11.15.2019

[film] À Nos Amours (1983)

10月18日、金曜日の晩、BFIのMaurice Pialat特集で見ました。英語題は”To Our Loves”、邦題は『愛の記念に』。 同年のルイ・デリュック賞、翌年のセザール賞を受賞している。 これ、かつてどこかで見たことがあったようななかったような..

パリに住む15歳のSuzanne (Sandrine Bonnaire)は洋裁屋(?)を営む家族 – 母(Evelyne Ker)、父(Maurice Pialat)、作家の兄(Dominique Besnehard)と暮らしているのだが、なんか家にはいたくないので外で仲間とつるんだり、いろんな男と寝たり、それで朝帰りしたら父に殴られて、それを見た母が泣き叫び、そんな父が家を出てしまうと母は精神的に不安定になり、兄がおまえのせいだってSuzanneをひっぱたき、そんなふうに彼女のここはあたしの居場所じゃない – こんなところにはいたくない – が延々続いていって、そうやって家から逃げるように婚約するのだが、それでもなんか..

長編デビュー作の”L'enfance nue” (1968) でも、TVシリーズの”La maison des bois” (1971)でも、まだ書いていないけど”Passe ton bac d'abord…” (1978)でも、Pialatは子供や若者を得体の知れないなにをしでかすかわからない動物のように描いていて、そこに彼自身も教師とか父親として出演しているところを見ると、彼らを指導したり教育したりする役割の人として自らを置いているように見えるのだが、実際には彼はなんもしない(”La maison des bois”ではちょっといい役だったけど)どころかろくでなしで、もちろん子供たちもなんかひどいのだが、動物なのであればあんなもんだと思うし。

でもそんなふうに描いているからといって彼らが地獄に堕ちたり処分されちゃったりするかというとそうはならずに、間違いなく彼らはノラとして野に闇に散ったり潜んだりこちらに背を向け、たまに寄ってきて一緒にご飯食べたり、そうやって生きている。はじめの方でSuzanneの背中にKlaus Nomi (& Henry Purcell) による“The Cold Song”の”Let Me.. Let Me.. Let Me..”が被さってくるとなんかたまんないの。

でもそれにしても、家族ってこんなもんだよね、こうあるべき、という姿とか「絆」とかいうわけのわかんないやつとか、「絆」さえあれば「幸福」もやがて、みたいな意味不明の論理は決して振りかざさず、とっ散らかって誰かが泣いたり叫んだりが延々続くのできつくて、でもだからといって家族ってそう簡単になくなるものではなくて。わからないからと言ってわかるように都合よく描かない、それならまだ話の通じない動物として描いたほうが...  ていう視点で彼らを見つめるそういう目が必要で、そういう目を保つためにはまず自分が。

そしてその目線が注がれるその先に生きている、まさに生きているように生きているSandrine Bonnaireの輝きと輪郭のつよいことかっこいいこと。これがきちんとクレジットされたデビュー作で、デビュー作とかで脱いだり絡んだりすると日本のメディアはすぐ「体当たり」とか「捨て身」とかしょうもないことを書いてきたものだが、ああいうのまだやっているのかしら? で、とにかく、この作品のラストに旅立っていった彼女が、“Vagabond” (1985) -『冬の旅』として田舎の寒い荒野に再登場するのはちっとも不思議ではなくて、あっさり繋がっているねえ、と思った。

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