、怪我をしている彼の友人Heinzとマルセイユに向かうのだが、その途中でHeinzは亡くなり、マルセイユでHeinzの妻Melissaと男の子Dirissと会ってそのことを伝える。マルセイユの領事館にWeidelの書類を届けにいくとWeidelと間違えられて彼と彼の妻の分のメキシコのVISAを貰ってしまう(つまり、アメリカ経由でメキシコに脱出できることになった)。
Drissが喘息の発作を起こしたので医者を呼びにいくと、医者のフラットにいたMarie (Paula Beer)がWeidelの妻で、彼女は夫が来ることを信じて待っていて..
始めはメッセージの配達を頼まれただけだったのにそこから知らない人の荷物とか書類を抱えて土地と人を渡り歩くことになり、さらに間違えられてなりすましまですることになって、自分とは関係ないところで自分を含めたいろんな人々がTransitしていく、あるいは可能となるはずのTransitを目指して動き回る、という状態の不可思議なこと。そしてそんな自分は不法移民として、そもそもここにいてはいけない存在としてある。いつ消されてしまっても誰も困らないし悲しまないし。
Transitしなければ捕まって殺されてしまう、そうならないように絶対必要となるTransitのための書類はラグビーのボールのように人から人にまわされ疑われ、絶対に晒されてはまずいIDは隠さなければならず、敵も味方もわからない目隠しされた状態で綱渡りのゲームが続いていく。これは戦時下・占領下のお話しとして、或いは、カフカ的な世界の不条理として片づけてしまってよいのかどうか。
Transitしたら死んでしまう(Stay!)というのがまさに今の世界(and にっぽん)で、その掟に従わないものはIDを晒されて袋叩きにあうかウィルスにやられるかで殺されて、従っても食住の保障がないものだからそのうち死んじゃう、という地獄がみんなの目の前にあるんですけど。(そして政治家は見事になにもしない。なんなのあれ?)
ある人の滞在/存在を国が認める・認めないっていうその境界線上で人が棄てられるようにして死んでいく、という点は戦時下もいまも大して変わらない、という諦めも含めた地続きの空気感はまさに今の時代のもので、すばらしいと思った。
Marie役のPaula Beerさんは”Frantz” (2016)と”Never Look Away” (2018)の彼女、いいよね。
エンドロールでTalking Headsの”Road to Nowhere”が流れてきて、質感が違うので変なかんじなのだが、詞をみれば納得するしかない。この道はどこにも行かない道だよ〜 って。
久しぶりに雨が来て寒くなった。 すっかり忘れていたけどこれが普通(の朝)でこの中を地下鉄に乗って通っていたんだねえ、と思い出す。こういういろんなパターンを繰り返して内側に定着させて会社に通うのはなんてしょうもないことか、って浸み込ませて元に戻れない身体にしておくんだ、って意気込んでいるのだが、そんなことしてもなんにもならん仕事しろ、って真面目なほうの自分が。
LAのAmoebaもなくなっちゃうのかー。 あーあ。 あそこの大量のレコード、在庫処分とかしないのかなあ?
4.28.2020
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