11日、土曜日の晩、Curzon Home Cinemaで見ました。見逃していたドキュメンタリー。
英語題は”John McEnroe: In the Realm of Perfection”。スポーツはドラマ(けっ)だからスポーツ(選手)のドキュメンタリーも感動的な – 超人的な運動能力~輝かしいキャリア~転落と挫折~再出発とか - おもしろいもの(棒)になるであろうことは容易に想像がついて、でもそんなの巷のTVにいくらでも溢れているじゃん – 視聴者がコーチとかの目線になって見て満たされるやらしいやつ。
これはそういうのではなかった。テニスの教則ビデオ(当時はフィルム)を作っていたGil de Kermadecが自演でガイドするのがあほらしくなって、教材にするために選手の試合をRoland Garrosのコート脇で撮り始めて、そうやって撮り貯めた膨大な16mmフィルムの最後にJohn McEnroeの試合を捉えたものがいっぱいあって、それを監督のJulien Farautが「完璧さとはなにか」という観点からピックアップして編集して掘り下げていったもの。
なのでJohn McEnroe自身はアーカイブ映像の中にしか出てこなくて、これらの映像についてとか当時のことを振り返る本人のインタビューもない。 他の関係者やスポーツ評論家のコメントもない。画面に登場するMcEnroeは当時最強だった(それを裏付けるデータは少しでてくる)ので、それについて第三者が何を語ることができようか、見ろ! って。
なので画面は彼の試合のいろんな場面でのしなやかな勝ちっぷりと、審判のジャッジに対して納得がいくまで食い下がったり、観客のおしゃべりやメディアの機材がたてる音に文句したりする場面を映して、勝負への執着とそこを貫く完璧さへの志向を並べていく。 凡庸なスポーツ評論家なら審判のジャッジに文句をつけてはいけませんね、とか、客のことを気にするようでは一流とは言えない、とか偉そうにコメントしそうだが、彼はそういう次元にはいない – 彼がいるのは”The Realm of Perfection”なの。
替わりに監督が参照・引用するのが映画批評家のSerge Daneyの数々の言葉で、確かにパーフェクトなショットへの探求、という点からここに映画批評家の視点が導入されるのはそんなに間違っていないのかも。アクション映画でありえない事態が起こって手を叩きたくなる瞬間とMcEnroeが相手をぎゃふんと言わせる局面の痛快さって、似ていないこともない。
という観点から見たり唸ったりするのもありなのだが、なによりもねちっこいパワーテニス(苦手)の反対側にあるJohn McEnroeの軽妙なプレイは見ていてシンプルに楽しい。 背景を消してシルエットだけにしたらそのままダンスになってしまいそうな。
冒頭、彼のサーブするフォームに刺さってくるのがSonic Youthの”The Sprawl”(個人的にはここだけでじゅうぶん)。エンディングはBlack Flagの”Nervous Breakdown”ががんがん。途中でモーツァルト – “Amadeus” (1984)も挟まって、要はパンクだったのだ、って。
Social Distancingの要請にぴったり応えるスポーツとしてテニスの人気は伸びていくに違いないねえ。やらないけど。
この季節にTVで"Love Actually" (2003)をやっている。こっちにきてもう50回は見ている。
NY TimesのObituariesにLe CirqueのSirio MaccioniとBalducci’sのNina Balducciの訃報が並んでいる。レストランのLe Cirqueは一度しか行けなかった(Le Cirque 2000の前のやつ)けど、食材スーパーのBalducci’sは本当によく通った。なにを手にとって食べても発見があった。 こんなのがNYの食を支えているのだとしたらあれこれ勝てるわけないわ、ってしみじみ思ったの。 ご冥福をお祈りします。
4.21.2020
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